現在、森美術館にて開催中のアンディ・ウォ—ホル展。
- 作者: エリックシェインズ,Eric Shanes,山梨俊夫,前田希世子
- 出版社/メーカー: 二玄社
- 発売日: 2008/04
- メディア: 大型本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
私自身もとても楽しみましたし、知人から聞く評判も上々です。自分のなかでは今まで、ウォ—ホルってそこまで気になる存在ではなかったのですが、今回の展示を観て、圧倒的な人気を誇る理由がちょっぴりわかった気がしました。
ウォ—ホルは、あなたを映す鏡です
今回のウォ—ホル展をきっかけに、ネット・リアル含めいろいろな人の「アンディ・ウォ—ホル像」みたいなものを私なりに分析してみたのですが、面白かったのが、これ見事にバラッバラなんですね。
雑誌の特集記事で「アンディウォーホルは若いときの憧れだった」っつってる人が載ってたけど、アンディウォーホルって「かっこいい」の?
消費社会を良くも悪くも表現した人って俺は習ったんだけど。リアルタイムで知らないからよくわからない。チェコ好きさんに質問しようかと思ったけど相互フォロー
— pinza0604 (@pinza0604) 2014, 2月 13
※この後、相互フォローさせてもらいました!
私も実はid:pinza0604さんと同じようなことを考えていて、「ウォ—ホル=かっこいい、ポップ、明るい」っていうポジティブ方面の解釈をしている人たちに対して、「えっ、逆じゃないの?!」と思ってしまったんですよね。もちろん、アートの解釈なんて100人いたら100通りあっていいものなので、「こちらが合っていて、そちらがまちがっている」ということはありません。ただ、モネやミレイ、あるいは会田誠……とにかく、他のアーティストの作品に比べて、解釈や作品があたえる印象がバラッバラすぎるというところが、ある意味ではウォ—ホル作品のいちばんの特徴というか、だからこそ人々を惹き付けてやまないのかもしれないと思いました。
彼の作品は、鑑賞者の「見たいもの」をそこに投影します。私が鏡の前に立ったときと、あなたが鏡の前に立ったときでは、そこに映る像は異なります。ウォ—ホルの作品も、きっと同じです。私が観るウォ—ホルと、あなたが観るウォ—ホルはちがう。どちらのウォ—ホルも正しく、あるいはどちらのウォ—ホルもまちがっています。ただ、「鑑賞者によって異なる像を結ぶ作品である(その傾向が他の芸術作品に比べて顕著である)」ということを知っておくと、よりウォ—ホルの世界を楽しめるのではないかと、私はそんなふうに思うんです。
アンディ・ウォーホルって人間について知りたいと思ったら、僕の映画や絵をただ、表面的に見てくれればいい。そこに僕がいるから。裏には何もないんだ。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p72
鏡と同じでしょう? 裏には何もない。
アンディ・ウォ—ホルの名言7選
前置きが長くなりましたが、ウォ—ホルがずるいな〜と思うところは、自分自身や自分の作品への言及が多すぎるところなんですよね。作品に彼の発言が加わることによって、鑑賞者は深読みし、裏に何かがあるはずだと考えざるを得なくなります。でも、そこでピシャッとドアを閉めるみたいに「裏には何もないよ」といっちゃう。やっぱりずるいです、そこは。
前回のエントリでもいくつかウォ—ホルの言葉を引用してしまったので一部重複しますが、今回は私がウォ—ホル作品を考えるときにヒントにしたい彼の言葉を7コ選んでみました。ただ、私が選んだ彼の言葉は「私が見るウォ—ホル」でしかないし、そこから何を読み取るかも、私とあなたではきっとちがう。まさに、鑑賞者次第です。
★
1 東京でいちばん美しいものはマクドナルド。ストックホルムでいちばん美しいものはマクドナルド。フィレンツェでいちばん美しいものはマクドナルド。北京とモスクワはまだ美しいものがない ―Andy Warhol”
「私のなかのウォ—ホル」がいちばん投影されているのがこの言葉。マクドナルドっていうのは、良くも悪くも大量消費社会の象徴みたいなものだと私は考えています。『スーパーサイズ・ミー』みたいな感じでしょうか。それがいちばん美しいというのは、しかも世界のどこであってもそれが美しいというのは、やっぱり現代社会のダークサイドを表現しているように私には思えます。でもマクドナルドってたまに無性に食べたくなるんですよね。マックナゲット美味しい。
- 出版社/メーカー: TCエンタテインメント
- 発売日: 2005/07/08
- メディア: DVD
- 購入: 1人 クリック: 63回
- この商品を含むブログ (427件) を見る
★
2 精神的に参ったことは一度もないな。精神状態が良くなるってことがないから。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p85
3 僕は完全に、うわべだけの人間だよ。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p98
Radioheadの歌詞に、こんなのありそう。
★
4 いずれ、誰もが、自分の考えたいようにだけものを考えるようになるだろう。そうなったら、みんなの考えはますます似てくるだろうね。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p100
これを20世紀の時点でいってしまっているところがスゴイというか、何というか。
同じテレビ番組を見て、同じ流行の音楽を聴いて、同じようなタイミングで進学・就職・結婚して……なんていう生活は、今となってはもはや過去のものとなりました。私たちはそれぞれ異なるインターネットのサイトを覗いて、自分の働き方や人生について異なる価値観や理想を抱いています。でも、それって本当に、本当に「異なる」のでしょうか? 21世紀へのグロテスクな予言のように、私には思われます。
★
5 鏡を見るのは辛いな。そこには何もないからね。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p114
私のなかでは、鏡はウォ—ホルの暗喩となっています。ウォ—ホルの作品を観ても、そこには何もない。ただ、私たちの見たいものが見えてくるだけです。
★
6 物事はだいたい、とてもゆっくりと起きるから、普通はみんな、それに気づきもしないんだ。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p187
これは、人間関係、人生、自然現象、災害、すべてのことに当てはまりそうな、何とも重い言葉です。だれかとだれかの関係は、一瞬でこわれるわけではなくて、お互いに気づかないうちに、徐々に崩壊に向かっていきます。歴史的な自然災害は一瞬にしてだれかの命を奪うことがありますが、災害自体は一瞬のことでも、実はその土壌は日常生活のなかで気づかないうちに、徐々に育っています。
★
7 僕の墓石には何も書かないでほしい。名前も、墓碑銘も。そうだな……何か書くとしても「全部ウソだった」くらいかな。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』 p234
まさにウォ—ホル! 私が彼の作品の裏に「現代社会のダークサイドの暗喩」みたいなものを見ても、それはきっと、私が現代社会のダークサイドを見てニヒリズムにひたりたいから、なのです。ある人にとってはウォ—ホルはクール、ポップ、おしゃれ。ある人は、ウォ—ホルを見ても何とも思わない。全部正しく、あるいは全部まちがいであり、あるいは全部ウソ、です。
★
さて、どうでしょうか? ウォ—ホルの作品を観たことがある方は、あなたのなかのウォ—ホルについて、もう一度胸に手を当てて考えてみてほしいです。そこに見えるのは、どんなウォ—ホルでしょうか。
余談ですが、カーサ・ブルータスのウォ—ホル特集の表紙、めちゃくちゃいいですよね。ウォ—ホルときゃりーぱみゅぱみゅ。きゃりーぱみゅぱみゅの可愛さ、ポップさって確かにウォ—ホル的かもしれません。そこに映し出されるのは、私たちの欲望です。
Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 2014年 03月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2014/02/10
- メディア: 雑誌
- この商品を含むブログ (1件) を見る