チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

マルセル・デュシャンの便器が変えたもの

都内の美術館だと、私は東京都現代美術館とか原美術館が好きなんですが、何でかなぁと考えたら、たぶん比較的空いてるからじゃないかと思うんですよね。で、何で空いているかといえば、おそらくこれらの美術館が取り扱っている展示品が、「現代美術」だからです。ゴッホとか、ルノワールとか、レンブラントとはちがう、「現代美術」。日本でゴッホ展なんかやると混雑がすんごいことになりますが、アンディ・ウォーホルだったらそれほどでもない。いや、ウォーホルはまぁまぁ混むけど、少なくともゴッホほどではない。そのことはもちろん作品の優劣とは関係ない話ですが、古典的な美術は現代美術より集客力がある、ということに異論をとなえる人はあまりいないでしょう。

で、古典的美術と現代美術の境目をどこにもってくるかというと、それはピカソのような気もするしシュルレアリスムのような気もするしで、「はい、ここです」といえるようなものではありません。でも、そこをあえて「ここじゃない?」というならば、やっぱりデュシャンの『』という作品の存在は大きかったんだろうなぁと、最近考えるようになりました。
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マルセル・デュシャン『泉』

現代美術は「考え方」のアート

男性用便器にちょこちょこっとサインをしただけの作品『泉』は、まずまったくもって美しくはない上に、どこにでもある工業製品であるため「作家が自身の手によって創り出した」という、美術のいちばん根本的な部分ですら否定してしまった作品です。じゃあまったくもってわけのわからないこの作品の価値は何なのかというと、「なぜアートは美しくなければならないのか」とか「なぜ自分の手で創り出さなければならないのか」とか、こちら側の芸術に対する常識を問いただしてくる部分にあるわけです。今日においては、尿や大便を使ったアートなんてのも存在するので、「芸術とは美しいもの」という概念はまったくもって覆されているし、大量生産されている商業的なデザインをアートにしてしまった作品もたくさんあるので、芸術における「オリジナル」という概念も希薄なものになっています。

デュシャンの『泉』が、1917年の作品であるにも関わらずまったく古びて見えないのは、今日においても「なぜアートは美しくなければならないのか」、「なぜ自分の手で創り出さなければならないのか」という問いに、答えが出ていないからでしょう。アートは美しくなくてもいいとして、尿や大便を素材として使うことはあっても、その作品を積極的に見に行きたいと思う人の数は、そう多くありません。だとすると、美しいとは何なのか、醜いとは何なのか、そのどちらでもないものはどういったものなのかという問いが出てきます。大量生産されているものよりも、世界にただ1つしかないオリジナルに魅力を感じるとすれば、それはなぜなのかという話になります。また、何の変哲もない工業製品であるにも関わらず、芸術家がサインをしたとか「これはアートです」と言い切ったことによって、庶民では到底手の届かないようなレベルまで値段が高騰してしまうような事実をいったいどう説明するのかといった話も出てきます。どの問いにも、何となく「それはこうでこうだから」ということはいえそうな気もするんですが、やっぱり体感的には「何でだろなぁ」という域を出ません。現代美術の魅力はその「何でだろなぁ」にあるわけで、私はいろんな人と「何でだろなぁ」を共有したくてこのブログを書いているみたいなところがあります。

いずれにしろ、デュシャンの『泉』やその前後の美術作品が、現代のアート界を「何でもアリ」にしてしまったということはいえると思うんですね。で、私はこの「何でもアリ」っていう考え方が大好きで、芸術においてはもちろん、人生とか仕事とか人間関係とか、すべてのことにおいて根本的な部分で「何でもアリ」って考えている節があります。小さな部分では許せないことや腹立たしいこともそりゃあるんですけど、大きな部分では「いいよもう、何でもアリだから」って考えている気がします。

デュシャンの『泉』という作品が美術史にあたえた衝撃はとてつもなかったわけですが、その美術史の衝撃は、この世界全体にはどれくらいの影響をあたえたんでしょうか。よくわかりませんが、近年では芸術においても生き方においても、「何でもアリ」という価値観はどんどん加速してきている気がします。そして、そんな現代に生まれることができて良かったなぁと、私は思っています。ちょっと怖いし、危なっかしいけど。


……という、さまざまな逡巡をくり返すと、“ただの便器”がやっぱり神々しい輝きを放つものに見えてきて、卵が先か鶏が先かみたいな感じになって何だか頭が痛くなってきたので、本日はこのあたりでおしまいにしようと思います。


★今回の参考文献★

美学への招待 (中公新書)

美学への招待 (中公新書)

現代アート、超入門! (集英社新書 484F)

現代アート、超入門! (集英社新書 484F)