先日、ノーベル賞作家のG・ガルシア=マルケスが亡くなったというニュースがかけめぐりました。
ご冥福をお祈りする代わりに、今回はこのガルシア=マルケスについて、私が思うところを語ってみようかと思います。
★★★
ガルシア=マルケスの小説といったらやっぱり『百年の孤独』だと思いますが、私は実はこれ、一度読んであまり感銘を受けなかったんですよね……。だって登場人物がごちゃごちゃになってきて途中でわけわかんなくなるから。名著なので、いつかしっかり読み直したいと思って本は大切にとってあるんですが、『百年の孤独』はあまり読みやすい小説とはいえないでしょう*1。
百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)
- 作者: ガブリエルガルシア=マルケス,Gabriel Garc´ia M´arquez,鼓直
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本
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しかし、ガルシア=マルケスの著書には比較的読みやすい『エレンディラ (ちくま文庫)』という小説もあります。なぜ読みやすいのかというと、単純に短編だからですね。
私はこの短編小説集にある「訳者あとがき」の部分が、夢に出てきそうなくらい頭に残っています(本編じゃないのかよって話ですが)。『百年の孤独』には、レメディオスという娘が白いシーツにくるまって昇天するというとても幻想的な場面があるのですが、訳者がそのことをコロンビア人に伝えると、彼は「それはまったくの作り話っていうわけじゃないよ」っていったらしいのです。何でも、ガルシア=マルケスの住む南米では、女性が香水をつけて海岸や川岸を歩くと、香水のにおいに引き寄せられて無数の蝶が女性の身体に群がり、汗を吸おうとするらしい。その様子を遠くから眺めると、強い日射しに色鮮やかな蝶の姿が照らされて、まるで女性が蝶とともに天に昇っていくように見えなくもない、のだとか。香水のきついかおりに、照りつける日射し、女性の身体に無数に群がる蝶……。おぞましいやら美しいやらで、私はその部分を読んだとき、頭がクラクラしたのです(繰り返しますが、本編ではありません)。
『失われた時の海』と『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』について
ちくま文庫から出ているガルシア=マルケスの短編集『エレンディラ』は、7つの小説によって構成されています。私はそのなかでも、『失われた時の海』と『無垢なエレンディラ(長いので略)』という2つの短編がお気に入りです。さきほどの蝶の話ではないですが、この2つの短編ではどちらも、「香り」がとても印象的に物語に作用しています。
- 作者: ガブリエルガルシア=マルケス,鼓直,木村栄一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1988/12/01
- メディア: 文庫
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『失われた時の海』は、タイトルのとおり海の描写から、物語が始まります。何でもその海からは、夜になるとバラの芳香が漂ってくるんだとか……。そして、バラの香りとともに、海から無数の蟹がやってきて、主人公のいるベッドに這い上がろうとします。主人公は海からやってくる蟹をほとんど一晩中払い落とし続けなければならず、寝苦しい夜を過ごします。そして朝起きても、そのバラの香りが口のなかに残っています。
この最初の1ページ足らずの描写だけで、もうすでにお腹いっぱいというか、ごちそうさまというか、ぞっとするというか、すばらしすぎるというか、続きは読んで下さいというか。ゲロゲロに甘いカクテルを飲まされているようです。もちろん日本人の私たちにとってこの描写は「幻想的」という以外にないわけですが、コロンビアでは(そのままではないにしても)まさか似たような現象が起こることがあるのでしょうか? 海からバラの香りがするってどういうこと? この情景をガルシア=マルケスがどこから思いついたのか、不思議でなりません。
また、私のもう1つのお気に入り短編『エレンディラ』は、主人公の少女エレンディラが、祖母の入浴を手伝っている場面から始まります。そして、このお風呂がすごい。「ローマ風呂めいた孔雀模様と稚拙なモザイクで飾られた浴室」。そこでエレンディラは、「はい、おばあちゃん」とかわいらしく返事をしながら、薬草やいい香りのする木の葉っぱを浮かべた浴槽で、白鯨のような祖母の身体を洗います。入浴がすむと、寝室で祖母の髪に香水を振りかけ、彼女の髪を1本1本丁寧にほぐし、瞼に麝香を、爪に真珠色のマニキュアを塗っていきます。そしてそんなおばあちゃんによって、エレンディラは男たちに売られていくのです。
どちらの小説も、汗のにおいと、埃っぽさと、きつい香水が、読んでいるうちに頭のなかに充満していきます。本当はもうちょっといろいろ書いてもいいのですが、これらの小説の魅力について語るには、冒頭に少しばかり触れるだけで十分かも。
「マジック・リアリズム」という考え方
私は大学時代の専門が(一応)シュルレアリスムだったこともあり、「シュルレアリスムがいちばんヤバイ」とどこかで鼻息ふんふんしていた気がするのですが、このガルシア=マルケスの小説、そして彼の小説を語るときによく用いられる「マジック・リアリズム」という考え方があることを知ったとき、「やばい。シュルレアリスムよりすごいヤツがいた」と、思いました。
「マジック・リアリズム」とは、香水のかおりに引き寄せられて女性の身体に群がる無数の蝶のように、「こちら」では想像し難い不思議なことが、「あちら」では実際の現実であることがある──というくらいの意味だと私は解釈しているんですが、「現実を超えてしまう」シュルレアリスムよりも、「それが実際に現実である」マジック・リアリズムのほうが、やばいんじゃないかと思ったのです。私たちが信じているこの世界が、崩壊してしまうから。『エレンディラ』を読んでいると、もうじゃんじゃん壊してくれとだんだんヤケになってきますがね。
ガルシア=マルケス以外にこのマジック・リアリズムの作家をあげるとするなら、同じくノーベル賞作家の莫言です。莫言の『赤い高梁』は、日本軍によって中国の抗日ゲリラが生皮をはがされる描写があったりとかなりエグイですが、赤く高くそびえる一面の高梁畑と、真っ赤な血の色が相まって、何とも言い難い世界観を作り上げています。あまりにも残酷な様々な描写は、現代の私たちからすると幻想的な域までいってしまっていますが、これもまた世界のどこかでは「現実」だったと考えると、今立っているこの地がグラグラと揺れて、安定を失ってしまいます。
- 作者: 莫言,井口晃
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/12/17
- メディア: ペーパーバック
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あとは、シュルレアリスムの映画監督として知られるルイス・ブニュエルの『糧なき土地』というドキュメンタリー映画からも、私はマジック・リアリズムを連想してしまうんですよね。もっともこの映画にはかなり“演出”もあったようで、正確にはドキュメンタリーとは言い難いかもしれませんが。
これは、スペインの山奥にある小さな集落の貧困を描いた作品なんですが、近親婚をくり返したことによって知的障害をもつ人がたくさんいたり、村中の人が伝染病に感染してしまったりと、目を覆いたくなるような映像が次々に流れます。DVDのジャケットになっている腕の細い少女は、栄養失調から、撮影2日後に亡くなってしまったといいます。
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創作だけど創作じゃない、演出もあるけど演出じゃない……マジック・リアリズムはそうやって、こじんまりとした「こちら」の世界を、がくがくと揺さぶってくるわけです。
ガルシア=マルケスを読もう!
偉大な人が亡くなるたびに、「何でもっと早く多くの作品に触れなかったのか……」と苦々しい後悔をくり返している私なんですが、このガルシア=マルケスも例外に漏れず、「もっとちゃんと『百年の孤独』読めばよかった、『族長の秋』読めばよかった」と悶々としています。偉大な作家とたとえ少しでも同じ時代を生きることができたことは、紛れもない幸運のはずです。
亡くなったのを機に……というのは残念ですが、みんなでガルシア=マルケスを読みましょう。というか、読みます。私が。
*1:その後、家系図を見ながらちゃんと読み直しました。超面白かった!