「人間は、2種類に分けることができる。○○な人間と、××な人間だ。」
っていうフレーズはよく聞きますけども、私のなかで最近ヒットしたのは、『宮台真司・愛のキャラバン――恋愛砂漠を生き延びるための、たったひとつの方法』のなかで語られていた、以下の分け方です。
宮台 僕は人を〈内在系〉と〈超越系〉というふうに分けて考えています。〈内在系〉を簡単に言うと「安心・安全・便利・快適が幸せ」みたいな人。でも、ここにいる四人ってどう見ても〈超越系〉なんですよ。「僕は幸せだ。だから幸せじゃない」と考えてしまう。
※強調は(チェコ好き)
『愛のキャラバン』は、社会学者の宮台真司氏と、ネット上で有名なナンパ師たちによる、2012年のトークライブの様子を書き起こした書籍です。「ナンパ」を主軸に性と愛を考えるという、とても興味深い本でした。というわけで、今回はこちらの本の感想です。
宮台真司・愛のキャラバン――恋愛砂漠を生き延びるための、たったひとつの方法
- 作者: 宮台真司,鈴木陽司,高石宏輔,公家シンジ
- 出版社/メーカー: にどね研究所
- 発売日: 2014/01/08
- メディア: Kindle版
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- 作者: 宮台真司
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2013/12/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「ここではないどこか」へ行きましょう
冒頭の話にもどりますが、人を〈内在系〉と〈超越系〉に分けることができる-ーとしたら、自分ははたしてどちらの人間に分類されるのか、胸に手を当ててよーく考えてみると、だいたいの方は「自分はこっちだな」と見当がつくと思います。ちなみに私は、思いっきり〈内在系〉。エグい映画もエログロの漫画も大好きだけれど、自分の身は絶対に〈こっちの世界〉に置いておきたいタイプです。お化け屋敷は好きだけど、心霊スポットには行きたくないタイプ、と言い換えてもいいかもしれません。
一方〈超越系〉とは、言葉で表そうとすると少々難しいですが、ようは〈内在系〉の逆を考えてみればよいと思います。一線をスッと飛び越えて、心霊スポットや〈あっちの世界〉に行ってしまえる人ですね。私のなかでは、やはり一角の人間になるためには〈超越系〉にならなければいけないのではないかという考えもあって、時折自分という人間の器の小ささに死にたくなることもないではないですが、〈内在系〉で居続けようとするこの姿勢は、今後も崩すことはないんだろうなぁと思います。
ところで、昨今の有名なナンパ師の方々は、この〈超越系〉に分類されることが多いようです。冒頭の引用部分には「僕は幸せだ。だから幸せじゃない」という言葉がありますが、「不幸なほうが濃密で幸福なんじゃないか」という雰囲気を、一部のナンパ師は漂わせているらしい。そして、声をかける女の子も同じような〈超越系〉の人を選ぶと、ナンパの成功率が上がるといいます。
では、その〈超越系〉の女の子ってどういう子なのか。これを一目で見分けるのは素人には困難だろうと思われます。ただ、一目で見分けなくてもいいのなら、そして架空の存在でもいいのなら、私の頭のなかにパッと思い浮かんだのは、山内マリコ氏の小説『ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)』に登場する、ファスト風土とよばれるような土地で生活する女性たちでした。
もちろん、私はここで「地方で暮らす女性はナンパにひっかかりやすい」とか、そんなことをいいたいわけではありません。小説のタイトルがすべてを物語っていますが、都会だろうと地方だろうと、「ここは退屈迎えに来て」、そんな鬱屈した思いを抱えて過ごしていると、街中でふと声をかけてくれた誰かが、「ここではないどこか」へ連れ出してくれるように見えるのではないか、そんなふうに考えました。
ただし、同じ人間のなかでも、「ここは退屈」と時間を持て余しているときもあれば、「そんな余裕はないっ」と走り回っているときもあるでしょう。「ここは退屈迎えに来て」とは、人間の種類ではなく、状態です。「ここではないどこか」を求めているときに、その日常から連れ出してくれそうな相手に声をかけられると、そこで2人はフッと共鳴してしまうのだろうな、と思いました。
「ここではないどこか」へ連れていってくれそうな人、そんな人になるためにはどうすればいいのかというと、本書ではそれを〈変性意識状態〉、トランス状態になることで達成すると解説しています。〈変性意識状態〉とは、「周囲の情報を遮断して自分の感情に入りこむ/感情の振れ幅がものすごく大きくなっている状態」のこと。有名なナンパ師の方々は、自らを意識的に〈変性意識状態〉に持っていくことができ、さらに声をかけた女の子のことも同じ状態へ引っ張ることができるらしいです。〈変性意識状態〉とは何か、このあたりは体感的な部分も大きいと思うので、興味のある方はトークライブ中に行われた〈変性意識状態〉の実践編である、下の動画をご覧になってみてはいかがでしょうか。
【高石宏輔】変性意識状態=トランスって何? みんなでやってみよう! - YouTube
動画を最後まで見てもらえれば分かる通り、これは最後に「頭がちょっとボンヤリした状態」になると、〈変性意識状態〉になるのに成功したといえるみたいです。で、自分もこれ数回試してみたんですけど、私こういうの致命的にヘタクソなんですよね。ちなみに、これに成功した人はナンパの素質があり、上手くいかなかった人は機械的な声かけしかできないようです。成功した人は〈超越系〉の素質があり、失敗した人は〈内在系〉である、といってもいいかもしれないですね。
越えてはいけない、最後のライン
日常から「ここではないどこか」へ脱出し、非日常の状態にいる男女(あるいは、同性でもいいですが)が共鳴し、一夜だけものすごく濃密な関係を結ぶというのは、双方が合意の上であれば、私は誠にけっこうなことであると思っています。
ただ、〈内在系〉の私がふと心配してしまうのは、その〈変性意識状態〉、トランス状態って自分でちゃんとコントロールできるのかな? ということ。もちろん、熟練の方であれば暴れ馬の手綱を捕まえてちゃんとコントロールできるのでしょうが、〈変性意識状態〉ってようは〈イっちゃってる状態〉なので、手綱からふっと手が離れてコントロールできなくなっちゃったらどうするんだろう? なんてことを考えたりもしました。
たとえば、私はこの方存じ上げないのでよくわからないですが、著書『即系物件』で渋谷の少女たちの様子を描いたカリスマナンパ師のsanzi氏は、児童買春・ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕されています。
これって、トランス状態を繰り返すことでやっぱり「手綱がはなれちゃった」んじゃないかなぁ、と私は思ったんですよね。〈変性意識状態〉みたいのに入るのがどヘタクソな私でも、何かそういう状態になるとほわ〜んとして気持ちいいんだろうな、くらいは想像でわかるわけです。でも頭が〈イっちゃってる〉状態だと、「越えてはいけない、最後のライン」が曖昧になったりしないのかな、とか思いました。私はラインを踏み越えてしまうのが嫌なのでそもそもラインに近付かないという戦法をとっている人間なんですけども、世に生きる方々はそのへんをどう努力しているんだろう(本筋と関係ない話だった)。ラインのギリギリまで近付いてみたいという〈超越系〉の方は、止めないけれど、すごい練習したほうがいいんじゃないかなーと思いました。
あとはこの『即系物件』という本、私は未読なんですが、表紙にすごいことが書いてありますね。「退屈で死にそうって、この気持ち…わかる?」
人間てやっぱり退屈だと死ぬんだ、と思いました。
まとめ:文脈が共有できない世界
本書は繰り返すようにとても興味深い書籍だったのですが、私の理解の範疇をこえる描写が度々あったため、もしかしたら自分がものすごく誤読してこのエントリを書いているんじゃないかという心配もあります。でも、「文脈が共有できない世界に挑む」という体験は、なかなかの手応えを感じさせてくれるものでもありました。そもそも、人間は自分と関係のない文脈を無意識に生活のなかで切り離している傾向があるので、「文脈が共有できない世界」を見つけられたことこそが、実はすごいラッキーなことだったんじゃないか、と自分を持ち上げてみたりします。
『愛とキャラバン』で語られているような「性」と「愛」は、語る人は語りすぎるくらい語るけど、語らない人は一切語らないみたいなところがあって、中間地点を見つけるのがなかなか難しかったりもします。
切り口は変えるつもりですが、私はこの界隈をもうちょっとフラフラしてみようかなぁ、と思いました。