カンボジア旅行記の続きです。前回のエントリはこちら。
aniram-czech.hatenablog.com
ポル・ポトによる虐殺の舞台となったプノンペンのキリング・フィールドを訪れた後、トゥクトゥクに乗って中心部に戻り、トゥール・スレン博物館に向かいました。この場所にある建物はもともと高校だったそうなんですが、ポル・ポトの時代には刑務所として使われることになります。
なお、ここには2万人もの人が収容されていたそうなんですが、生きてこの場所を出ることができたのは、たった7人だったらしいです。
最初に入った棟には、拷問に使われていたというベッドが展示されていました。ネットで見る限り写真がけっこうあったので撮影OKなのかと思いきや、最近になって室内は一切撮影禁止になったようで、写真は撮れませんでした。まあいいんですけど。
部屋の真ん中にポツンと置かれた鉄製のベッドのまわりに、用途がよくわからない(というかあまり考えたくない)鎖のようなものが絡み付いており、よく見るとその下には血痕らしきものが見えます。そしてベッドの上に目をやると、ここで亡くなった方の写真が。白黒写真なのでどういう状態なのかよくわからなかったのですが、まああんまりカラーでは見たくないな、という類の写真であったことはまちがいありません。
表に出ると、これまたパッと見だと用途不明の鉄棒のようなやつと甕があったんですが、なるほど、これはこうやって使っていたらしい。
拷問器具は絵とセットで展示されています。どれも、あんまりいろいろ想像したくない絵です。
別の棟に移ろうとすると、こちらは鉄条網で覆われていました。鉄条網ってやつは、なんでこんなに人を荒んだ気分にさせるんでしょうね。
こちらの建物のなかには、独房が並んでいました。撮影はできなかったのですが、自由に入ってもいいみたいだったので、しばらく独房のなかでじっとたたずんでみました。ところどころに血痕と思わしきものがあり、だんだん悪寒がしてきたので、そんなに長くはいられませんでしたが。
ここで命が尽きることがほぼ確実で、もう自由の身として外に出ることはできないって、どんな気分なんだろうと考えてみたんですが、あまりにも実感がわかなくて、私にはよくわかりませんでした。
『ヒア&ゼア こことよそ』
私には、「ここを訪れないうちは死ねない」と思っている場所が世界に何か所かあるんですけど、そのなかの1つがポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所です。で、今回訪れたプノンペンの2か所とかアウシュヴィッツのような、“人類の負の遺産”ともいえる場所を観光としてめぐることを、「ダークツーリズム」というらしいです。
図らずも生まれてしまった人類の負の遺産を保存し、それを開放して後世に伝えていくのは、意味のあることです。だけど、プノンペンの虐殺関連の施設をめぐってみてかんじたことは、正直な話、衝撃とか、ショックとか、気分の落ち込みよりも、私はどこまでも観光客であり、それを超えた存在にはなれないのだ、ということでした。
うまく言葉にできないのですが、キリング・フィールドにもトゥール・スレンにも、犠牲になった方々の骨や、血痕や、衣服の切れ端があります。それらを目にして、明るい気分になる人間はいないでしょう。そこで行なわれた凄惨な出来事を耳にすれば、気持ちは暗くなり、人によっては吐き気だってするかもしれません。
私の今回のカンボジア旅行は期間にして約1週間だったのですが、プノンペンを移動した後も、ずっとポル・ポトとクメール・ルージュと、この地で行なわれた虐殺のことを考えていました。街がどんなに明るくても、クーラーの効いた快適な部屋にいても。観光客であふれかえるアンコール・ワットにいても、ふとした瞬間に頭をよぎりました。
だけどどうしても、どんなに考えても、トゥール・スレンの独房を生きて出ることができなかった人たちの気持ちが、私には実感としてわからなかった。鉄条網に囲まれた棟の暑くて狭い独房は、少しの間たたずんでいても、すぐ横に私と同じようなことをやって考え事をしている西洋人の男性がいて、それが私の恐怖心をいくらか和らげてくれました。
ジャン=リュック・ゴダールが70年代に製作した映画に、『ヒア&ゼア こことよそ』という作品があります。私がトゥール・スレンで思い出したのはどういうわけか、この映画のとあるワンシーンだったんですよね。
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それは、パレスチナ革命の様子をお茶の間のテレビで眺めているフランスの一般家庭を映し出した場面なんですけど、「ここ=テレビのあるお茶の間」と「よそ=パレスチナ革命が起きている現場」の間にはものすごい断絶があるぞ、みたいなことを強調しているシーンなんです。
ゴダールの『ヒア&ゼア』は、同時代に起きている出来事でも、距離の隔たりによって「断絶」が生まれていました。だけど、私が体験した『ヒア&ゼア』は、同じ場所に立っていても、時間の隔たりによって、やっぱり「断絶」が生まれていた。かつて、私がフラフラと歩いていたまさにその場所で、拷問が行われ、人が殺されていたのに、今はもう、その場所にいることによって、私の身が脅かされることはありません。生々しい血痕が残っていても、私の血が流れることは絶対にありません。なんだかめちゃくちゃ当たり前のことをいっているので、「は?」というかんじが自分でもするのですが、それはなんだかすごく不思議なことのように思いました。
”負の遺産”を観光地化することって、やっぱり供養に似ているのかもしれません。そこで行われていた凄惨な歴史を、一度きちんと終わらせないと、その場所は観光地にはできない。まだその歴史が続いている「連続」した場所であったら、そこに観光客は呼べないのです。
負の歴史の連鎖を断ち切り、「ここ」と「よそ」という断絶を作ることによって、取りこぼすものも、失うものも、もしかするとあるのでしょう。だけど、ここで行われたことを物語り、形と輪郭をあたえることによって、はじめて事件は、歴史の一部となれるのかもしれません。
★★★
ここからは余談ですが、約1週間の旅行を終えて日本の自宅に帰ってきたあと、荷物を片付けて一息ついたところで、疲れたので部屋で昼寝をしてたんです。そしたらですね、関東ではいつの間にか雨が降り出していたようで、ウトウトまどろんでいるところに、しとしとと、雨の音がするわけです。
私はキリング・フィールドで聞いた、”雨が降ると土が削られて、今でも人骨が出てくることがあるんです”という話がよっぽど記憶に残っていたのか、その昼寝をしている間、夢のなかでキリング・フィールドの管理人になっていました。雨のなか、土が削られて次々に出てくる骨を、私は無言で、一人でもくもくと拾っていたのです。
それは、恐怖も、気持ち悪さも、悲しさもない、どちらかというと淡々とした印象の夢だったのですが、目が覚めたあとはやっぱり何かがショックで、しばらくの間は放心状態になってしまい、なんにも手が付きませんでした。実際に行ったときは、正直「ただの草地だな」と思ってしまっていたので、妙な話です。
これからしばらくは、私は雨が降ると、キリング・フィールドのことを思い出すことになるんでしょう。実際に行ったキリング・フィールドでは、雨なんて降っていなかったのに。
旅行記は、まだ続きます。