というわけで、最後の旅行記です。私が遅筆なせいで時空が歪んでいますが、この旅行の期間は約1週間であり、そのうち遺跡めぐりに費やしたのは3日です。前回のエントリはこちら。
シェムリアップでの3日目は、郊外にあるベンメリアという遺跡を見に行きました。ベンメリアは日本人に人気の遺跡らしいです、なぜならラピュタのモデルになったという噂があるから。それを抜きにしてもあまりにも評判がいいので行くことにしたんですが、正直ラピュタのモデルという噂には懐疑的です。本当?
郊外ということだけあって、トゥクトゥクで片道2時間くらいかかりました。その間私はボケーっとしながらずっと変わりゆく景色を見ていたわけですが、ボケーっとしながらずっと「私はやっぱり旅行が好きだな」とか思っていました。
『D22 地球の歩き方 アンコールワットとカンボジア 2015 (地球の歩き方 D 22)』によると、ベンメリア周辺はまだ地雷撤去作業が続いていて、信頼できるガイドをつけないと見学は危険みたいなことが書いてあったのですが、この情報はちょっと古いんじゃないかと思います。中国人のツアー客がぞろぞろいましたし、歩道がきちんと整備されていて、ガイドなしで余裕でまわれました。ネット上では、その辺の暇そうな子供に声をかけてチップをあげると普通は行けないような変な道を案内してくれると書いてあったので、暇そうな子がいたらナンパしようかなと思っていたのですが、そういう子はちょっと見当たりませんでした。良くも悪くも、観光地になるとはきっとこういうこと。
途中、懐中電灯がないと危ないくらいの暗い道があったりして、私はそこで初めてiPhoneのペンライト機能? を使ったのでした。
ベンメリアは、なぜか遺跡そのものよりも片道2時間、往復4時間もかかったトゥクトゥクでの道中のほうが記憶に残っています。トゥクトゥクに乗っている間は本なんて読めないし、スマホをいじるのも微妙だし(SNS断ちしてましたし)、めっちゃ揺れるから寝ることもできないので、本当にずっとボケーっとしてたんですが、4時間ボケーっとするとか、なんて贅沢な時間の使い方をしたんでしょう。舞い上がる土埃と、バイクで行き交う人々と、色とりどりの果物や野菜がそろう屋台。それらが目の前を通り過ぎていくのを見ながら、本当に「私は旅行が好きだ……」とか、ずっとそんなことを考えていました。飽きもせずに。
で、ベンメリアの帰りに寄ったのがロリュオス遺跡群。ベンメリアまで往復で35$で行ってもらったのですが、「あと5$でロリュオス遺跡群まわるよ」という営業トークにのせられてこちらも見てきてしまいました。
その1、ロレイという遺跡。工事中のようでした。ちなみに、この写真撮ってるときめっちゃ暑かった。
その2、バコンという遺跡と、その3、プリア・コーという遺跡。9世紀に創建されたものらしいので、シェムリアップの中心部になる遺跡よりも古いですね。
全部をまわり終わったのがやっぱり14時くらいで、しかしとにかく暑いのでドロドロに疲労しており、ホテルにもどってまた昼寝してしまいました。3日間お世話になったトゥクトゥクの兄ちゃんともこの日でお別れ。どうもありがとうございました。
ちょっと休憩したあと、国道6号線沿いにあったマーケットをフラフラしてみたり、夕飯を食べに行ったりして、実質カンボジア最終日となったこの日は終了したのでした。
旅行を終えて
さて、旅行記はとりあえずここで終了です。プノンペンからシェムリアップへ、シェムリアップから成田空港へと帰った私は、今はこうしてまた日本でブログを書いたり、普通に生活しています。
「川添さんとイスラエルへの想いを語ったwebラジオ - チェコ好きの日記」でもちょっと語っているのですが、私が当初カンボジアに旅行することを決めたとき、そのきっかけはごくごく普通の「アンコール・ワットを見たい」というものだったんですよね。もちろん、アンコール・ワットも実際に見たし、それが旅のメインの1つであったことに変わりはありません。だけど旅行前にカンボジアについて調べているうちに、ポル・ポトの虐殺について考えることになったのは、私にとって自然な流れでした。旅行記はここで終わりですが、私は引き続き虐殺関連の本を読んで、またいろいろと考えることになるのだと思います。
私たちは日本人なので、日本の歴史について知ること・学ぶことは必修科目というか、普通にしていれば一通りのことは考えることになる宿命にあります。だけどそれ以外の国の歴史は選択科目というか、自分で動かない限りは深く考えずに通り過ぎていってしまうんですよね。それは悪いことではなくて、いってみればどうしようもないことで、すべての国の歴史や文化に深く関わることはできません。そんなことをしようとしたら、膨大な時間と体力が必要になりますから。
おそらく私は、プノンペンで訪れたキリング・フィールドとトゥール・スレン博物館のことを10年後も20年後も覚えているだろうし、そこで考えたことを忘れないでしょう。私は正直カンボジアという国に、チェコやイタリアほどの思い入れはないですが、それでもこの国の歴史について考える機会が持てたことを、幸福に思います。それは人との出会いにも似ていて、きっかけは偶然なのだけど、その偶然は記憶に残り、死ぬまでの永遠になります。同時に、ただ生きているだけで、私たちは通り過ぎるたくさんのことを取りこぼしてしまう。それはどうしようもないことです。
あとはなんというか、ベトナム戦争ですね。この旅行記で度々引用していた『地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)』という本ですけど、カンボジアはベトナム戦争に巻き込まれ、その後ポル・ポトによる虐殺の歴史を迎えるという、かなり大変な運命をたどっています。今は立派な観光地になっているシェムリアップも、かつては戦場であり、郊外の一部ではまだ当時の地雷が埋まっているそうです。私はこの本を、プノンペンから読み始めシェムリアップで読み終わるという、まるで著者の一ノ瀬泰造さんの足跡をたどるような読み方を偶然してしまったのですが、旅先で現地に関連する本を読むというのは本当におすすめです。不思議な感覚が味わえます。
クメール美術と、ベトナム戦争と、ポル・ポトの虐殺。私がカンボジアから持ち帰ったお土産はこんなラインナップになったわけですが、これらは日本に帰ってきてからも、なおアラームを鳴らし続けながら、私に「考えろ」と訴えかけてきます。
旅行はまた新たな旅行の呼び水となって、私は来年、またどこか別の土地を訪れることになるでしょう。そうやって、私はこの先もずっと、旅に翻弄され続けます。
【おわり】