かなりのんびりペースで更新している旅行記です。前回分はこちら。
aniram-czech.hatenablog.com
ちなみに、たまに誤解されている方がいて紛らわしくて申し訳ないと思うのですが、私は3月半ばには日本に帰ってきておりますので、今外国にいるわけではありません。リアルタイムの旅行記はnoteで更新していました。
今回は、モロッコのシャウエンという青い街を後にし、夜行列車に乗ってモロッコを南下、たどり着いたマラケシュという場所について書こうと思います。
砂漠に行かなかったことを後悔している
マラケシュの話を始める前に、実は今回の旅行において1つ強烈に後悔していることがあって、それは砂漠に行かなかったことです。アトラス山脈をこえ、隣国アルジェリアに近付くと、モロッコには砂漠がある。地名でいうと、ワルザザートとかメルズーガとかっていう場所が、モロッコで砂漠の観光ができるエリアです。
私が今回旅行したスペイン南部、モロッコ、ヨルダン、イスラエルおよびパレスチナ自治区、ギリシャといった地域は、大変歴史が古く、そして基本的には一神教のエリアです。ユダヤ教とイスラム教とキリスト教が対立し、そのための紛争が絶えなかった地域です。だけど、おそらく日本人の大半は、特定の宗教が、というよりは「一神教」という世界観が、理解できないのではないかと私は考えています。
アフリカのほかの土地では、人は足の下にある大地のこと、植物のこと、動物のことを意識してしまう。力はことごとく大地に集約されているようだ。だが、北アフリカでは大地は風景の中でたいして重要な部分を占めていない。なぜなら人はしょっちゅう空を見上げているからだ。乾燥した風景の中では空が最終的に決断を下す。このことを頭でではなく心で理解してしまえば、権力の源をこの地上から地球の外の世界へと移してしまった三大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が一神教であり、砂漠の地域で発達したのがなぜかもわかるだろう。
私たちが暮らしているアジアという地域は、自然が豊かで、雨季と乾季があり、虫や動物がたくさんいて、植物が大きく育って、世界はとってもカラフルでキラキラしています。そしてそういう地域は、多神教的な世界観がとっても馴染みやすい。なぜなら、神秘性をかんじるものが身近にワラワラとたくさんいるからです。
だけど、上記で引用した作家のポール・ボウルズがいうように、一神教が発達した地域には一神教が発達しただけの理由があると思うんです。私は今回ワルザザートやメルズーガのような「THE・砂漠」には行かなかったけど、砂漠に近いエリア、「空が最終的に決断を下す乾燥した風景」のなかを旅してみて、「おお、一神教ってこういうカンジか!」って思いました。「こういうカンジ」を言語化するのはすごい難しくて、それこそ実際に行ってみて「こういうカンジ」を体感するしかないと思うのですが、そうよね、こういう地域じゃ必然的に一神教になるよねえ、などと思いました。
「こういうカンジ」をより強力に掴みたいから、私はやっぱりいつかもう1回モロッコに行って、今度こそ砂漠を旅したいなと思います。ラクダに乗って、灼熱の砂の上を揺れてみたいです。空の太陽がすべてを司る(ように見える)世界を、生と死のコントラストが強烈な世界を、この目で見てみたいです。ボウルズは、「砂漠に出ることは、孤独の洗礼を受けること」ともいっています。こんなことをエッセイに書かれたら、もう行くしなかいよね。
ここで論理的な質問をするとしたら、それはおそらく「なぜ行くのか」という質問だろう。答えは、いったんそこに行って孤独の洗礼を体験してしまうと、もう病みつきになってしまうということだ。いったん広大で光り輝く静寂の土地の魔法にかかると、ほかのどの場所にも十分に惹きつけられなくなってしまう。ほかのどんな環境も、絶対的なものの真ん中にいるという最高の満足感を与えてはくれない。どんなに安楽な暮らしと金を失っても、旅行者はどうしてもここに戻ってくる。絶対には値段がないのだから。
マラケシュのピンク
さて、というわけで砂漠の話は終わってマラケシュです。シャウエンが青の街なら、マラケシュはピンクの街。いやらしい意味ではなく、土の色というか、頭のなかに残る全体的なイメージがピンクだから。(壁の色がピンクっぽくありませんか?)
そんなマラケシュという街の特徴は、旧市街に広大な迷路が広がっているところ。「迷路」とサラッと書きましたが、日本では絶対に味わうことのできない悪夢さながらの迷路です。下の写真は「地球の歩き方」から切り取ってボロボロになった地図ですが、こんな細けぇ道を書かれてもわからんて。マラケシュを歩くとき、紙の地図はほとんど用をなさないと思ってください。現在地がわかるGoogleマップだとちょっとは用をなすかもしれませんが、目印が何もないし、ぐるぐる同じようなところを歩いているうちに方向感覚を失うので、いずれにしろ「大都市のなかで遭難する」という稀有な体験ができるでしょう。人をあざ笑うために作られた街だとしか思えない。
繰り返しますが、大きな建物や目印になるようなものが何もないので、「布が売ってる店」とか「インディアンの落書き」とか「サボテンの看板」とか古典的なものを目印にして進むのですが、夕方になるとサボテンの看板がしまわれていたり、まったく同じ落書きがちがう場所にもあったり、昼間は通れた道が閉鎖されていたりするので、夜になって宿に帰る道がさっぱりわからず、久々に本気で泣きたくなりました。結果的にどうにか見覚えのある道に出て宿に帰りつけたものの、なぜその道に出れたのかわからない。どこかでワープしたのかな? 「この道を進むと時空が歪んでいるので東に歩いてても西に出る」みたいなトリックがないと説明できないような部分があるので、モロッコの魔法使いが旅行者を惑わせているのではないかと思います。ボウルズがマラケシュのことを書いたエッセイで、彼は現地の人に黒魔術の店に案内されていたので、あながち間違ってもいないでしょう。ちなみに下の写真は、蛇使いのお兄さんたち。
だけど、暑いわ道に迷うわ現地の子供にたかられるわでとてつもなく消耗したマラケシュ、散々な目にあったはずなのに不思議と懐かしく、「また行きたい」と思ってしまうから妙なものです。なぜたくさんの時間とお金をかけてまでわざわざ理不尽な思いをしたがるのか、旅行者というのは本当にバカな生き物です。
ちなみに、旅行記はあと「ペトラ編」と「イスラエル編」と「パレスチナ自治区編」と「アテネ編」、残り4回で終了予定です。
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