村上春樹の『1973年のピンボール』を読んだのは高校生のときだったので、もう10年以上も前です。
当時読んだ感想を覚えている限りで率直にいえば、この小説は正直何も面白くなかった。ただ私の読解力がなかったといえばそれまでですが、だってめちゃくちゃ読みにくいし、その読みにくさを我慢してまで読み解かなければいけない何かがあるようには、高校生の私には到底思えなかったのです。
が、「今読み返すとどうなんだろう?」とちょっとした好奇心を抱いてしまったので、10年経った今もう一度読んでみました。結論からいうと、面白いか面白くないかでいえば、やっぱりあんまり面白くなかった。だけどせっかく読み直したので、10年前にはできなかったこの小説における「謎解き」を今、やってみようと思います。
ちなみに、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を10年ぶりに読み返した感想も昔に書いています。
時系列で考えるあらすじ
『1973年のピンボール』を私が読みにくいとかんじる最大の要因は、まず時系列がぐちゃぐちゃってことです。1960年→1969年→1973年みたいに順繰りに話が進んでいってくれればいいものを、1973年の話が出てきたあとに1969年の話が出てきて、今度は1970年に飛んで、そしてまた1961年にもどって……みたいになっています。どの話がどの話の前なのか、あるいは後なのか、ぼーっと読んでいるとだんだんわからなくなってくる。話が盛り上がってきたところではぐらかされる。だから私にとってはすごく読みにくいし、つまらない小説です。
だけど、幸いなのはこの小説が「段落ごと」に場面が変わっているということです。つまり、時系列がぐちゃぐちゃでわかりにくいというなら、ブロックを解体して組み立て直すように、一度段落をバラバラにして時系列に並べればいいわけです。
まずこの小説は、大きく分けて「〈僕〉のパート」と「〈鼠〉のパート」の2つがあり、それがだいたい交互に折り重なって進んでいきます。時系列がぐちゃぐちゃなだけでもわかりにくいのに、〈僕〉パートと〈鼠〉パートがあるもんだから余計わかりにくいのです。しかしとりあえず、2つのパートに分かれて話が進行していきます。
〈僕〉は現在、渋谷にある翻訳事務所に勤めながら仕事をしています。そして、〈僕〉はなぜか双子の女の子と共同生活を送っている。一方、〈鼠〉はジェイズ・バーという酒場に通い詰めて、なんだかごちゃごちゃやっています。
時系列順にあらすじを書くとするならば、まず1969年、〈僕〉はガールフレンドの直子と大学のラウンジでおしゃべりをしています。ところがその後、何か事情があったらしく、1970年に直子は自殺してしまいます。「直子が自殺した」とはっきり書かれているわけではないのがまたややこしいところなのですが、そう読み取れる描写が多いので、謎解き界のなかでは「1970年、直子自殺」が定説になっているみたい。そしてそのことに〈僕〉は大変ショックを受け、ゲームセンターにあった「スペースシップ」というピンボール・マシーンにハマってしまいます。だけど、1971年の2月、ゲームセンターが取り壊されたのと一緒に、その「スペースシップ」も姿を消してしまいます。
ピンボール・マシーン「スペースシップ」は直子の魂とつながっているらしく、〈僕〉がゲームをプレイしていると、「あなたのせいじゃない」「あなたは悪くなんかない」という声が聞こえてきます。なので、〈僕〉は直子の魂とつながったピンボール・マシーン「スペースシップ」を求めて、ピンボール・マニアの情報をもとに台を探しに行きます。そしてどうにか「スペースシップ」の台をとある倉庫のなかに見つけるのですが、直子との会話はそこで途切れています。
そして最後(本の順番的には冒頭なのですが)、1973年5月、〈僕〉は1969年に大学で直子と話していたとある駅を訪ねます。そして1973年の秋、〈鼠〉はジェイズ・バーでジェイと会話をしています。
〈僕〉と〈鼠〉、それから配電盤や双子
……というわけでここから意気揚々と謎解きに入ろうと思ったのですが、10年経った今でも、私は正直この小説全然わかんないです。まず中心に〈僕〉がいて、〈鼠〉はどうやら〈僕〉とまったく無関係の他人ではなく、ありえたかもしれない〈僕〉、パラレルワールドの〈僕〉のようです。だけど、なぜ〈僕〉の物語とは別軸で〈鼠〉の物語を進める必要があったのかよくわからないし、〈鼠〉を〈僕〉にドッキングさせて、構造をシンプルに、エピソードは時系列に並べるのではダメだったんだろうか? などと考えてしまいます。こんなに構造がぐちゃぐちゃしていることに意味があるのか、よくわかりません。あとは「配電盤」の意味は何かとか、「双子」の意味は何かとか、考えるべき題材はけっこうあるのだけど、謎解きはめんどいから私はあんまり好きじゃなくて、さっさと答えを出してくれ、という気分にもなってきます。
『1973年のピンボール』は、その後の『羊をめぐる冒険』とか『ノルウェイの森』とかの準備をした小説であって、この作品単体ではあまり意味はないんじゃないかなんて思ってしまったのですが、はたして他のハルキスト──村上主義者はどう解釈しているんでしょう。私は村上春樹が好きだけど、「エッセイが面白い」とかいってる邪道ファンなので、そこらへんはよくわからないのでした。
しかし今、私のなかで〈再読ブーム〉が来ていまして、高校生や大学1・2年生のときに読んだ小説をいろいろ読み直しています。『カラマーゾフの兄弟』はKindleUnlimitedにあるので、ここぞとばかりに利用しています。
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