チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

最低な食事と、最高な食事

先日、こんなツイートをした。私、よくごはんを食べ忘れるのです。



「食」に関しては、誰であろうと一家言あるはずである。なぜなら、本を読まない人間、旅行に出かけない人間、働かない人間はいても、食べない人間はいないからである。というわけで、私の現時点の「食」に対する考え方を、少しだけ記録しておこう。

拝啓、悪役マーガリン様


最近、人にすすめられて松浦弥太郎さんの『場所はいつも旅先だった』を読んでいた。主にアメリカで過ごしたオシャンティな日々が綴られているエッセイなので、「けっ」と思いながらKindleのページをめくっていたのだが、「けっ」は私の場合、褒め言葉と紙一重というかほぼ同義である。たぶん自分がナルシストだからだけど、他人の書くものも、「この人、今、自分のことカッコイイって思っただろ!?」的な記述に強く共鳴してしまう。まあ、その話はいいとして……。


場所はいつも旅先だった (集英社文庫)

場所はいつも旅先だった (集英社文庫)


ちょっと驚いたのは、あの(?)松浦弥太郎さんが、毎朝の朝食として「マーガリンを塗ったトースト」を愛していたことである。


マーガリンといえば、やれトランス脂肪酸がどうのとかで忌み嫌われ、近年ではすっかり悪役扱いだ。この書籍が出たのは2011年らしいので、もしかすると今の松浦弥太郎さんはもう「マーガリンを塗ったトースト」を愛していないかもしれないけれど、少なくとも数年前は、「朝の忙しい時に前もって冷蔵庫からバターを出しておいて、やわらかく溶かしておくのは億劫で仕方がない」と、はっきり書いているのである。そして、私はこの部分を読んだら、すごく気が楽になった。

「毎朝の食事のこと、めんどくせえって思っていいんだ!」って。

最低な食事と、最高な食事

もう少し長目に引用してみよう。

『僕が好む単純な食生活とは、最低か最高そのどちらかの食事である。『プラザホテル』や『サラベス・キッチン』の朝食は最高であろう。我が家のトースト一枚、コーヒー一杯の朝食は、言ってみれば最低であろう。しかしどちらも僕にとってはうまいのである。
(中略)
僕は最低の中から最高を見つけたい。もしくは最高をもって最低を知りたい。


先日のツイートから、もしかすると、私がとてつもなく悲惨な食生活をしているのだと連想してしまった人もいるかもしれない。まあ、確かに悲惨には違いないかもしれないけど、でも私自身は今の自分の食生活に、ほどほど満足しているんだよな。「もっと丁寧な食生活をしたい……」とかは、あまり、というか全然、思っていない。なんていうか、日々の食事には、「ついうっかり忘れることもある」くらいのポジションでいてほしいのだ。


一人暮らしを始めたときからその兆しはあったのだけど、下の小倉ヒラクさんの記事を読んでからは「あ、じゃあもう私エンドレスこれでいいわ」と考え、基本的に家に一人でいるときは、お味噌汁と納豆ごはんとキムチor漬物を毎回食べている。お味噌汁の具はそのときによって変わるけど、メニューをほぼ固定にしたら食生活のストレスがなくなった。なんか、「毎回食べたいものを考えてレシピを検索して……」というのが、私にはかったるくてしょうがなかったみたいだ。


hirakuogura.com
(※まあ私、男子じゃないし、免疫力めちゃ高なんですけど)


土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』とか稲垣えみ子さんの『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』とかも、まあだいたい同じ思想から発展しているんだろうなと思う。毎回の食事を丁寧に、豪華に、大切に彩っているとちょっとめんどくさい。私は1日2食スタイルなので単純計算で365×2=730回の食事を1年でするわけだけど、そのうち「1人でお味噌汁と納豆ごはんと漬物」という「最低の食事」が8割くらい占めていても、自分的には全然かまわない。「大好きな人たちと、すごく美味しいものを食べる」みたいなのももちろん好きだけど、そういう「最高の食事」は月に2回もあれば、もう十分めちゃめちゃ幸せだ。


「食」だけでなく生活全般に関して私はそういう考え方で、旅行に行ったり楽しみなイベントや集まりがあったりするときももちろん心踊るのだけど、ただ起きて、会社に行って、帰ってきて、一人でお味噌汁飲んでる日だって十分好きだ。そういう日は地味だし「最低」かもしれないけど、あとから思い出してしんみりするのはそんな「最低」な日々の積み重ねだったりすることもある。私、引っ越しするとき、壁のシミとかを見て、「もうこのシミを見ることもないのか……」とかって号泣するタイプだからな。「最低」というと聞こえは悪いけど、ようはハレとケであればケの日だってちゃんと愛でたいということだ。


この前美容院に行ってファッション誌を読んでいたとき、とある美容コラムニストの方が「美しい女性であるためには、〈めんどくさい〉という言葉を使ってはいけません」と書いていて、まあ一理あると思うし人それぞれだけど、うるせえ、私はめんどくせえことは積極的にめんどくさがっていくぞ、と思った。


自分にとって大切なものと、優先順位さえわかっていれば、「めんどくせえ」って言っても、いいと思う。ものすごくポジティブに解釈すれば、つまり「めんどくせえ」とは自分にとって大切でないものを省いていく言葉だからだ。ま、私はいろんなことをめんどくさがりすぎなので、もうちょっといろいろ丁寧にやらないと、真人間に一生なれない気がするけど。


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(※これは先日作った牡蠣の炊き込みご飯とインスタントのお味噌汁。牡蠣は半額になっていたので買った。私はスーパーの見切り品みたいなのをよく買うのだけど、それは節約以外に、「とりあえず安くなってるやつを買う」というルールにすれば考える手間を省けるからでもある)
(※この写真を恋人に送ったら「おかずはないのか」と言われたので、「牡蠣ご飯のおかずは牡蠣ご飯だよ」と言いました)