1.
私は30歳過ぎの独身女性で仕事もそこそこお金もあんまないんですが、そのことはほとんど気に病んでおらず、わりと毎日のびのび、楽しく生活している。
2.
そんな生き方ができているから、本当はもっと、悩めるアラサーの独身女性に言ってあげられることがあるんじゃないかとも思うんだけど、私はそこらへんの共有が下手くそだ。というか、基本的にカルチャーにしか興味がないから、あんまり書けることがない。映画評とか文学評ならいくらでも書けるんだけど、恋愛コラムとか、結婚しない生き方とか、そういうのにそもそもあんまり興味がなくて(29歳を過ぎたあたりからさらに興味がなくなっちゃった)*1、無理やり書けば書けないこともないけど、やっぱり上手ではない。女性としての生きづらさみたいなのも、正直あんまり感じたことがない。
3.
私のまわりにはそういうのをとても上手に書く人がたくさんいて、そういう知人たちのことはとても尊敬していて、彼らが書いたコラムは彼らのことが好きなので読むけど、知らない人が書いた「生き方コラム」は、最近は興味がないので本当にほとんど読まなくなった*2。
4.
単純に興味があるものとしては、SF小説の歴史! とか、南極を探検するぞ〜〜! とか、マフィアの地下経済! とか、そういうのばっかり読んでる。そういうの読んでるとすっごくわくわくするし、落ち着くし、何よりホーム感がある。
5.
そしてそういう文章はあんまり(というか全然)ネットにないので、あってもまずSNSでシェアされないので、必然的に本をたくさん読むことになる。インターネットでは、基本的にウィキペディアを延々とさかのぼってずっと読んでる。
6.
しかし、逆説的にはなるけど、カルチャーにしか興味がないからこそ、こんな状況でも特に気に病まず、のんびり生きていられるのかなと思う。「誰がなんと言おうと好きな世界がある、素晴らしいと思えるものがある」ってけっこう強いのだ。
7.
そして、「何か言ってあげられることがあるんじゃないか」なんて、やっぱり傲慢な思い過ごしだったかもしれない。
8.
なんていうか、かつて同じように悩み迷ったことがある人が、どうやってそれを克服したかってのをみんな聞きたいんであって、「最初からあんま気にしなかったです」なんて話は、別に誰も聞きたくないしどこにも需要はないよね。私に言えるのは「気にしなきゃ気になんないよ」っていうトートロジーだけだ。私の生き方が誰かの救いになったらいいのになって思わないこともないんだけど、やっぱりあんまり参考にならないよね……。
9.
私はそもそも自分の生き方について(親も含めて)あんまり人にとやかく言われないのだけど、それはたぶん「こいつに何言っても無駄オーラ」が出ているせいだと思う。
ああいうのって、絶対に人を見て言ってる。だから人に何か言われて落ち込んでいる人は、本当に、そういうの気にしなくていいと思う。人を見て言ってるだけだから。それは別に全然正しいことなんかじゃないから。「なんか言ったらこいつ思い通りに動かねえかな、動きそうだな」って人にしか、人はとやかく言わない。
(まあ、「こいつに何言っても無駄オーラ」を出すことのマイナス面もあるので、これが必ずしも良いことだとは思ってないが)
10.
そんなわけで、私はカルチャーに生きカルチャーに死ぬカルチャーバカ。今いちばんハマっていることはトマス・ピンチョンの小説を読むこと、コンプレックスは英語が上手にしゃべれないこと。さっきオンライン英会話のフィリピン人の先生に怒られたのでちょっぴりヘコんでいる。でもドMだからまたその先生で予約しちゃった。
自分への誕生日プレゼントとして買ったトマス・ピンチョンの『V.』を読み始めたのだけど、かなり好きな世界観だ…著者のプロフィールからして厨二魂をくすぐる上、セックス、ドラッグ、パラノイア、悪魔、妄想、陰謀、そして訳がいいんだろうけどクッソ口が悪い。もっと早く読めばよかったな。 pic.twitter.com/EbtlwvMt5P
— チェコ好き (@aniram_czech) 2018年3月1日
『V.』のあらすじ、何言ってんのか全然わかんなくてヤバイ