チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

忙しいとき暇なとき

去年の今頃、記憶にある限りではずーっと全然なんにも予定がなくて、けっこう暇していた気がするんだけど、今年は良くも悪くも予定がたくさんあって最近ちょっと疲れている。暇なときは暇なときで「私このままで大丈夫か?」という気になってくるし、暇じゃないときは暇じゃないときで「ちゃんと毎日8時間寝たい」と思っている。どっちがいいかというと、別にどっちもよくない。


風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)


ただ、暇だった去年の今頃、世阿弥の『風姿花伝』を読んでけっこう感銘を受けたことを覚えている。名著すぎて感想を書こうにも手に負えずにいたのだけど、1年越しの今なら少し、手がつけられそうな気がしないでもない。


世阿弥の考え方の中には「男時」と「女時」というのがある。以下はちょっと自己流の解釈が混ざるけど、男時は運気の上昇期で、周囲からの注目度が高まるとき。一方の女時は運気の下降期で、周囲からあまり注目されないとき、物事があまり上手くいかないときである。


私たちはつい、華やかな男時をいいものだと考えてしまう。男時がずっと続くといいなと思ってしまう。だけど、男時と女時は交互にくるので、男時がずっと続くというのは好む好まざるに関係なく、ありえないのだと世阿弥はいう。


続いて世阿弥は、男時ではなく、女時をどう過ごすかが重要なのだと説く。いわく、自分が女時にいるなと思うときは、無理して勝ちに行ってはいけない。無理して予定を詰め込んだり、無理に周囲からの注目をかき集めようとしてはいけない。女時にさしかかっているときは、ただじっと待て、と説く。じっと待っていれば、必ずまた男時はやってくる。そのときにとっておきの演技(能の話なので)を見せてやればいいのだと、世阿弥はそういっている。


とはいえ、女時にさしかかっているときは、もう二度と男時はこないのではないかと焦ってしまう人も少なくないだろう。そういうとき、世阿弥のいっていることはただの精神論のように聞こえる。ただ、この1年で「忙しいとき」と「暇なとき」を両方経験した私としては、世阿弥のいうことはやはり正しかったな、と結論付けざるを得ない。女時で焦ってはいけない。


男時/女時という言葉がしっくりこなかったら、単にアウトプット期/インプット期と考えてみてもいいのだと思う。女時は周囲からあまり注目されないので、ひとりで黙々と勉強したり、インプットをするのに最適な時期だともいえる。そしてそういう時期の「溜め」があるからこそ、男時でより力を発揮できるのではないか。



何よりも、「いいときも悪いときも、超然としていられる」って人としてすごく強いと思う。いいときは時の運、決して驕ってはいけないし、悪いときも時の運、焦らずにじっくりと蓄えを作る。


現代人の悩みの多くは「待てない」ことから発生している──はちょっと言い過ぎだけど、「待てる」って、自分を信じられるってことだ。強くないと、待つことはできない。たぶんだけど、人生において、男時よりも女時のほうが重要だ。試されているのは、女時にさしかかっているときのほうである。


aniram-czech.hatenablog.com



というわけで、今週はちょっと意識高い話しちゃったな。『風姿花伝』ってそこらの自己啓発書が真っ青になるガチマッチョの自己啓発だと私は思う。なんせ書かれたのは600年前だ、ナポレオン・ヒルなんて目じゃない。私はしゅんとしたとき、『風姿花伝』を心の書として生きていこうと思っている……。