「わたしのネット」に寄稿しました
「わたしのネット」さんに寄稿した記事が公開になりました。いただいたお題が「インターネット」だったので、最近のSNSで、モヤモヤ〜っとしていたことを書いた。
ちなみに冒頭で取り上げた小説は、ウィリアム・フォークナーの『サンクチュアリ』。私が昨年読んで感銘を受けた小説のひとつである。もっとも、フォークナーは『サンクチュアリ』を「金のために書いた」などと公言しているっぽいのだけど、話の筋がそんなに複雑じゃないので『アブサロム、アブサロム!』とかより読みやすかった。フォークナーは、今年も引き続き何冊か読みたい。
- 作者: フォークナー,加島祥造
- 出版社/メーカー: 新潮社
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意地悪なマジョリティと、善良で可哀想なマイノリティ。そんな単純な構造で物事を考えられるわけがなくて、マジョリティが抱える孤立や解消できない不満にも目を向けなくてはならないし、被害者ぶったマイノリティが言葉の暴力を振るっているシーンだって私は見かけたことがある。最近のいろいろな問題が複雑なのは、誰もが強者の一面と弱者の一面をあわせ持っているからだろう。どちらか一方だけ、なんて人はいない。弱者の声は、広くいろいろな人に届かなければいけない。一方で、自分の加害者性に無自覚な人が多すぎるんじゃないか。上のコラムでは、そういうことを書いたつもりだ。
コミティア御礼
そして、2月17日は東京ビッグサイトにて開催されていたコミティアに出展していたのだけど、告知が直前だったにも関わらず、来てくれた方々本当にありがとうございました。差し入れは美味しくいただきました……。
終わったあとは近隣のお店で打ち上げ(といいたいところだが、みんな朝早かった上に腹が減っていたので、酒飲みも酒はそんなに飲まず、がっつり米を食べていた)をしたのだけど、そこで次回作品の構想の話に。私は「火が燃える描写が好きなので、放火のシーンが書きたい!!! ラストで放火するための物語を書いている」と熱弁した。オサナイさんに「チェコさんは、死にたくないとか、エロとか暴力とか、火が燃えるとか、原始的な欲求が強いですね……」と言われ、あ、そうかも、と思った。東京のIT企業で働いたりしてすっかり現代人のフリをしているけれど、私の感性はすごく原始人的なところがある。原始人だから、法もないし、ルールもないし、倫理もないし、孤独もそんなにない。放火は現代の感覚でいうともちろんダメなことなんだけど、たぶん私の物語の中の人物は、そういう「現代の感覚」をとびこえて、ただ自分の美的感覚のためだけに、公共物に火をつけて燃やしてしまうのだ。
上にあげた『サンクチュアリ』も、コラムの冒頭に書いた通り、冤罪で投獄された白人男性を火あぶりにしてリンチするとても残虐なシーンがある。だけど、誤解を恐れずにいえば、私はこのシーンがけっこう「好き」なのだ。燃えてるから。炎は美しい。金閣寺を燃やすのも好きだし、あとは『月と六ペンス』でストリックランドの絵画に火が放たれるシーンなんかは私の「ベスト・オブ・放火」である。タルコフスキーの『ノスタルジア』にある焼身自殺のシーンも好きだし、ていうか焼身自殺の描写がある映画たいてい好きだね。もう一度いうが、炎は美しいのだ。
- 作者: サマセットモーム,William Somerset Maugham,金原瑞人
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しかし、ここで「じゃあキャンプ行く? キャンプファイヤーやる?」とか誘われるとテキトーな理由をつけてたぶん断る私でもある。ちがう、ちがうんだ。そんなのは炎とは言わない! 本来の火とは、人間にコントロールできないものだ。おそろしいものだ。そういう炎が私は好きなんだ〜〜〜!!!
というわけで、この「放火が書きたくて作った物語」も、いつかお見せできる日が来ると思われる。昔、生前の若松孝二が「俺は警官が嫌いだ。映画の中でなら、警官をいくらでも殺せる。俺は警官を殺したいから映画監督になった」と言っていたが、私も放火がしたいがマジに放火すると捕まるので、仕方なく小説を書くのである。
「創作メルティングポッド」は現在、イベント出展以外にも活動を検討しているので、また何かお知らせすることがあると思います。我々の小さなサークルを今後も暖かい目で見守ってください……マジの放火はしないので……