2025年8月、ヤン・シュヴァンクマイエルの新作『蟲』と同時に、ドキュメンタリー作品である『練金炉アタノール』『クンストカメラ』も公開された。『蟲』の感想は前回書いたので、今回は『練金炉アタノール』『クンストカメラ』の感想をメモしておく。
ところで、『蟲』のときは劇場満員だったし、『練金炉アタノール』『クンストカメラ』もわりと客の入りはよかったような気がするんだけど、このシュヴァンクマイエルファンって日常ではどこに潜んでいるんだ。映画館は大盛況なのに、リアル知人の間やSNSでは盛り上がっている形跡がまったくない。イメージフォーラムにだけ時空の歪みが発生していて別世界なのだろうか……わからん。

『練金炉アタノール』
まずはシュヴァンクマイエルの映画製作を追ったドキュメンタリー作品から。これは正直あまり期待していなかったのだけど、思いのほか面白かったし、もしも2008年の段階でこれを見ることができていたら、私の卒論は微妙にちがう内容のものになっていただろうなあと思った。
シュヴァンクマイエル、ビジネス社交じゃなかった!
シュヴァンクマイエルの作品を見ているとわかるが、彼の映画はとても内向的な感性によってできている。中でも私が好きなのは、シュヴァンクマイエル映画に出てくるごはんが、毎回めっちゃ不味そうなことだ。これは食べることに喜びを見出していない人間が撮った映像だ!ということがすぐわかるので、同じく食べることに興味がない私はいつも共感を覚える。よかったー、食べることに興味がないの世界中で私だけじゃなかったー、と毎回ほっと一息なのだ。
他にも、「ヤン氏、陰キャじゃろ…?」と思える表現はいくつもあり、全部あげるとキリがないのだが、同時に疑問が沸き起こる。映画は一人では作ることができない。しかも長編映画ともなると、片手や両手じゃ済まないほどたくさんの人間が関わる一大事業だ。内向的で一人で絵を描いたり謎オブジェを作ったりするのが好きそうなシュヴァンクマイエルおじいちゃん、どうやってこの事業を成し遂げているのだろう。もしかして、内向的な感性を内に秘めたまま大人としてやることはちゃんとやれる「ビジネス社交」タイプか…? と、学生時代の私は疑問に思っていた。
そして、その答えがこのドキュメンタリー映画の中にあった。シュヴァンクマイエルおじいちゃんはやっぱり、一人でしこしこ謎オブジェを作るのが好きな陰キャで、ビジネス社交タイプではなかった。では映画事業はどうやっているのかというと、ここで奥様・エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーの出番である。つまり、おじいちゃんのほうは監督として看板をぶら下げつつ、他の人と交渉したり現場の雰囲気作りをしたりしていたのはエヴァおばあちゃんのほうだったわけだ。エヴァが亡くなったときのヤンの落ち込みはそりゃもうすごいものだったとは聞いていたが、映画製作において欠かせない役割を担っていた人がいなくなってしまったのだから、公私ともに大ダメージ必至である。シュヴァンクマイエルの映画において、エヴァはとても重要な役割を果たしていた。看板に出ているのはあくまでヤンの名前だが、私はこれまでずっとエヴァの作品も見ていたのだな、と思うとすごく腑に落ちた。そしてヤンのほうは正真正銘の陰キャであった。「私は会話は苦手で…」などと言っていた。イメージを崩さないでくれてありがとう!
エヴァとフェミニズム
『練金炉アタノール』では、しばしばシュヴァンクマイエルの過去作品が挿入される。『自然の歴史』、『庭園』、『エトセトラ』、『ファウスト』、『ジャバウォッキー』、『ルナシー』、『アリス』、『悦楽共犯者』。どれも懐かしいなあいいなあと思って見ていたが、しかしやっぱり、シュヴァンクマイエルは男! 学生時代も「ん?」と思った表現はあったが、それはこの年になってもやっぱり「ん?」だったし、昔だったからよかったものの今だったらめっちゃ怒られてたでしょこの表現、という感じのやつは正直すごくある。それに関しては擁護できないが、でも、ギリギリありかな…ダメだけどなしよりのアリかな…と思えるのは、実は製作現場にエヴァがいたからかな、と思ったのであった。
シュヴァンクマイエルいわく、エヴァは女性として生まれたことをとても不運だと思っていたという。「それでもエヴァはいわゆる〈フェミニスト〉ではなかった」と彼は話し、そのへんの感性はまあおじいちゃんだからな〜と思ったが、隣で見ていて、「自分にはない生きづらさをエヴァは感じているみたいだぞ」と気づいてはいたらしい。そこらへんをまるっと無視する系のおじいちゃんではなかった。シュヴァンクマイエルはフェミニズムについてどのような意見を持つ系のおじいちゃんなのだろう? というのは私の長年の疑問だったので、それが少しわかってよかった。あと、シュヴァンクマイエルは男だが、マッチョ系の男じゃなく陰キャ系の男なので、権威主義的ではないところも「ダメだけどなしよりのアリ」表現に留まらせていたのかもしれない。
ファンと嫌そうな顔で写真撮影
『練金炉アタノール』では、シュヴァンクマイエルがファンと写真撮影をするシーンが2回ある。1回目は欧米のファンと、2回目は日本人のファンと撮影するのだが、どちらも、顔がめっちゃ嫌そう。カメラを向けられた途端、表情筋と目がすっと死ぬヤン。この顔がとてもとてもよかった。めっちゃいい顔見れて得した! ファンと写真撮るの本当に嫌なんだなと思った。でも自分の作品を好きだと言ってくれる人に冷たくはできないし、賞なんてイラネと正直思っているがみんなで作り上げたものだから無碍にはできないし、なんせ映画は作ったからにはヒットしなければみんな飢えて死ぬので、商業的なことをまるっと無視はできない。そういう、資本主義と周囲の人の善意と温かみに触れながら、それでも「めんどくせえな」と思ってしまうシュヴァンクマイエルおじいちゃん、人間味があってすごくよかった。「嫌そうな顔でファンと写真を撮るヤン」を見れることがこの映画の最大の価値である、といっても過言ではないくらいすごくいい表情をしていた。
徹底的にシラフ
シュヴァンクマイエルは『ルナシー(狂気)』というド直球タイトルの映画を作っているが、なんとなく、その狂気は薬物由来のものではないのである。「薬物による狂気(表現)」と「薬物ではないものによる狂気(表現)」があるとしたら、シュヴァンクマイエルの狂気は徹底して後者だ。前者と後者のちがいを言語化するのは難しいが、後者はとにかく陰気だし、楽しい気持ちにまったくならない。ハイな要素が一切ない。
そして、その理由もこの映画を見て納得。シュヴァンクマイエルは一度だけLSDをやったのみで、基本的には薬物に手を出さないし、普段は酒も飲まない、頭痛薬すら飲まないという(ただし糖尿病の薬は飲む)。「こんなのシラフじゃできないよ」という言い方があるけど、シュヴァンクマイエルの映画は確かに、「こんなのシラフじゃなきゃできないよ」という感じなのだ。その秘密がわかってよかった。
『クンストカメラ』
同時公開のドキュメンタリー2本目、『クンストカメラ』。こちらは正直に申し上げると、シュヴァンクマイエルの超超超ファン以外は別に見なくてもいいと思う。というか、それ以外の人が見るとたぶん退屈すぎて死ぬ。私も何度か意識を失いかけ、耐えた。チェコの南西部ホルニー・スタニコフにあるアトリエの中の、シュヴァンクマイエルの自作謎オブジェや謎絵や世界中で集めた珍品を、約2時間ナレーションなしで延々と映しているだけの映画。ナレーションくらい入れてくれたっていいだろう! と思ったが、しょうがない、シュヴァンクマイエルだから…。
何度か意識を失いかけたのは事実なのだが、面白かったポイントに絞って話すと、アフリカの珍品コレクションがけっこうあって興味深かった。シュヴァンクマイエルはチェコ人で、旅行が好きというわけでもなさそうなのだが、でも、アフリカ好きなんだ〜と思った。あとアジア系でいうと日本の春画があって、そうなんだ〜と思った。私自身は生涯にわたってこんなコレクションを持つことはできないだろうが、旅行に行かなくても、世界って変だなあと思わせてくれる場所があるのは素敵だ。でも、なんとなくわかるからいいけど、どこで見つけてどうやって入手したのかとか、インタビューくらい入れてくれてもよくない!? と五回くらい思った(そして意識を失った)。
ヤン・シュヴァンクマイエルというアーティストは日本語の情報も少なく、とにかく謎に包まれているので、卒論を書くのは大変だった。あのときこの情報があればなあ…! とドキュメンタリーを見ていて何度も思った。80歳超えのおじいちゃんなのでもう長編映画は撮らないよと言ってるし、あとは一人でしこしこ謎オブジェや謎絵の制作に励む余生なのかもしれないが、世界にこんな人がいてくれてよかったなー、と思える数少ない映画監督の一人であることに変わりはない。長生きしてね、シュヴァンクマイエルおじいちゃん!





















![ブロークンフラワーズ [DVD] ブロークンフラワーズ [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41SQBQNKMFL._SL160_.jpg)






![ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2 2枚組(Vol.1&Vol.2) [DVD] ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2 2枚組(Vol.1&Vol.2) [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/31PiYnzHjgL._SL160_.jpg)
![マグノリア [DVD] マグノリア [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51kpJ2-4FcL._SL160_.jpg)



![光りの墓 [DVD] 光りの墓 [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51jaikRlJiL._SL160_.jpg)