先日4月16日から、『オマールの壁』という映画が渋谷アップリンク等で公開されています。『オマールの壁』ってどんな映画? という人は、よろしければ以下をご覧ください。
それで、『オマールの壁』と同じハニ・アブ=アサド監督の、『パラダイス・ナウ』という作品があるんです。舞台は『オマールの壁』と同じパレスチナ自治区で、ヨルダン川西岸のナブルスという町に設定されています。ヨルダン川西岸地区っていうのは↓このへんです。ヨルダンと接している黄色いところです。私の汚い字については触れないでください。
『オマールの壁』はたぶん私の2016年ナンバーワンとなる映画ですが、実は個人的には『パラダイス・ナウ』のほうが、『オマールの壁』より好きだったりします。なぜかというと、恋愛要素がないからです。上記の記事であれだけ三角関係が云々といっておきながら、私は基本的に、かったるいから恋愛映画って好きじゃないんですよね。『オマールの壁』は恋愛要素がなければもっと私が気に入るかんじの映画になっていたと思いますが、まあそれは別にいいです。逆にいうと、見やすいのは『オマールの壁』のほうかな。ちなみに、『パラダイス・ナウ』は2005年の作品です。
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というわけで今回は、『パラダイス・ナウ』の感想文です。
「死ぬ直前に過去が早送りで見えるって。本当かな?」
物語の舞台は前述した通り、ヨルダン川西岸にあるナブルスという町です。ここはイスラエルへの抵抗運動がハンパないところらしくて、ちょっと旅行で行けるような場所ではありません。実際、映画撮影に参加していたドイツ人スタッフがあまりの治安の悪さに逃げ出したとか逃げ出してないとかっていう話もあるほどです。要するに、「めっちゃこわいとこ」だと思ってもらえれば間違いないと思います。
その「めっちゃこわいとこ」に、サイードとハーレドという2人の青年が住んでいます。この人らは友達同士なんですが、組織に声をかけられて、2人で自爆攻撃を実行することになります。実行の地に選ばれたのは、イスラエルの経済の中心、実質的な首都*1、大都会テルアビブ。このテルアビブは、私も旅行で訪れた街です。
※テルアビブ美術館の内部。大きな絵は、ロイ・リキテンシュタインのもの
だけど2人のうち、サイードくんのほうは、何やら自爆攻撃に関して疑問を抱いているよう。親しい女友達のスーハは「何か別の方法があるはず」っていうし、自分が体に爆弾を巻きつけてイスラエルの兵士に突っ込んでいくことで、本当に事態は前に進むのかな……? テロ決行直前だというのに、サイードくんはモヤモヤしている様子です。
一方、ハーレドくんはやる気満々。「俺たちは1時間後には英雄だぜ!」意気揚々と語り笑顔を見せるハーレドくんですが、「死ぬ直前に過去が早送りで見えるって。本当かな?」などといい、若者らしい幼い一面も垣間見せます。
ちょっとネタバレになってしまいますが、結論からいうと、2人のテロの第1回目は失敗します。金で買収したはずのイスラエル兵に裏切られたのか、有刺鉄線の隙間を突破できず、2人は散り散りになって逃げるのです。だけど、諦めずに第2回目を決行する。その結末は、本当にネタバレになるので気になる人は映画を観てください。お楽しみに。
組織の問題、外部からの批判の問題
真面目な話をすると、この映画のなかにはさまざまな問題が散りばめられています。1つは「組織の問題」で、自爆攻撃っていうのは1人とか2人とか単独でやるよりは、組織の後ろ盾があって、計画的に行なわれるケースのほうが多いみたいなんです。サイードとハーレドの後ろにも、「組織」がいます。それで、この「組織」の人たちにもいろいろ言い分はあるのだろうけど、組織の中核にいる人物は自ら爆弾を背負って突っ込んでいったりしない。犠牲になるのはいつもサイードやハーレドのような、まだまだ若い青年たちなんですね。「テロで死んだら英雄だよ! 殉教者は天国に行けるよ!」という言葉に、壁のなかで閉塞感をかんじて鬱屈とした毎日を送っている彼らは、反応してしまうのです。
不正と占領とその犯罪に対し、さらなる抵抗のために私は殉教を決意した 戦う手段は他にない
パレスチナと共に国を創ることは──ユダヤ国家の自殺だとイスラエルは考えている
”2つの国家”という彼らに有利な妥協案すら受け入れない 彼らの望みは永遠の占領か我々の消滅だ
ハーレドくんはテロ決行の直前、ビデオカメラの前でポーズを取りながら、上記のセリフを演説口調で語ります。イスラムの殉教者、英雄として、その勇姿を撮影して残しておけるぞということなんですかね。「組織」のエライ人たちが、「ウンウン」と頷き腕組みをしながら、力強く演説するハーレドくんを見守っています。
ところが、ビデオカメラの調子が悪いのか、ハーレドくんが決死の名演説をしてもその勇姿が撮れていないらしい。ビデオカメラがなかなか直らないので、飽きてきちゃったのか、エライ人たちは近くでパンをむしゃむしゃ食べ始めます。するとハーレドくんもヤケクソになってきたらしく、「母さん。もっと安いフィルターを見つけたからさ、あれを買ったほうがいいよ」とかってビデオカメラの前で語り始めます。名演説はどこ行った名演説は。笑いを誘いつつここで行なわれているのは、監督による組織的な存在への批判です。
次に、外部からの批判の問題がある。これは、こんな文章を書いている私自身の問題でもあるのですが、映画に登場する主人公サイードの女友達・スーハがこれを体現しています。
スーハちゃんは、お父さんが抵抗のために殉教した「英雄」です。だからまわりの人にとても親切にされるし、彼女自身もパレスチナ人でありながらフランス帰りというエリート階級。そんなスーハちゃんが、テロを実行しようとしているサイードくんやハーレドくんの行動に勘付き、「テロなんて意味がない。何か別の方法があるはず」と説得します。だけど説得を受けたサイードくんは、「君は外国育ちで英雄の娘で、住む世界が違う」という絶望的なことをいいます。「いい生活をする人の余興だ」とも。
これはもう、私はぐさっとやられましたね。いちばん痛いところを突かれた。私がいくら現地を旅行しても、本を読んでも、映画を観ても、実際に分離壁のなかで暮らしている人たちのことはわかりません。それでも、たとえ余興だと笑われても私はこのことについて考えたいので考えますが、外部から見る世界と、内部から世界は同じものでもまったく異なって見えるものです。そして、だからこそいえることもあるし気付くこともある。外部から内部を批判をするとき、何ができるのか、また何ができないのか。そんな部分も深堀することもできそうです。
『パラダイス・ナウ』
地獄で生きるより、頭の中の天国のほうがマシだ。占領下は死んだも同然、それなら別の苦しみを選ぶ
最後に、タイトルについて。主人公たちの会話のなかに何回か登場する「天国」という言葉が、タイトルのもとになっているのは明白だと思います。
第1回目の自爆攻撃を未遂で終わらせてしまったサイードくんとハーレドくんは、再び決心し爆弾を体に巻き付け、イスラエルのテルアビブに出発します。このシーンの、パレスチナ自治区からイスラエルに入ると景色がガラッと変わるかんじとか、本当によく描いてるな〜と行ってみた身としてはしみじみ思いました。テルアビブ、夜の写真しかないのですが、東京と比べてみても謙遜のない大都会です。
この第2回目の自爆攻撃が、どう終わるのかは書きません。映画全体としては、テロの実行犯(といってももちろん、サイードやハーレドのような人たちがそのすべてではないですが)が何を考えているのか、どういった境遇にあるのか、どう追い込まれていくのか、そういうことをより身近に考えられる作品になっているのではないかと思います。外部にいる人間としてはつい「テロリスト=悪」と考えがちですが、決してそんなことはない。ハニ・アブ=アサド監督は、「自爆攻撃に関する映画を作るために、日本の神風特攻隊のことも調べたんだ」とインタビューで語っています。時代と境遇さえそろえば、我々だって自爆攻撃をやらざるを得ないときがやってくるかもしれません。
エルサレムでまたテロがあったらしくて、「この緑のバスあったなー、見たなー」と思ったのですが、サイードくんが映画のなかでいうように、まさしく「世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ」というかんじです。私はニュースを見ることしかできません。イスラエルとパレスチナの問題について、直接的にできることは何もありません。
www.timesofisrael.com
にも関わらずなんでこんなことを延々と考えているのかというと、彼らのことを考えることによって、自分の身近に転がっている問題を何か1つ、クリアにできるのではないかと思っているからです。
★参考文献★

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