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チェコ好きの日記

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感想文:中島らも『水に似た感情』とバリ島

東南アジア 読書

バリ島を舞台にした小説やエッセイをいくつか読んでいます。昔読んだ吉本ばななの『マリカのソファー/バリ夢日記 (幻冬舎文庫―世界の旅)』はもう一度目を通してもやっぱりけっこういい小説だなと思ったし、あとは椎名誠のエッセイ『あやしい探検隊 バリ島横恋慕 (角川文庫)』なども面白かった。今回は、そうした中でいちばん気に入った中島らもの『水に似た感情』の感想を書きます。

水に似た感情 (集英社文庫)

水に似た感情 (集英社文庫)

マジックマシュルームの島、躁鬱と多重人格

けっこう前に宮田珠己さんの『旅の理不尽 アジア悶絶編 (ちくま文庫)』って本を読んだのですが、バリ島編の中で、あの幻覚成分を含むマジックマシュルームを体験した話が出てきます。そして何と、この『水に似た感情』の中にもマジックマシュルームが出てくる。というわけで私の中ではすっかり「バリ島=マジックマシュルームの島」ということになってしまったのですが、この認識はもちろん間違っているので、鵜呑みにしないでください。

『水に似た感情』では、人気作家の主人公モンクが、ミュージシャンの仲間たちと一緒にテレビの取材を行なうためバリ島を訪れます。それで、なんだかんだと仕事をして一時帰国、だけどモンクの躁病が悪化してしまい、彼は友人とともに再びバリを訪れることになります。まあ話の筋としてはそれだけなので、何か大掛かりなしかけがある物語ではありません。主人公のモンクは躁鬱病なのですが、彼の感情の波とともに、バリ島の景色がゆらゆら揺れます。

そういえば吉本ばななの『マリカのソファー』でバリ島を訪れる主人公のマリカは解離性同一障害(多重人格)を患っていましたが、バリ島が躁鬱病や解離性同一障害と結びつけて語られるのは、なんとなくわかる気がしました。

「大きいものから、小さいものまで。あれ、今のなにかな? っていうものから、うわあ、でかいものがやってくる、っていうものまで。空気が生きているから、地面が力を持っているから、いやすいんだろうね。
 それに、すごく気持ちのいい存在もいる。山のほうから来る。上品で、きれいで、強くて、かわいくて、すごいやつ。大好きななにか。犬みたいな心の、美しい何か。すごく、すごく昔からいるもの。いちばん大きい椰子の木よりも古いもの。
 それから、おそろしいもの。海のほうから来る。マリカの親みたいな、でたらめなやつ。でもいる。時々気配を感じる。ぞっとするような感じ。大きくて、大切に思っていることや、ゆずりたくないことをなにもかもちっぽけなことに思わせてしまう、やっぱり昔からいるもの。
 どっちがいいとか、悪いとかではなくて、ただそういう両方の味があるというか、そういうもの。」

マリカのソファー/バリ夢日記 (幻冬舎文庫―世界の旅)』p62-63

島の中に聖なる存在と邪悪な存在がいて、それによって一つの島を成り立たせている。後に詳しく書きますが、バリ島はそういう世界観がベースにあるので、アップダウンを繰り返す躁鬱や、一人の中にいろんな人格が棲む解離性同一障害みたいな病気と、よく馴染むのだろうなどと考えました。もちろん、これは小説上の話ですが。

ダウナーは、とがった神経を和らげ、トロンとした状態にさせる。マリファナ、ハシシュ、阿片、モルヒネ、ヘロインなんかがその例だ。反対にアッパーのドラッグは気分をしゃっきりさせ、万能感を与える。メタンフェタミン、これは昔でいうヒロポン。現在ではシャブと呼ばれている。それにコカの葉っぱ、そのアルカロイドを単離したコカイン。アルコールもそうだ。勇気が湧いてくる。そして、これとは別に幻覚剤という一群がある。LSDムスカリン、マンドレイク、マジック・マッシュルームetcだ。さて、両プロデューサーがやっているのはダウナーのマリファナ、ハシシュだとおれは踏んでいる。違うかい?」

水に似た感情 (集英社文庫)』p122

山には聖なるもの、海には邪悪なもの

『水に似た感情』の中で出てくる話ですが、バリ島でいちばん高いアグン山という山があります。バリ島は海のイメージが強い観光地だと思うんですが、トレッキングブーツとか履いて気合い入れないと登るのをためらうようなけっこうガチの山もあるのです。アグン山は聖なる神が棲む山だと考えられていて、古くから島で信仰の対象になっているそう。ふもとにはブサキ寺院という、バリ・ヒンドゥー教の総本山があります(インドのヒンドゥー教とバリのヒンドゥー教はちょっとちがうらしい)。そして一方、海には邪悪なものが蔓延っている。さきほど引用した『マリカのソファー』でも触れられていた世界観です。

日本に帰国した躁病のモンクは、なぜか自分の部屋に「世界」のミニチュアを作ろうと思いつきます。机の端っこに「黄金の宮」を作り、周囲に金色のキャップがついた目薬や金色の包装紙などを並べます。そしてもう一方の机の端っこに、今度は邪悪な神の宮殿を作ります。黒のTシャツやかばんを、そのまわりに配置していきます。そして、黄金宮と黒の宮の中間が俗世であり、そこでは人間が生老病死に苦しんでいるとします。「世界」のミニチュアを作り終えたモンクは満足気に床の上に寝そべるのですが、そこに落ちていたちりめんじゃこを見て、”このちりめんじゃこはおれの母親だ”と気付きます。

ここまで読んで「はああああああ?」って感じだと思うのですが、モンクは直感でちりめんじゃこの母親のことを”苦しんでるんだ”と悟り、黄金の宮に向かって母親を助けてやってください、と六回祈ります。繰り返しますが、黄金の宮というのは自分が机の上に作ったやつで、母親というのはちりめんじゃこです。

「水に似た感情」とは

そんな感じで奇行を繰り返すモンクなのですが、タイトルの「水に似た感情」とはいったいなんなんでしょう。これは小説のラストに出てくるんですが、バリ島というのは、聖なるものと邪悪なものが同時に棲む、一つの島、一つの人間、一つの宇宙です。そして、隣にはロンボク島レンボンガン島があるわけですが、別の島とは海水、すなわち「水」で区切られています。ありえないことですが、もし海水がすべて引いて蒸発してしまえば、別々に思えていた島は一続きの大陸になれます。だけど、間に「水」があるから一つになれない。島と島とを隔てているもの、人間と人間とを隔てているもの、あなたと私を隔てているもの、それが「水」です。つまり、人間はなぜ「個」に分断されてしまっているのか──これがこの小説のテーマというか核心部分になります。

バリ島は神々の島だとかなんだとかいわれていて、ふーんと思っていたのですが、『水に似た感情』で「これは!」と思ったのは、やはりこの「島」を「人間」として見ているところです。神々の島に入るというよりは、一人の人間の胎内に入っていく。そこで美しいものも汚いものも、崇高なものも邪悪なものも見て、「なぜ私たちはわかりあえないんだろうね」という結論に続く。薬物と繰り返される奇行の小説かと思っていたら、テーマそのものはけっこう普遍的なもので、だけど人間はこの問題を小説や映画の中で何度も何度も描いています。

『水に似た感情』は、ちりめんじゃこをつまみながら雨の日とかにふわっと読むのがいいかもしれません。

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