人は変わる。当然ながら、考え方も変わる。もちろん、1日2日でコロコロ変わっていたら問題だが、数年間単位で考え方が変わることはそう珍しいことではない。
私がここ数年間で、自分で明確に変わったと思う考えは、「境目」ってヤツはどうもないらしい……ということだ。2〜3年前は、「境目」があると思って生きていたし、それは目で見ればすぐにわかるものだと思っていた。
たとえば、下世話な例で申し訳ないが、性行為をする際に、首を絞められることで快感を感じる、という女性がいるらしい。
「らしい」というのは、私自身はとにかく肉体的な痛みや苦しみにひどく弱い人間*1で、歯医者で「これくらいなら我慢できる人も多いんですけど……麻酔、します?」と聞かれたら即答で「絶対にします!」と返すようなヤツなのだ。ノー麻酔で様子を見つつ、それでもやっぱり耐えられなかったらとか、そんな悠長なことは言わんでいい。耐えられないことなんかわかってるので、麻酔という選択肢があるなら問答無用で麻酔。ほっぺがブクブクするほうが嫌だからノー麻酔で耐えた、などという武勇伝を聞くと「ありえない」と思う。
そんな人間なので、今は平和だからいいけれど、もしも日本が政情不安定になって秘密警察が跋扈するような国になってしまったら……私は拷問にかけられたら終わりである。普段はそれなりに口が固く、不用意な発言はしないほうだと思うんだけど、拷問にかけられたら初っ端から洗いざらい白状し、家族だろうが恋人だろうが友人だろうが関係なく警察に売る自信がある。いつかのために先に謝っておく、みんな、ごめん。
で、それはいいとして、だから首を絞められることで快感を感じるというのは、ちょっと私にはない回路だ。私にはない回路ではあるが、しかしこういうのは個人の自由なので、人の楽しみにいちゃもんをつけるつもりはない。でも、まあ、どうか気を付けて、とは思う。快感を越えた一歩先に、死が待っている可能性があるからだ。
多くの人はその「一歩」を踏み超えることはなく、たぶん三歩くらい後ろで上手くやるんだろう。三歩と一歩、そしてそれを越えてしまった一歩先、それぞれの間には明確な「境目」があって、それはいついかなるときも見えているはずだ。見誤るのは故意、あるいはバカ。たぶん、2〜3年前はそんな意識で生きていたと思うのだけど、今年に入ってからは自分のこの認識が、たぶん間違ってるんだろうなと感じるようになった。
「境目」なんてのはない。仮に見えているとしても、それは脳内で作り出した幻想だ。どこまでが三歩前で、一歩前で、一歩先なのか、それは誰であっても絶対にわからない。
そう思うようになったきっかけはいろいろあるのだけど、1つあげるとすれば、昨年インドネシアを旅したことかな、と思う。首絞めセックスから急に健全な話になるけども、昨年のちょうど今頃、私はバリ島、ギリ・アイル、ロンボク島、そしてジャワ島のジャカルタと、インドネシアの島々を船や飛行機でぐるぐるとまわっていた。
国と国との間には、通常「国境」がある。それは目に見えるもので、正式な手続きを経ずに越えるとけっこうマズイことになる。だから私たちは、他の国に行くときはパスポートを見せるなりビザを取得するなりするわけだけど、「国境」なんていうのは実は、脳内で作り出した幻想だ。
バリ島とギリ・アイルの間の移動は、船で二時間くらいかかる。バリ島と、海を渡った先のギリ・アイルは、雰囲気が全然ちがう。バリ島には湿ったような濃密な霊気があるけれど、ギリ・アイルはカラッとしていて空が抜けるように青い。でも、「同じ国」なんだ、海を隔てていてこんなに雰囲気がちがうのに、国境の内側だから同じインドネシアなんだ、変なの、と思った。
ギリ・アイルとロンボク島は船で10分なのでそんなに雰囲気に変化はないのだけど、ロンボク島から飛行機で首都のジャカルタまで移動すると、そこはもう別世界である。警察がピリピリしながら路上の物売りを怒鳴っていて、交通渋滞がひどくて、排気ガスがすごい。バリ島も、ギリ・アイルもロンボク島も、ジャカルタも、それぞれがこんなにちがうのに、全部「同じ国」ってことになっている。人間って、雑だな! 少し考えてみれば当たり前かもしれないんだけど、私がアホだったせいか知らなかった。
東京と沖縄が「同じ国」ってことになってるのだって、私たちは普通に受け入れているけれど、宇宙人からしたら「正気か? 雑だな!」って話なんじゃないだろうか。反対に、国境を隔てているけれど人々の顔付きも文化にもそんなに変化はないね、というケースもあるはずで、だからやっぱり国境なんて便宜的に引いているだけだ。
聖と俗の間に境目はない。男と女の間にも境目はない。今日と明日の間にも境目はない。たぶん、本当は全部ぐちゃぐちゃでごちゃまぜなんだろう。
「境目」はない、という意識で生きてみる。いろいろなものの輪郭は、ぼやけている。足元が不安定でちょっと怖い。しかし、こっちの世界はこっちの世界でなかなか楽しいので、私は来年以降も引き続き、こっちの世界観を続行だ。
*1:余談だけど、「忙しくてもめんどくさくても、体のSOSは無視しない」を読んで、痛みや苦しみに弱すぎるおかげで、私は絶対に無理をしないので、それで救われている部分もあるのかもしれないと思った。が、無理ができないので限界の一歩前で引き下がってしまう癖がマジで悩みでもある