チェコ好きの日記

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スマホからSNSアプリを消して4ヶ月

いつだったか、インターネットで「自分はTwitterのフォロワーが5000人に満たない人には新規で会わない」と公言しているらしい人を見かけたことがある(記述が曖昧なのはうろ覚えだからです、すいません)。

これは、いろいろと突っ込みどころがある意見ではあるけれど、考えようによってはそういう判断もまあ妥当ではあるかな、という理解も一応、私にはあるつもりだ。共感はできないが理解はできるというやつである。

会う目的にもよるけど、確かにフォロワーが5000人以上いる人であれば、何か面白いネタを持ってるとか、人脈が豊富であるとか、何かしらに秀でている人である可能性は高い。もちろんそれを承知の上であえて突っ込むのであれば、「フォロワー数という外部基準に頼るしかなく、自分自身でその人が面白いか面白くないか判断できないなんて、あなたの感性はなんて貧弱なの!」となるわけだけど、まあ忙しい人であれば致し方ないのかもしれない(ちなみにその人自身はもちろんフォロワーが5000人以上いるらしかったです)。

だけど、こういう「ハズレを引きたくない」「時間を無駄にしたくない」みたいな考え方、極めて現代的だけど厄介だよな〜と思う。だって、ハズレをたくさん引いて初めて良いものがわかるんだもの。

私は学生のとき映画批評をやっていたのだけど、古典映画から話題の作品からB級映画からカルト映画まで、なんでも観させられた。だけど、今も私の心の中に深く根付いていて、「大好き」だと言える作品は、そのうちの1/100にも満たない。でも、じゃあ残りの99/100の作品は観た時間が無駄だったのかというと、そんなことはない。99/100の記憶に残らなかった作品は、1/100の作品を語るための良き材料になっている。99/100を知っているからこそ1/100の輪郭はよりくっきりと浮かび上がってくるし、なぜ自分がその1/100を好きなのかわかる。

(人間と映画を一緒にするな、という声が聞こえてきそうですが、それはそれとして)

スマホからSNSアプリを消して4ヶ月

ところで、今年の3月にスマホからSNSアプリをすべて消して、そのまま気が付いたら4ヶ月経っていた。当初は、1週間くらい実験的に消してみて、すぐに再インストールするつもりだったので、この状態をここまで長引かせることは想定していなかった。消したアプリはTwitter、あとはSNSアプリとはちょっとちがうけれど、はてなブログとnote。Facebookはもとから入っていない。インスタは、私の場合直接の知人とは誰ともつながっておらず、「MoMAとガゴシアン・ギャラリーと料理系の投稿を見るための専用アカウント」と化しているので、そのまま入れている。

なぜ消したのかというと、これは「SNSをダラダラ見てる時間が嫌だったから」という超平凡な理由なのだけど、いざ消してみると思いのほか快適で、おそらくずっとこのまま行くのではないかと思う。モヤモヤしてないで初めからこうすれば良かったんだ、という感じだ。ちなみにSNSを見なくなった分何をするようになったかというと、読書と言いたいところだが、YouTubeポメラニアンの動画を見ている。疲れているのだろうか……。「結局ネット見てんのね」という感じであまりかっこいいことは言えないのだけど、しかし、平和ではある。ポメラニアン

これは雑な素人推測だけど、スマホは手の中に収めるものなので、「ながら時間」で見ることもあるし、身体的な距離が近い。だから、自分へ向けた批判も、他人への怒りも、けっこうダイレクトに響いてしまう。その点、PCは身体的な距離が遠く、接するときは机に向かっていたりして、姿勢がしゃんとしている。すると、同じような言葉でも響き方が全然ちがう。あの疲弊感みたいなやつは、接続する時間ではなくて、身体的な距離や姿勢がもたらしていたものでもあったのかな〜と思う。


先日青山ブックセンターに行ったら、「身体」のコーナーが拡大していた(気がする)。


これは、私の今の関心分野が「脳」「身体」「武術」「舞台芸術」などなのでそう見えたという、ただの認知の歪みかもしれないけれど、なんとなく、みんな似たようなこと考えてんのかなーと思った。