チェコ好きの日記

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『夫のちんぽが入らない』ことはけっこうよくある

話題になってからだいぶ遅れてではあるけれど、こだまさんの『夫のちんぽが入らない』を読んだ。今回はその感想である。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

「普通のことができない」はけっこう普通

読み終わったあとに直感的に思ったのは、「これってけっこうよくある話なんだろうな」ということ。

もちろん、夫のちんぽが入らないことで困っている知人が私の身近にいるということではない。本当はいるのかもしれないけど、少なくとも私はそのことを打ち明けられていない。そうではなくて、「夫のちんぽが入る」=「世間で普通とされていることの象徴」だとすると、普通だとされていることができなくて悩んでいる人はけっこういっぱいいるんだろうな、ということだ。

たとえば、先日読んだこちらのコラム。

私は松居一代のことを笑えない<ハイスペック女子のため息>山口真由 - 幻冬舎plus


こちらでは、著者が恋人に手紙を書くのだけど、宛先と差出人を逆に書いてしまい、送った手紙が自分のところにもどってきてしまった、というエピソードが紹介されている。そしてそのことで著者は、(私は、普通のことをきちんとこなすことができない……)と、落ち込む。

が、人を経歴で判断するのはいかなる場合であれ良くないかもしれないけれど、この著者は東大卒の弁護士、めちゃくちゃに優秀な人だ。

その優秀な人でさえ、(私は、普通のことをきちんとこなすことができない……)と落ち込むことがあるのだから、もうこれはどうしようもない。(私は、普通のことをきちんとこなすことができない……)ってそういえばかなりよく聞く独白だし、逆にいえば、「普通のことをきちんとこなすことができない」という感覚はけっこう普通、ということさえできそうだ。できそうだ、というか実際そうなのだと思う。

お風呂に入れない、ゴミ捨てができない、電車に乗れないなどのけっこう大変なレベルのものから、いつも遅刻する、電話に出れない、人付き合いが悪いなどのその人の手腕次第でどうにか切り抜けられる(?)レベルのものまで程度の差はあるけれど、だいたい誰でも何かしら、世の中で普通だとされていることができない。むしろ、「私は普通のことはだいたい普通にこなせる」と言い張る人がいたら、そっちのほうがマイノリティだろう。マイノリティというか、その人はたぶんただのおニブちゃんである。

したがって、この本の感想をさっくりまとめると、「自分が普通だと思っていることはあんまり普通じゃない可能性があるのでやたらめったら人に押し付けちゃいけないよ」とか、「普通ってのはだいたいが幻想なのでそこから外れていると思っても必要以上に気にしなくていいよ」とか、そんな感じになりそうである。

ただ、後者はともかく、前者は本人は無意識でやっていることが多いので、あまりちくちくとは責められない。私もきっと、今までたくさんの「MY普通」を他人に押し付けてきたはずなので、気を付けようとは思うけれど、あまり大きい顔はできない。

「私は普通じゃない」という甘く美しい世界

『夫のちんぽが入らない』の感想はここまでで、以下は本を離れて勝手に私が考えたことなのだけど(なのでこだまさんがどうこうという話ではない)、「私は普通じゃない」という境地に、他人に追いやられるのではなく自分で突っ込んでっちゃうことってあるよな、ということを(自分の胸に手を当ててみて)思った。

どういうことかというと、(私は、普通のことをきちんとこなすことができない……)とは通常、「普通のことを普通にこなせるきちんとした人間になりたい」という願望とセットのはずである。だけどそこに、「私は普通じゃない」と言ってしまうことによって免責されたいみたいな、逆方向の願望が紛れていることもたまーにある。

普通じゃないということは、特別な人間だということだ。誰だって、「あんたは普通だよ」と言われるよりは、「あなたは特別な人だ」と言われるほうが嬉しい。なので、「私は普通じゃない」って自分で思うのは、けっこう甘美な響きを伴ってしまうことがある。でも、それは罠なので気を付けたほうがよい。他人に「あなたは普通じゃないよ」と言われても「うるせえわ!」と相手にしなきゃいいけれど、自分でそっちの世界に行ってしまうと、もどってくるのがなかなか難しい。

だから、「『私は普通じゃない』という感覚はけっこう普通だ」という上記の私の考えは、もちろん誰かの気持ちをラクにできればと思って書いたのだけど、逆にこの考えを「きっつー」と感じる場合もあるんだろうな、と思う。私も、状況によっては自分で自分の言葉に苦しめられそうである。まあでも、やっぱり私たちはどう考えても、だいたい普通の人間だ。普通じゃない人間というのは、アインシュタインとかレオナルド・ダ・ヴィンチくらいのレベルの人のことを言う。

『夫のちんぽが入らない』は評判どおり良い本だったので、夏休みとかに読まれてはいかがでしょうか。

絶望と希望は多くの場合、セットになっている。