横浜トリエンナーレ2014っていう美術展が8月から11月3日(月)まで開催されているんですが、行こう行こうと思ってダラダラしていたらあっという間に10月下旬になってしまったので、先日ようやくこれに行ってきました。
3年に1度開かれる横浜トリエンナーレ、私は前回も行ったのですが、今年のやつはテーマがはっきりしていて前回よりも面白かったような気がします*1。アーティスティック・ディレクターは森村泰昌、タイトルは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」。『華氏451』といえば焚書がテーマのレイ・ブラッドベリの小説ですが、私のなかではフランソワ・トリュフォーの映画の印象のほうが強いです(原作読んでない)。というわけで、今回はこの横浜トリエンナーレ2014の感想を書きます。
世界の中心には忘却の海がある
今年の横浜トリエンナーレには、「世界の中心には〜」っていう何やら意味深なタイトルがついていますが、公式HPにあるコンセプトを読んでみたら、これがすごく面白かったです。詳しく知りたい人はHPに行ってねという話なんですが、私流にざっくり説明すると、「世界には記録されなかったもの・人々の記憶として遺らなかったもの=忘却の海に呑まれてしまったものがたくさんあるよ」ってかんじでしょうか。
『華氏451』のテーマである「本」とか、あるいは今私が書いているこのブログなどには、「著者が伝えたかったこと=未来に遺したい記憶」がつまっています。だけど当たり前ですが、そこに入らなかったもの・忘れ去られて消えていくもののほうが、圧倒的に多いわけです。そんな"忘却の海”に、思いを馳せてみようというのが今年のトリエンナーレのコンセプトらしいです。
考えてみれば、「文字」とか「言語」みたいなものは、「記憶」と抜群に相性がいいんですよね。私も本の感想とか映画の感想とか、こういう展覧会の感想とかを書きながら思うんですけども、「文字にする」という行為は、自分の頭のなかのふわふわしたイメージをばしっとつかまえて、紙やPCの画面に焼きゴテで刻印するようなものです。それはときに強引で、ときに残酷な行為でもあります。
マイケル・ランディ/Michael LANDY《アート・ビン》2010年/2014年
では、美術とか写真みたいなものはどうかというと、そこに制作者の意図が含まれている以上、「焼きゴテ」であることに変わりはありません。人間という生き物は、基本的に、意図したものしか未来に遺せないんです。
でも美術や写真は、「文字」に比べると、その「焼きゴテ」がいくらか低温であり、おだやかでやさしいものである気がします。ふわふわしたものを強引につかまえたりせず、ある程度ふわふわしたまま遺すことができます。
吉村益信/YOSHIMURA Masanobu《豚;pig'Lib;》1994年
私はよく美術とか写真をぼーっと眺めているとき、「あ、昔こんなことあったな」って思うことがあります。それがいつの「昔」なのか、どんな「昔」なのか、自分自身の記憶なのか、あるいは集合的無意識的なやつなのか、そういうことは一切わからないんですが、なんとなく「昔こんなことあったな」って思うことがあります。今回のトリエンナーレでは、そんな「こんなことあったな」に、たくさん出会うことができました。*2
そういう意味で、美術とか写真みたいなものは、「忘却」ととても相性がいい気がします。もちろん、「文字」に比べればーーという話にはなりますが、それでも。
大竹伸朗/OHTAKE Shinro《網膜屋/記憶濾過小屋》2014年
あと私、四谷シモンとかハンス・ベルメールとかゴスロリ球体関節人形系のやつ大好きなので、ピエール・モリニエの作品を観ることができてすごいうれしかったです。作品集欲しいんですが、高い。今回のトリエンナーレも、完全にモリニエのために行きました。
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まとめると、「美術ってやっぱりすごい面白かった、みんなトリエンナーレに行こう」というだけなんですが、冒頭でお話したように、これ11月3日までなので、気になっている方は今週末が最後のチャンスです。ぜひ。