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チェコ好きの日記

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青森で考えた『シン・ゴジラ』の感想

映画 東アジア 美術

シン・ゴジラ』を8月の上旬に観てもう1ヶ月以上経っているんですが、観た直後は正直「これ感想とか書かなくてもいい系のやつだな」と思ってしまいました。それは決して「つまらなかった」というわけじゃなくて、むしろクソつまらなかったらクソつまらなかったが故に書きたいことが浮かぶんですけど、普通に面白かった(でも特に突出して面白いわけではない)と思ったので、「じゃあ別に何もいわなくていいや」と判断してしまいました。

そしてそのまま1ヶ月経ってしまったのですが、先日フラっと青森まで小旅行に行ったら突如書きたいことが思い浮かんだので、今回はそれを書きます。なお、結末に関して思いっきりネタバレをするので、嫌な人はこの先は読まないで下さい。

青森県立美術館成田亨

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まず、青森に着いてから真っ先に訪れたのが、奈良美智の作品で知られる青森県立美術館でした。上の写真は有名な「あおもり犬」。ここに雪が積もったりするとたぶんとても幻想的に見えると思われます。次は冬に訪れたい。

青森県立美術館、東京や都市部の美術館と何がちがうかというと、私は単純に箱の大きさがちがうと思いました。東京だと土地に限りがあるから、大きく見せようとしてもどうしてもこぢんまりしてしまうというか、いまいち迫力不足な点が否めません。だけど青森県立美術館は、最初のコレクション展のマルク・シャガールで度肝を抜かれました。マルク・シャガールの最初の3点、デカイのです。写真を載せられない(撮れない)のが残念ですが、高さ8メートルです。もう一度いいますが、8メートルです。横は14メートル。アホみたいなこといいますが、デカイってすごいと私は思います。圧倒的なデカさのものを見ると単純ですがすげー感動します。あとは、シャガール奈良美智以外の展示も、作品と作品の幅が広くて、人口密度が低い。都市部の美術館はどうしても人が密集していて鑑賞に集中できなかったりするのですが、青森県立美術館はほどよい人の入りで、終始ゆっくりのんびり自分のペースで見てまわることができました。

そして、このコレクション展のなかにあったのが、成田亨の「異形の神々」というシリーズ。成田亨とは、青森県出身のデザイナー・彫刻家で、初期の『ゴジラ』にアルバイトとして参加したり、あとは『ウルトラマン』のキャラクターデザインを手がけたことで知られています。

ジラース(未彩色組立キット)
※『ウルトラマン』の怪獣のデザインなどを手がけた成田亨

それでこの「異形の神々」シリーズを見て思ったのですが、『ウルトラマン』の奇抜な、だけど親しみやすいあの怪獣のデザインっていうのは、青森出身のデザイナーが生みだしたものなんだってことに私はなんだか納得してしまったのです。青森といったら私はずばり「恐山」(まだ行ったことない)なんですけど、東北地方って「人間以外の異形の者と共生する」という感覚が都市部よりもすごく長けているイメージがあります。『ウルトラマン』に出てくる怪獣や『ゴジラ』の一部が日本のこういう場所から生まれているという感覚が、私はすごくしっくり来ました。

シン・ゴジラ』のラストシーンについて

ここからいよいよネタバレゾーンに入るのですが、『シン・ゴジラ』では最後、暴れ狂うゴジラを凍結して映画は終わります。で、私もそうなんですが、少なくない人が「え、凍らせたゴジラどうすんの? 処分しないの? つーかこれで終わり?」みたいな感想をあそこで抱いたのではないかと思います。クソつまんなかったわけではないけど、なんか判然としないなー、所詮はエンタメだからなー、と私はブツブツいいながら映画館を出たのですが、今思うと、あそこでゴジラを凍らせたまま残したことにけっこう意味があったのではないかという気がしてきました。

「意味があった」というのは、監督の庵野秀明さんがそれを意図していたか意図していなかったかということとはあまり関係がありません。それはどっちでもいい。ただ、結果としてそういう印象を観た者にあたえた、ということに「意味があった」と私は考えます。

あのあと、凍ったままのゴジラはどうなったんだろう。処分したのか。どうやって? 動かすとなんかやばい物質が出てきたりするかもしれないし、ゴジラが目を覚ますかもしれない。それとも時限爆弾みたいに、ある種のモニュメントとして、凍ったままのゴジラは東京に君臨し続けるのだろうか。

私はなんだか、後者のような気がします。凍ったままのゴジラがそのままいる東京。もちろん万が一に備えて「ゴジラ管理部」みたいなのが政府のなかに出来て、凍結材を継ぎ足したり日々データを更新して怪獣が動き出さないように監視している。だけどゴジラは生きていて、生命活動は継続している。東京都民や日本国民は、普段はゴジラのことを忘れているけれど、ときどき上空を見上げて「大丈夫かな?」と不安になったりする。意外と観光名所になったりするかもしれません。外国人がやってきて、凍ったゴジラを背景にパシャパシャ写真を撮って喜んだりする。

怪獣映画とかパニック映画に詳しい人ならこのあたりをもっと上手く分析できるんでしょうが、たぶんこれは心理学的に読み解くと面白いんだと思います。「ゴジラ」というのは「異形の神」です。人智を超えた存在で、だけどそれと共生していかないといけない。我々の心のなかには、普段は忘れているけれど本当はいつも不安がある。科学を信じているけれど、科学を超える存在があることもちゃんとわかっている。ラストシーンでゴジラを処分していたら、あるいは凍結なんかせずにもっといい方法を見つけて爆破してゴジラをやっつけていたら、この「不安」や「モヤモヤ」は表現できません。ゴジラを完全にやっつけるラストのほうが観客としてはすっきりするんだけど、監督は意図してなのか意図せずにしてなのか、それをやらなかった。

青森で成田亨の展示を見て、私は「あのラストで良かったんだ」と思いました。今の東京に、日本に必要な物語は、おそらく「異形の神と共生する物語」です。ゴジラ原発のメタファーかもしれないし、地震のメタファーかもしれないし、あるいはもっと別のもののメタファーかもしれません。まあ、『シン・ゴジラ』がヒットしたのは単にエンタメとしてカッコ良かったからだと思いますが、「なんだかよくわからない不安なもの、怖いものと一緒に生きていかなくてはいけない」という物語がたくさんの人に受け止められて、やっぱり結果としてはすごく良かったのかもしれません。

おまけ

こちらは翌日に訪れた鯵ヶ沢の「白神の森」。白神山地の山系にある森らしいです。そこらじゅうの木にキノコが生えていたのですが、野生のキノコってグロい。最初にこれを食べようと思ったやつすげーなと思ってしまいました。

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途中で雨が降ってきてしまったのですが、雨のなか森を歩くのおばけが出てきそうですごく怖かったです。あとなんか、ときどきよくわからない音がするのもすごく怖い。クマが出ることもあるみたいです。
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「これは書くことないな」と思っていたものでも、別の場所に行くことでふとアイディアが思い浮かぶこともあるので、転地療養はやはりおすすめです。

※と、これを書いたあとにいろいろなレビューを見たら、ゴジラ原発のメタファーでもう決まりということで通ってるんですね。なんとなく3.11にこだわるのが変な気がして、それ以外のもっとふわっとした可能性を考えていました……。

自己啓発と婚活と腰痛病院

思ったこと 読書

世の中には、他人のレビューや口コミがアテになるものと、アテにならないものがある。もちろん例外はいくらでもあるのだけど、たとえば、Amazonの本のレビューとか、飲食店のレビューとか、美容院の口コミとか、それらは〈比較的〉アテになる、と私は思っている。あくまで、以下で話すものに比べれば、〈比較的〉、という話にはなるのだけれど。

では他人のレビューや口コミがアテにならないものには何があるのかというと、1つは「病院」がある。それも、西洋医学でバリバリやるところよりは、東洋医学の要素が入ってくる病院……というか、整体やマッサージの店。そういうのは、どうやらあまり口コミがアテにならないと見た。

本や飲食店のレビューと、病院や整体のレビュー、両者のちがいは何か。

前者はまず、効果がわかるのが早い。本は読んですぐに面白いか面白くないかがわかるし、飲食店も、食べてすぐに美味しいかまずいかわかる。美容院も、1回行けば美容師との相性や店の雰囲気で、自分に合うか合わないかが判断できる。また、多少の差はあれど1回で使う金額がそれほど多くないから、1つ1つに対する依存心が少なくて済む。サンクコストに惑わされて、宗教のように信じてしまうこともない。

一方、病院や整体は、効果がわかるのが遅いことがある。私は幸いこれまで大病を経験したことがないので、それらの施設に定期的に通ったことがないのだけど、以下の本では高野秀行さんというノンフィクション作家が腰を本格的に痛めて、都内の病院や整体をわたり歩く様子がエッセイとして綴られている。

腰痛探検家 (集英社文庫)

腰痛探検家 (集英社文庫)

「でも、いったんよくなって痛みがぶり返すというのがよくわからないんですが……」
若先生は私の膝を押さえてゆっくり動かしながら笑顔を向ける。
「いえ、でもそれはいいことなんです」
「いいこと?」
「ええ。体が敏感になってきたという証拠です。前は痛みがあってもそれに気づかなかったんですよ」

上記の引用は、高野さんがとある整体へ通っていたときの、先生との会話だ。もし腰痛が、「痛みがぶり返すのもよくなっている証拠」なんていわれずに、右肩上がりのグラフのようにまっすぐに回復していってくれれば迷うこともないのだが、どうやらそういうものでもないらしい。今のこの「痛み」が、OKの証拠なのかNGの証拠なのかよくわからない。だから、本当はまったく効いていないかもしれないのに、ずっとずっと通い続けることになる。そうすると払った金額がかさんでいくから、中断するのが惜しくてますますやめられなくなる。なんだかパチンコみたいな話だ。

原因が特定できない

高野さんは上の整体に数ヶ月通ったのだけど、やはり腰に改善の兆しが見えず、諦めて自宅の近くの整骨院に切り替える。だけど、そこもやはりこれといった効き目がない。以降、知人や医師の紹介を経て、様々な病院、整体、鍼灸院、マッサージをわたり歩き、いわれるがままにストレッチや腹巻や瀉血や温泉などの健康法を試す。腰痛の原因も、背骨が歪んでるといわれたり、インナーマッスルが弱っているといわれたり、化学調味料が原因だといわれたり、椎間板ヘルニアだといわれたり、狭窄症だといわれたり、はては心因性だといわれて抗うつ剤まで飲む羽目になる。それでも、高野さんの腰痛は一向に良くならない。

だけど、最終的には、ある方法で高野さんの腰痛は劇的な回復を見せる。そのある方法とは……というのは本のネタバレになるから書かないけど、病院、整体、鍼灸院、マッサージ、高野さんは最終的にはそういった施設すべてと縁を切ることになるのだ。そして、劇的な回復を見せたのはいいものの、結局腰痛の原因は何だったのかは、最後までわからなかった。「なんか知らないけど良くなっちゃった」のだ。

自己啓発と婚活

『腰痛探検家』は、あくまで著者の高野さんが経験した「腰痛」にまつわるエッセイである。腰痛に始まって腰痛に終わる。それ以上でも以下でもない。だけど私は、『腰痛探検家』に「腰痛」以上のものを見てしまった、気がする。

たとえば、「腰痛」を「婚活」とか「恋愛」に変えてしまっても、ここに書かれていることと同じようなことが起こりそうな気がするのだ。婚活や恋愛が上手くいかない。きっとまわりに相談すれば、いろいろな人がいろいろなアドバイスをくれるだろう。だけどきっと、上手くいかない原因は最後まで特定できず、おぼろげに浮かび上がるだけで的を得ないだろう。また、だれかにとってテキメンに効く方法が自分にはまったく効果がなかったり、その逆も容易に起こりうる。そして、「もうどうでもいいや」と思ったときに、初めて希望の光が少しだけ見えたりする。

「腰痛」を「人生」とか「働き方」とかに変えてもいい。なんだか上手くいっていないような気がする。停滞している気がする。そんなとき、まわりに相談すれば、こちらもいろいろな人がいろいろな助言をくれるはずだ。だけど、たくさんの人がたくさんの「それらしき」ことをいっても、そのなかで本当に自分のためになるものはごくわずかである。考えてみれば人間、用意された環境も能力も性格も、だれ一人として同じではないのだ。たとえ助言をくれた人がどんなに社会的な成功をおさめている人であっても、その助言が自分にはいまいちしっくり来ない、なんてことはあって当然なのである。名医が束になってかかっても、最後まで高野さんの腰痛の原因を特定できなかったように。

私は何をいってるんだろう……ちょっと自分でもよくわからなくなってきてしまった。とりあえず、繰り返すけど、『腰痛探検家』は腰痛にまつわる痛快爆笑エッセイである。それ以上でも以下でもない。だけど、ここにはある種、世界の真実とでもいえるものが書かれている。それは何かというと、たとえ相手が名医でも、レベルちがいの成功者でも、プロフェッショナルでも、あなたのことはあなたにしかわからないし、あなたのことを決めるのはあなたしかいない、ということだ。

これはやっぱり、ちょっとした人生論の本である。純粋な高野秀行ファン以外に、今何かに悩んでいる人は読んでみるといいと思う。高野さんは「腰痛」に悩んでいるわけだけど、「腰痛」を「恋愛」に、「カイロプラクティック」を「占い」に、「鍼灸」を「ネット婚活サービス」に、適宜変換してしまえば、これはたちまちあなただけの人生論の本になる。

そんな読み方をしてるの、私だけかもしれないけど。