チェコ好きの日記

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ちきりんさんの「ソーシャルブックリーディング」が面白かったので、感想と考えたこと

9月14日の15時から、人気ブロガーのちきりんさんが主催した「ソーシャルブックリーディング」が行なわれました。

このちきりんさんの「ソーシャルブックリーディング」とは、twitter上で、ハッシュタグ#SBRC2をつけて、みんなで『未来の働き方』についてつぶやき合っていく、といったもの。

同様の試みは昨年も行われていましたが、今回のほうがTLが追いやすく、また話題もある程度焦点が絞られていた? ので、前回よりも楽しく参加することができました。といっても、私はあんまり発言していないですけど……

なかにはけっこう辛口な発言もあったように感じましたが、みなさんそれぞれ、いろいろ考えて考えて考えまくってるんだよなー、そうだよなー、と思いました。成功する人、失敗する人、動ける人、動けないで止まってしまう人、世の中にはいろいろな人がいるけれど、どんな人であれ、一生懸命生きていない人なんていないのです。どんな場合であれ、いろいろ考えて行動した結果が「今」なのだということは、変わりありません。

以下は、そんな今回の「ソーシャルブックリーディング」で、私が考えたことです。

結局、「自由な働き方」なんて強者の論理?

ちきりんさんのプロフィールは、一般には公開されていない(ことになっている設定)ですが、彼女が泣く子もだまる超絶エリートだということは、周知の事実です。

一方、私をふくめ世の中のほとんどの人はエリートなんかでは決してない「ふつうの人」なわけで、いくら「世の中は変わるんだよ、望めば自由な働き方ができるよ!」といわれても、それって結局、もともと恵まれた環境にいる学歴も能力もお金もある人の話で、「ふつうの人」が安易に真似すると痛い目見るよ、それって「貧困ビジネス」っていうんだよ、っていわれてしまうと、「そうかも?」って思います。私も、ふと我に返って、「私って“搾取”されてるのかなー」なんて思うときが、正直ないわけではないということを告白しておきますもごもご。

たとえば、私は「理想の生活(働き方)」として、

こぉんな夢物語を語っています。リツイートしてくださったり、お気に入りに登録してくださったりした方がけっこういたので、こういった理想をもっている人、割といるんじゃないかと思います。

でも、この「夢物語」を実現することは、現在の日本の社会では相当に難しく、特殊で市場価値の高い専門的なスキルや不労所得がない限り無理だということは、私もわかっています。そして、私のような「ふつうの人」が、その“専門的なスキル”や“不労所得”を得ることは、まぁ不可能に近いんじゃないかなということも。


でもだからといって、そういった「理想の生活」にフタをして、あきらめて、なかったことにして、毎日満員電車に揺られて通勤するのが正解なのかというと、それもちがうと思うんですよね。自分をだまし続けることはとてもつらいし、とても難しいです。

「現状では」、日本の社会で私の上記のような夢物語を実現することは、不可能に近いです。

でも、たとえそれが実現できなかったとしても、「私は本当はこういう生活がしたい」と心の底で気付いていることって、けっこう重要なんじゃないかなー、と思うわけです。「今が嫌だ。でも何がどう嫌なのかわからない、どうしたいのかもわからない」よりも、「今が嫌だ。本当はこうしたい、こうなったらいいのに」のほうが、同じ「今が嫌だ」でも、まだ救いがあるんじゃないかと。

あとは、私の夢物語を100%実現はできなくても、80%だったら? 50%だったら? 30%だけなら? と、どんどんハードルを下げていくと、もしかして一部だけなら叶うかもしれない、とも思います。2年くらい働かずに旅と読書に専念できたら夢のようですが、「2年」は無理でも、「1年」なら? 「半年」なら? 「3か月」なら……できるかもしれないではないですか。
実際、私は「1週間」なら、実現できましたよ、この前のお盆休みに。


「1週間」なんて実現のうちに入らないよ、といわれてしまうかもしれませんが、「0%、まったく実現しない」のと、「3%だけだけど実現した」の間には、けっこう高い壁が立ちはだかっているんじゃないかと思います。


「2位じゃダメなんでしょうか?」という発言が話題になったときに、こんなツッコミがささやかれましたよね。

始めから2位を目指している人が2位になれるのではなくて、1位を目指して必死に努力している人が、1位になれたり2位になれたり3位になれたりするのだと。

「理想の生活(働き方)」にも同じことがいえて、「ふつうの人」が何をどうがんばったところで、1位には、成功者には、なれないのかもしれません。でも、1位を目指して努力したりいろいろな方法を考えたりすることで、5位か6位くらいにはなれるかもしれない。けれどそれだって、最初からあきらめて、80位とか100位とかで終わってしまうよりは、だいぶいいではないですか。

「完全なる成功者」とか、「100%夢がかなった状態」は、そりゃー難しいだろう、と思います。

でも、80%だけ、半分だけ、30%だけ、実現できない?

そうやって考えていくことはムダではないし、希望も持てるし、楽しいです。

なので、「そんなの結局、強者の論理だよ」っていう人には、
「そうかもしれないけど、そうじゃないところもあるかもしれないじゃん。もごもご」と、私はいっておきたいです。
(いまいち煮え切らない言い方……)

失敗したらどうするのか

そして、次に気になった話題が、「失敗」についてです。

上記の夢を叶えるために、私が明日、ポンと会社を辞めたとします。
BINBOUな私ですが、1年や2年程度なら世界でバックパッカーできるくらいの貯金はあるので、やろうと思えば明日にでも、上記の夢は叶っちゃうんですよね、実は。

なのに、なぜ私がその決断に踏み切れないのかというと、1年の旅行から帰ってきた「後」のことが怖いからです。もしその後、貯金も尽きた状態で、履歴書にできた空白が原因で、仕事に就けなかったらどうするのか。就けたとしても、過労死が問題になるくらいの超絶ブラック企業とかしかなかったら、どうするのか。私は1年遊びまくったことの報いに、ホームレス同然の人生を送るしかないのか! 
夢の実現に踏み切ったのはいいものの、その後の就職で「失敗」するんじゃないかと、それが怖いんです。


なので、夢の本格的な実現にはなかなか踏み切れませんが、「失敗」って結局何なんだろう、と今回ちょっと考えました。

ものすごくポジティブに考えられる人、能力のある人にとっては、「失敗」しても「そこから学びとる」的なことができてしまうわけで、失敗を失敗ではなく、成功へのステップにつなげられる。

でも、私たちが想定して怖くなる「失敗」というのは、もっと大規模で、絶望的な類のやつですよね。一生派遣で、工場で、低賃金で、結婚もできず、孤独で、生活に余裕がないから服も本も買えないし、旅行になんて行けるわけがない的な、そんなふうになってしまう「失敗」が怖いんだと思います。既婚者の方の場合は、家族もろとも路頭に迷ってしまうんじゃないかとか、そんな感じでしょうか。

「失敗」を成功へのステップにできる人と、そのままズルズルと本物の「失敗」に進んでしまう人とって、何がちがうんでしょうか。能力ですか? 学歴ですか?

もちろんそういった要素もあるのでしょうが、私は「どこで心が折れるか」が、けっこう重要なポイントになってくると思うんです。ちょっと失敗しても、そこで心が折れずに希望を持ち続けられる人は、本質的な失敗ってしないんだろうな、と思います。

就職できないのなら、起業すればいい、議員になればいい、とかっていう話は、「パンがないならお菓子を食べれば」論として、そんなことできるわけがないとときに批判の的になります。でもそこまで行かなくても、就職できないのなら無職でいるよりもとりあえずアルバイトをして、同じ境遇の人を集めて安くシェアハウスを借りられないだろうか? とか、本物の「失敗」に進んでしまう前に、いろいろできそうな面白いことってあると思うんです。

また、まったくの無職になってしまっても、ニートで独身だけど楽しく生きてるよ! っていう方も実際にいるようですし。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
年収100万円の豊かな節約生活

※ただ「ちっ!」と思ってしまうのは、上記の本の著者お二人とも京大・東大卒という点ですよね。やっぱり頭のいい人って本質的に自分に自信があって心が折れにくかったり、アイディアが豊富だったりするんですかねぇ。でも、「高卒でニート」より「東大卒でニート」のほうがインパクトがあるので、注目もされやすいというだけで、注目は浴びていないけど幸せなニート生活を送っている、という方もなかにはいるかもしれません。


本物の失敗は、心がポキッと折れてしまって、もう代案が出せない、次の一手がまったく思い浮かばない、ただ毎日ごはんを食べるのに精一杯で思考停止状態……という状況に陥ったときに、訪れます。

そういう状況に陥ってしまった人を救う、というかもう一度希望を持ってもらうためには、どうすればいいのか?


経済的な面での援助ももちろん必要だと思いますが、それよりも重要なことって、
1人にさせない」ことじゃないかなー、と私は思うのです。

もし私が、1~2年海外で遊びほうけた挙句、帰国後まったく職にありつけない状態になってしまったら、すごく心細いです。まわりの知り合いはバリバリ仕事をしていたり、家庭を持ったりしているのに、私は何なんだろうって、たぶん思います。

でもそういうとき、同じく海外で遊びほうけた挙句、職にありつけない同年代の仲間が何人かいて、彼らと頻繁に連絡を取り合ったり、共同生活なんかができたら……たぶん、辛い毎日も笑い話にできたりするんじゃないかと思うんですよね。「また面接落ちたー笑」「もういい、飲もう!」みたいな感じで。彼らと、何か小さなサービスを始めることだってできるかもしれない。

(ちなみに、「同じ境遇の仲間」というのが大切なポイントで、家族と実家で同居、みたいなのは生活には困らないけどダメだと思います。それは実質的には「1人」と同じです。)

幸い、「同じ境遇の仲間」を探すためのツールは、一昔前に比べるとずいぶん発達しています。

でも、まだまだそれは強者のためのツールといった面が強くて、弱者のためのツールにはなりきれていない、と感じます。これを、どこかのだれかがよりよく開発・発展させて、「弱者のためのツール」にできたら、これはある意味、生活保護なんかよりもっともっと強力なセーフティーネットになると思うんです。

お金がないのは、後々笑い話にもできるけれど、「孤独、話し相手がいない、気が紛れない」っていうのは本当に辛いし、笑えない。生活保護的なものを軽く見るわけではないけれど、真に救うべきなのって、救ってほしいのって、そこじゃない? と、私は思うんですよね。

(私はIT的なスキルはまったくないので、だれか早く“弱者のためのツール”を開発して下さい!)

★★★

……というようなことを、ソーシャルブックリーディングが終わったあとに、ちょっと考えました。

パッと思いついたことなので、いろいろ粗探しはできると思いますが、こうやって「考える」ことがきっと大切なんだよねー、そうよねー、と納得しています。

以上、私の感想と考えたことでした。

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

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