チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

2014年に読んで良かった本ベスト7を発表します。

2014年、まだ半月くらい残っているので自分のなかでは早いかなって気もするのですが、とりあえず今年も残りわずかなことに変わりはないので、2014年に読んだ本のまとめをやろうかと思います。

私は読んだ本の記録を「読書メーター - あなたの読書量をグラフで記録・管理」というサイトで管理しているのですが、このエントリが更新された12月16日時点で、今年は101冊の本を読んだということになっています*1。今月中に読み終わる予定の本が何冊かあるので、たぶん最終的には105〜110冊の本を1年で読んだことになるでしょう。私としては、1年で100冊くらいというのは本当に例年どおりなので、今年も普通に読書を楽しんだんだなというかんじです。

今回はその101冊のなかから、2014年に読んで良かったな〜と心の底から思った7冊を、ランキング形式で書き留めておこうと思います。

7位 山田花子『神の悪フザケ』

定本神の悪フザケ

定本神の悪フザケ

これが最強の鬱マンガ 山田花子『神の悪フザケ』 - (チェコ好き)の日記

まずは7位からいきますが、いきなり重い本を持ってきてしまいました。『神の悪フザケ』は、1992年に統合失調症をわずらって自殺した「ガロ」の漫画家、山田花子の作品です。余談ですが、私はサブカルクソ野郎なのでこの「ガロ」って雑誌大好きなんですよね。2002年に廃刊になっているのでリアルタイムでは読んでいないんですが、「ガロ」の全盛期をともに過ごしてみたかった。そんなふうに思う漫画雑誌です。

それで『神の悪フザケ』ですが、とにかく胸くそわるい漫画です。内容がとにかく不快でイライラするし、デッサン狂いまくりなので集中すると画面が歪んで酔ってきます。ブログで紹介しておきながらいうのもなんですが、軽い気持ちで手を出さないほうがいいでしょう。私もメンタルが安定しているときじゃないと、この作品は読み通せません。

だけど、やっぱり『神の悪フザケ』は素晴らしい。世の中には、こういうふうにしか世界が見えない人がいるんです。その”歪んだ世界”を描き残してくれたことに感謝しているし、私は山田花子という漫画家は天才だったと断言します。2015年は、『自殺直前日記 改』か『からっぽの世界』に手を出してみたいんですが、山田花子は精神に大打撃をくらわすので、読むタイミングはいろいろと考えなければいけませんね……。

6位 東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅

「旅で世界観が変わりました」は軽薄か? 東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』 - (チェコ好き)の日記

この『弱いつながり』は、今年すごく話題になった本でしたね。私も発売になってけっこうすぐに読んだ記憶があるのですが、同時にいろいろな人の書評を目にすることができて楽しかったです。

いいたいことは8月に書いたエントリでほとんどいってしまったので今改めて付け足したいことは特にないんですが、意味のないことや無駄なこと、偶然が生み出すーーというか生み出してしまう力を私は信じているし、むしろそっちのほうが人生において大切なんじゃないかとすら思っています。

旅行は、そんな意味のないこと、偶然を生み出すパワーがとても強力です。確かに準備はかったるいし私も前日になって突然「めんどくさい……」とか思ってしまうこともあるのですが、飛行機が離陸する瞬間、新幹線が発車する瞬間、日常からはなれていく瞬間は、ちょっと麻薬的な快感です。2015年はどこに行こうかなぁ。

5位 佐々木俊尚『簡単、なのに美味い!家めしこそ、最高のごちそうである。』

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。

不健全な精神は健全な身体に 『家めしとは、最高のごちそうである。』とか、ポテトサラダとか - (チェコ好き)の日記

特に病気をしたとか、身体が不調だったわけではないのですが、今年は食事について考える機会が多かった1年でした。私はバカ舌で濃い味好きなので、ほっとくと死ぬんじゃないかという懸念もあります。あんまり神経質になりすぎるのもどうかなと思うのですが、この本を読んでからアミノ酸添加の調味料を避けるようになりました。素材本来の味を楽しめる人になりたい。

不健全な精神は健全な身体に宿さなければならない」は私のオリジナル・スローガンですが、芸術鑑賞はときに肉体労働的な一面を持ちます。身体が不健康だと、芸術作品の持つ負のパワーに引きずり込まれてしまうときがあるんですね。でも、そんな負のパワーこそがアートの魅力だったりもするわけで、これと対峙するためには、自分の身体を健康に保っていなければなりません。……と偉そうなことをいいつつ今年は運動する習慣をちゃんと身につけられなかったので、来年はがんばります(棒読み)。とりあえず、きちんとした食生活をしていると、精神状態も安定してきます。

あとこの本に影響されて、今年ルクルーゼのお鍋を買いました。本に出てくるのはココット・ロンドですが、私は和食好きなのでココット・ジャポネーズというもう少し底の浅いお鍋を買いました。味が変わるかは正直よくわかんないのですが、キッチンが華やかになるので気に入ってます。

4位 原田裕規編『ラッセンとは何だったのか?ー消費とアートを越えた「先」』

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

美術史、ヤンキー絵画を語る『ラッセンとは何だったのか?』 - (チェコ好き)の日記

2014年、下半期の私はラッセンに夢中だったといっていいと思います。9月に書いた上記のエントリはもちろん完璧とはいえなくて、うまく言語化できていない部分もあるし、未だにラッセンの絵を見るとモヤモヤします。

もうすぐ絶滅するという芸術の未来について - (チェコ好き)の日記」という挑発的なタイトルで先日1つのエントリを書いてしまいましたが、「絶滅」という言い方は大げさだとしても、今後50年くらいの間に今我々が考えている「芸術」「アート」という概念は大きく変わるのではないかと私は睨んでいます。理由と根拠はうまくいえないのですが、もうそろそろマルセル・デュシャンの時代は終わってもいいし、私たちはこの呪縛から解放されるべきなんじゃないかと思うわけです。そして新しい「芸術」「アート」は、人類をもっともっと幸せにしてくれると私は考えています。

3位 スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティー』

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

【NYひとり旅/ラスト】マイ・ロスト・シティー - (チェコ好き)の日記

この第3位から私のなかではいよいよ本命というかんじなのですが、今年はあれですね、私にとってはスコット・フィッツジェラルドに持っていかれた1年でした。フィッツジェラルドの作品は20代前半の頃に一度読んでいたのですが、当時は「?」というかんじだったんですよね。年齢を重ねていくことで初めてわかる、文学やアートの魅力というものもあります。だから私は、毎年トシをとっていくのが楽しみですよ。

村上春樹訳の『マイ・ロスト・シティー』はフィッツジェラルドのエッセイ集なのですが、私のお気に入りは何といっても表題作、ニューヨークで公私ともに絶好調の頃の彼が書いた『マイ・ロスト・シティー』。最愛の女性・ゼルダと結婚して、有り余るくらいのお金と作家としての成功を手に入れたはずなのに、その頃に書いたエッセイのタイトルが「失われた私の街」ですよ……。もうタイトルだけで泣けますね。

私が好きなのはラスト近くに登場する、エンパイア・ステート・ビルからニューヨークという都市を眺めたときの描写です。上記のエントリでも引用していていい加減うざいと思うのですが、大好きなので何度でも引用しますね。

ニューヨークは何処までも果てしなく続くビルの谷間ではなかったのだ。そこには限りがあった。その最も高いビルディングの頂上で人がはじめて見出すのは、四方の先端を大地の中にすっぽりと吸い込まれた限りある都市の姿である。果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃないんだ、そんな思いが人を愕然とさせる。彼が想像の世界に営々と築き上げてきた光輝く宮殿は、もろくも地上に崩れ落ちる。エンパイア・ステート・ビルこそはかのアルフレッド・E・スミスがニューヨーク市民に贈った迂闊なプレゼントということになるだろう。
そして今、この失われた私の街に別れを告げよう。
マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー) p256

いつも「ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃないんだ」のあたりで涙がにじみ、前が見えなくなってしまいます……絶対に幸せになれると思って手に入れたものがただの幻想でしかなかったら、もうこれ以上幸せになんてなれないとわかってしまったら、あなたはどうしますか……(涙)

2位 カルヴィン・トムキンズ『優雅な生活が最高の復讐である』

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

『優雅な生活が最高の復讐である』にブログのサブタイトルを変えようかと思った話。 - (チェコ好き)の日記

ライターのカルヴィン・トムキンズが、ピカソヘミングウェイ、そしてフィッツジェラルド夫妻など、一流の芸術家たちと深く交流をしていたジェラルド&セイラのマーフィ夫妻にインタビューを行なったノンフィクション。これもタイトルが素晴らしい。だって『優雅な生活が最高の復讐である』ですよ。腕に彫っておきたい日本語ってかんじですね。

この本のいちばん好きなところは、スコット・フィッツジェラルドがジェラルド・マーフィに質問を投げかけるところ。「子供は病気になって、ニューヨークの株価は大暴落で、ツライことでいっぱいなのに、どうしてあなたはパーティーをしたり家を飾ったり、楽しくて優雅なことを続けるのか」とたずねるんですね。それに対する返答がこれです。

『人生のじぶんでこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。ぼくらにはいろんなことが起きるーー病気とか誕生とか、ゼルダのプランジャン入院とかパトリックのサナトリウムとか義父ウィボーグの死とか。それらが現実だ、どうにも手の出しようがない』。すると、スコットが、そういうものは無視するってことかい、と聞いてきた。だからこう答えた。『無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ』
優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫) p192

「人生のじぶんでつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないんだよ」。この部分がとにかくサイコーですね。生きていると望む望まないに関わらずいろいろなことが起きますが、そのなかから何を信じ、何を選び取るかは私たちの手に委ねられています。貴族趣味だ、選民思想だといわれても、美しい文学や映画や絵画は、どんなことがあっても人生を明るく照らしてくれます。

1位 『グレート・ギャッツビー』と『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (中公文庫)

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (中公文庫)

退屈は人を殺す『グレート・ギャツビー』と『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』 - (チェコ好き)の日記

1位が2冊ってどういうことというかんじですが、この流れできたらもう1位は『グレート・ギャツビー』しかないですよね。で、もちろん小説だけでも本当に本当に素晴らしいのですが、この作品の読解を助けてくれたのが村上春樹の『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』だったので、私のなかでは2冊で1セットというか、切っても切れない関係だったのでこうなりました。

8月に私はニューヨークに旅行に行ったのですが、この旅は完全にスコットとゼルダの、ジェイ・ギャツビーとデイジーの足跡をたどるためのものでした。この小説の何がここまで、現時点の私を引きつけたのかは不明ですが、あるタイミングでかちっとはまって、強力な磁場で物語のなかに引きずり込まれることが、生きているとたまにあります。『グレート・ギャツビー』は、物語としての構成が完璧ですね。紛うことなき美しさですね。

読むと必ず泣く、大好きなラストの一文を引用してもいいでしょうか。

ギャッツビーは緑の灯を信じた。悦楽の未来を信じた。それが年々遠ざかる。するりと逃げるものだった。いや、だからと言って何なのか。あすはもっと速く走ればよい、もっと腕を伸ばせばよい……そのうちに、ある晴れた朝が来てーー
 だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう舟である。そして、いつでも過去へと戻される。
グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫) p295

旅行記のなかでも触れていますが、物語の語り手であるニック・キャラウェイは、作中で30歳の誕生日をむかえます。だから、『グレート・ギャツビー』はアラサーのための小説なんですよ。夢と現実、過去と未来、そんないろいろなものに決着をつけて、それでも前に進んで行かなければならないのがこの年代だと思うのですが、私たちは前に進んでいるようで、実は過去に失ってしまった何かを必死に取り戻そうとしているだけなのかもしれません……(遠い目)

★★★

最初はもっとあっさりしたエントリになる予定だったのですが、第3位あたりから好きすぎて語り口がうざくなってしまいました。ここまで読んでくれた方、お疲れ様でした。

グレート・ギャツビー』は、いつか原文で読んでみたいと思っています。やっぱりもともとの言語でないとわからない音の美しさとかがあると思うので。あとは、改めて村上春樹訳のも読んでみたいですね。

これを読んでくれたみなさんと私が、2015年もすてきな本に出会えますように。

*1:うち漫画が3冊、雑誌も3冊。書籍はもれなく管理しているのですが、漫画と雑誌は登録漏れがけっこうあるので、合わせるともっといきます