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チェコ好きの日記

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過去の記憶とアンドレイ・タルコフスキー

映画

翌日のダルさがハンパないのでそんなにしょっちゅう行きたくはないですが、オールナイトで映画を観るのが好きです。

オールナイト上映といえば、池袋新文芸坐。先日こちらの新文芸坐さんで、『私たちのアンドレイ・タルコフスキー』なる特集上映が行なわれていたので、行ってきました。上映された作品は、惑星ソラリス』『ストーカー』『鏡』の3つ。『惑星ソラリス』はかろうじて観られましたが、『ストーカー』は8割、『鏡』は2割くらいしか起きていられませんでした、眠くて……。私は『鏡』って何回も観る場は作っているんですが、毎回寝てしまうので未だに全部を通しで観れた試しがありません。最初のほうの、火事を観ながら茫然としているシーンくらいまでしか頭に入っていません(でもあのシーンはすごく好き)。

このブログでタルコフスキーの名前はちょくちょく出している気がしますが、そういえばこの人の映画について1エントリ割いて書いたことってなかったなあと思ったので、今回は上記の作品を中心に、私にとって「2番目に好きな映画監督」であるアンドレイ・タルコフスキーに関する雑感を書こうと思います。ちなみに1番好きな映画監督はヤン・シュヴァンクマイエルです。

過去の記憶と『惑星ソラリス

私がいちばん好きなタルコフスキー作品というと、今回の上映作品にはなかった『ノスタルジア』です。で、『ノスタルジア』はタイトルの通りまんまですが、このアンドレイ・タルコフスキーという人は、「過去への郷愁」というテーマについてものすごくこだわり続けた人だと私は思っていて、『惑星ソラリス』もそういう作品だと思っています。

惑星ソラリス [DVD]

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この映画は、主人公のクリスが「ソラリス」という不思議な惑星の調査に出かけるという話なのですが、「ソラリス」のどのあたりが不思議なのかというと、この惑星は訪れた人間の頭のなかにある心象を具現化してしまうんですね。ソラリスにはクリスを含め3人の調査員しかいないはずなのですが、このソラリスが作り出した生命体がいるので、3人以外にも人や犬が登場してきて、それが何とも不気味。ちなみに、クリスが具現化してしまったのは、10年前に死んでしまった妻です。口論になって家を飛び出した直後に、毒を注射して自殺してしまった妻なので、クリスは妻への罪悪感とか愛情とかに苛まれて、ソラリスが作り出したに過ぎないこの生命体を放っておくことができません。他の2人は、この生命体が調査の邪魔になることをわかっているのでそんなクリスを諌めるのですが、彼は何度死んでも蘇生するソラリスが作り出した「幻想の妻」を愛してしまいます。

私がこの映画を観ている間ずっと考えていたのは、「自分がソラリスに行ったとしたら、いったい何が具現化されてしまうんだろう?」ということでした。クリス以外だと、ソラリスに行った調査員は「妻と離婚してもう会えなくなってしまった自分の子供」とかを生み出していて、”心に深く残っているのだけど、今手にすることはできない/難しい人、モノ”が生命体として具現化しやすいのだということがわかります。最終的にクリスは、10年前に自殺した妻以外に(自分が幼かった頃の)お母さんとか、犬とかを生命体として生み出してしまうのですが、このあたりは「なるほど」というかんじです。「今の母」じゃなくて、「自分が幼かった頃のお母さん」を具現化してしまうというのは、あるかもしれないなあ。

3月生まれのみんな、お誕生日おめでとう。 - (チェコ好き)の日記」で書いた通り、私はあんまり過去への執着はないつもりなのですが、タルコフスキースコット・フィッツジェラルドが描く「郷愁」になぜここまで自分が強く惹かれてしまうのか、よくわかりません。「自分にとってもっとも幸福な時代は、はたしていつだったのか?」という問いについて、私は「今です」としか答えられないし答えたくないのですが、それはある意味私がまだ幼く、未熟だからかもしれません。

学生時代に3回くらい挑戦して挫折しているんですが、たぶんマルセル・プルーストの『失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)』もちゃんと読めたら私はすっごいハマると思うんですよね……。1巻だけしか読んでないしそのときはあんまりピンと来なかったけど、なんかタイトルだけで泣きそうになります。

家の外の「火」と家のなかの「水」

タルコフスキーといえば、「火」と「水」のイメージを巧みに描く作家として知られていますが、それがただ美しいだけでなく倒錯的な印象をあたえるのは、通常、家のなかで使用される「火」のイメージが家の外に出てきて、家の外にあることが多い(雨など)「水」のイメージが家のなかで表出するからです。『惑星ソラリス』のラストシーンはこれがわかりやすいですね。家のなかでクリスのお父さんの肩に雨(のようなもの)が降り注いでいて、家のなかを見つめるクリスの後方、家の外で何かが燃えているのが見えます。『鏡』の火事のシーンも、家の外に「火」のイメージがある、という点ではそうかも。

私はタルコフスキーの映画を観ているとよく「なぜこの人は私のことを知っているのだろう?」と思うことがあるのですけど、なんか映像に既視感があるというか、「昔見たことがあるような気がする光景」をこの人は描くんですよね。でも、その映像は実際に目にしたものとまったく同じではもちろんなく、”何かがずれている”。それがこの「火」と「水」の逆転で、かつてあったものを一生懸命思いだそうと、再現しようとするのだけど、100%の再現はできなくて、その何ともいえばい歯がゆさ、齟齬を表している気がします。

そういえば私は一度、修論のテーマでタルコフスキーを扱おうと考えたことがあったのですが、今思うとこれはやらなくてよかったですね。なんというか、この人の映像は私と「距離が近すぎる」。学生時代、シュヴァンクマイエルに関する文章がスムーズに書けたのは、この人と私の間にだいぶ距離があったからでしょう。どちらに感情的に深入りするかといえばタルコフスキーなんですけど、自分と距離が近すぎる作家について批評をしたり分析をしたりするのはけっこう厄介です。

タルコフスキー映画―永遠への郷愁

タルコフスキー映画―永遠への郷愁

タルコフスキーはもう十分に評価された映画監督なので今更私が書くことは特にないのですが、この人に関する評論はやたら難解かやたらエッセイじみているかでなんか読みにくい印象があったので(上記リンクの本とか)、だれかわかりやすくて面白い批評文を書いてくれないかなーなんて期待したりもします。でもなんかタルコフスキーについて語るとみんなちょっと暗くなるよね。人間のそういう部分を誘発してしまう人なのかもしれません。

オールナイト上映に行くと、学生時代のことを思い出して少々感傷的になったりしてしまいます。徹夜で映画観るのしんどいですが(体痛くなるし)、体力が続く限り、この空気感を味わうために新文芸坐さんに通おうと思います。個人的には、いつかテオ・アンゲロプロスのオールナイトをやってほしい。

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