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チェコ好きの日記

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自分の欲望をしっかりと見極める、のは難しい

「それは、本当に自分の欲しいものなのか」もしくは「広告やSNSやまわりの環境によって、欲しいと思わされているだけなのか」。私はいろいろなところで、散々この2つをしっかりと見極めるべきだという話をしてきた気がするのですが、最近になって、これってすごく難しいよなー、と思い悩み始めてきてしまいました。aniram-czech.hatenablog.com

わかりやすい例だと、私は文章を書くのが好きで、よくもまあ飽きもせずにパチパチとキーボードを打っているなあと思うわけですけど、これが一昔前だったらどうだったか。インターネットやブログというものがなくて、何かを書いても基本的にはだれも読んでくれないものだったら? さらに時代をさかのぼって、パソコン、というかタイプライター的なものもなくて、文章を書くには紙とペンを使うしかなかったら? 私には、腱鞘炎になってまで書きたいことがあっただろうか。指にペンだこや血豆を作ってまで、こんなに膨大な文章を吐き出していただろうか。それは正直、甚だ疑問です。「書きたいから書いている」のか、「ツールに書かされている」のか、よくわからないなあというのが現状です。このあたりの問題定義は、以下の記事や本でもされていますね。

「書かされている」人々 - シロクマの屑籠
アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン

さらにいうと、以下の対談記事でも、「現代人は自分の欲望がよくわかっていない」という話がされています。昔は、いろいろなタイプの性欲があるのをみんなが知っていて、もちろん日常生活ではそれは秘匿されるのだけど、レンタルビデオ店に行けばバラエティに富んだアダルトビデオがあったといいます。表には出さなくても、自分が本当は何を求めているのかわかっていた、と。だけど今は、その種類が絞られてきてしまい、マニアックな性癖を扱うものが減ってきてしまったらしい。性欲の話になるとそれはそれで別の問題が派生してきそうですけど、「現代人は自分の欲望を上手く把握できていない」という点では、上記の記事や本と通じる話をしていると思います。

【第3回】顔が好みで都合のいい女は空から降ってこない! 結婚したければ、自分の欲望を知り、行動を起こせ | 二村ヒトシと川崎貴子の「愛する技術」 | 現代ビジネス [講談社]

いつから、どうしてこうなったのか

では、「現代人」というのははたして、具体的には何年代からの人たちのことをいうのか。また、「現代人」が自分の欲望がわからなくなってしまった理由は何なのか。特に目新しい視点ではありませんが、これはやっぱりインターネット、SNSの影響が大きいんだと思います。つまり、「現代人」とはmixiなんかが流行り始めたゼロ年代後半、もしくは2010年代の人たちのことを指しています。

理由は明白で、「いつでもどこでも他人とつながる」ことが可能になってしまったから。旅行先で見た絶景も、気の合う仲間とするBBQも、ブログに書く思想も、すべては他人と共有するためのもの。自分ではそんなつもりはなくても、知らず知らずのうちにこれらのなかで「相互監視システム」が働いてしまう。当ブログでバカのひとつ覚えのように例に出していてお恥ずかしいですが、もう本当に『一九八四年 ハヤカワepi文庫』なんだな今は、と私は思わざるを得ません。

いつでもどこでも他人とつながってしまうから、どんなときでも「他人に見せるための自分」でいられるように意識が働いてしまう。それは結果的に、人と共有しにくい自分独自の欲望、性欲をかき消してしまったり、ブログやSNSでの過剰とも思われる自己主張、自己アピールにつながっていくのでしょう。もちろんこれはデメリットだけではなくて、いろいろなものが可視化されやすくなった分、「悪いことがしにくくなった」というメリットもあります。そうでなければ、Airbnbのようなサービスは発展しなかったはずです。その分、「twitterの裏アカウントを作る」みたいなことも起きるわけですが。

どうすれば、自分の欲望を把握できるのか

「自分の欲望を理解せよ、把握せよ」ということはけっこういわれてきた気がするのですが、ではどのようにしたらそれが可能になるのか、という話はまだあまりされていないように私には思えます。

で、今回はその打開策を1つ考えてみようじゃないかという話ですが、これは「他人とつながる」ことが原因で自分の欲望がわからなくなってしまったのだから、単純にその逆をやればよいのです。つまり、「つながり」を断てばよい。1週間くらい、それが難しければ1日でも、インターネットに接続しない。SNSのことを忘れる。パソコンやスマホに触らない。これがおそらくいちばん具体的かつわかりやすい方法で、私も実際、夏休みに海外旅行に行く1週間くらいは、緊急時の連絡手段以外のすべてを遮断することにしています。……といいつつ、昨年はちょっとだけtwitter見てしまって失敗しているんですが、今年はもう一度、これをやり抜きたいですね。「つながり」ではなく、目の前のリアルに向き合わざるを得ない環境をつくる。日常を離れて1人で旅行に行くと(特に海外だと)、目の前の情報量がハンパなく増えるので、これをやりやすい状況に自分を追い込むことができます。日常生活を送りながらこれをやるのはけっこう決心がいるし、場合によっては支障も出るかと思うんですが、旅行中だとわりと苦もなく実行できます。我ながら、旅行のあとはスッキリした顔で帰ってきてるなあ、と思います。


しかし、「というわけなので、デジタルデトックスしましょう!」で終われるほどこれは簡単な話でもないと私は思っていて、確かに一時的な遮断によって、自分の欲望とか、野生の勘みたいなものを取り戻せるような気はするんですけど、これって肩こりがひどいからマッサージに行って一時的に痛みを取る、くらいの対処療法にしかならないと思うんですよね。何もやらないよりはマシな気はするんですが、所詮「何もやらないよりはマシ」という程度の話でしかない。あんまり根本的な解決策ではないなあ、と思います。2年くらい完全情報断食すればけっこう効果が出る気もしますけど、それはさすがに、あんまり現実的ではないですよね。

何より、時代が進んでこうなったということは、「他人とつながりたい」が人間の本来的な欲望だった、とも考えられます。他人とのコミュニケーションは、最新のゲームでも、名作といわれる映画でも、どんなものでも勝てない最高の娯楽です。「つながりたい」が本来的な欲望としてあったからこそ、いろいろなSNSやつながるためのツールが発達したのではないでしょうか。加えて、私は「一度進んだ時計の針は、二度ともとに戻すことはできない」という思想の持ち主なので、情報断食みたいな行ないを(私はマッサージだと思ってたまにやりますが)あんまり人に積極的にオススメしようと思えません。そこまで効果がある行為だとかんじないからです。


なので、これから先は、「他人とつながりつつ」、つまりtwitterでつぶやきfacebookのキラキラ投稿を見てブログを書きつつ、その上でなお「自分の欲望を把握する」方法、それが求められてくるのではないかと思います。それが具体的にどのような方法であるかは、私にはまだ提示できません。だけど1つ考えられるものとして、「他人とのコミュニケーションのなかから探っていく」、そんな方法を確立できたらいいのではないでしょうか。「他人に見せる自分」ではなく、「他人と対話する自分」。本来的な欲望がコミュニケーションであるのなら、いちばんの目的は「見せる」ことではなく「対話」のはずです。まあ、「対話」するためには「自分の欲望を把握する」必要があって、結局堂々めぐりじゃん、という話にもなってしまいそうですが……。

あるいは、希望のない話として、もう「自分の本当の欲望」なんてあきらめる。そんなものはもともとないし、あったとしてもたいしたものじゃない。みんな同じで、みんなキラキラニコニコしていて、みんな美人で、悪いことはしにくくなって、それのどこがいけないの? ちょっと暴力的にも聞こえますが、開き直って全部つながっちゃえという、こっちの思想もなかなか捨てがたいような気もします。いや、でもやっぱりこっちは地獄行きですかね。できれば前者の方法で、なんらかの打開策を見つけたいものです。


「他人に見せる自分」ではなく、「他人と対話する自分」へ。本日はここまでとなりますが、次の世代の幸福を探る方法は、ここらへんにあるのではないかという気が私にはします。