チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

ノイエ・ザハリヒカイト 社会の「不安」が生み出す文化

わくわくする、どきどきする、うきうきする! 


そんな幸せな気分が、いついかなるときも素晴らしいものを生み出すとは限らず、かえってキッチュでくだらないものを生産してしまい、カルチャーの空白地帯になることがある。反対に、倦怠、不安、恐怖、嫉妬、絶望、一般的には好ましくないとされるそれらの感情から素晴らしい文化が生まれることもあり、これは個人であっても社会であっても同じことだ。神様は、つくづくこの世を厄介に設計したものだな、と思う。


「新しい(ノイエ)即物性(ザハリヒカイト)」、もしくは「魔術的リアリズム」。後者はガルシア・マルケスの文学作品を言い表すときに使う言葉でもあるが、前者は意味的には同じでも、1920〜30年代のドイツで生まれた芸術を指すことが多いらしい。そしてその頃のドイツ、あるいは周辺国であるベルギーやオランダをとり囲んでいたのは、「わくわく・どきどき・うきうき」というよりはむしろ、倦怠や不安や絶望のほうだったといえるだろう。いや、より正確には、その両者が複雑に混ざり合ったものだった、といったほうが正しいのかもしれない。


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フランツ・ラジヴィル 『ストライキ』 1931年


「ノイエ・ザハリヒカイト」を生んだ1920〜30年代のドイツはたぶん、真っ暗な闇の中を、わずかな灯りをたよりに手探りで、しかし超高速で進んでいかねばならぬような時代だった。西欧の工業化が進み、産業は発展するも、それらはどこか自分たちの本質を置いてきぼりにしていくような不安をともなうものだった。


不安をかき消すために、人々は歴史の中で初めて手に入れた人工の灯りを街灯にともし、大都会に輝く「夜の街」を作り出した。劇場に映画館、キャバレーにナイトクラブ。イルミネーションが彩る中で、人々は酒を飲み、歌をうたい、踊って、恋をして、時代の不安をかき消した。そしてもちろん、芸術は時代のムードに呼応する。


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A・カレル・ウィリンク 『悪い知らせ』 1932年


オランダ出身のカレル・ウィリンクは、「終末と没落の画家」とよばれる。廃墟、無人の都市、SF的幻想、悪夢、ギャグ、ブラックユーモア。陰鬱なのは絵の雰囲気だけではなく、ウィリンク自身の人生にも多分にそういうところがあったようで、絵のモデルにもしていた三番目の夫人が麻薬絡みの事件に関与し、惨死体で発見されたりしている。


この人の絵を観ているとすごく不安になるし、とてもじゃないが「いい気分」にはなれない。でも、吸い込まれるような魅力があって、ついずっとずっと眺めてしまう。まさしく、不安の時代が生んだ芸術家だ。ウィリンクがこの年代のオランダに生きていなかったらどんな作品を作っていたんだろうという疑問もわいてくるけれど、歴史に「もしも」は不要である。


明るかろうが暗かろうが、幸せだろうが絶望していようが、自由の身であろうが監獄の中であろうが、どんな環境であれ人間はおそろしいほどのクリエイティビティを発揮してしまう。明るくって、幸せなものだけが人を動かすわけではない。ノイエ・ザハリヒカイトやシュルレアリスム魔術的リアリズムの作品群を私が好きなのは、「どんな環境だって面白がってやるよ」という挑発を根底に垣間見るからかもしれない。


ところで、今って、「幸せに向かう明るい時代」なのか、「絶望に向かう不安な時代」なのか、どっちだろうな。前者のような気もするし、後者のような気もする。100年後に、今の時代に登場した作品を批評家たちが分析して、初めて答えがわかるのだろう。リアルタイムではよくわからなかったりする。たぶんそこまで生きられないし、生きたくもないけれど、答えが出るのが今からとっても楽しみだ。