チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

アヘンで人は幸福になれるか?

世の人の苦悩は、たいてい「欲望と現実のギャップ」から生まれる。たいていっていうか、100%そうかも。モテたいのにモテないとか、結婚したいけど相手がいないとか、お金がいっぱい欲しいのにお金がないとか、好きなことを仕事にしてガンガン稼いでモテまくって雑誌とかウェブメディアに取材されたいのに上手くいかないとか、フォトジェニックなゴハンを作ってインスタにアップしたいのに料理が下手とか、っていうかこれカメラの性能の問題? とか(私のことじゃないよ! 全部一般論だよ!)


もう一度言う。大なり小なり、人の苦悩は「欲望と現実のギャップ」が生むのだ。



(※こちらは現在、午後の3時。わたくし今、シチリア島パレルモに滞在しております)


そして、世に蔓延るたいていの商品は、「私があなたの現実を、欲望に追いつかせてあげましょう」とアピールする。このカメラを買ったら、もっと素敵な写真が撮れるかも。この化粧品を買ったら、もっと綺麗になれるかも。このコーヒーメーカーを買ったら、もっと優雅な朝が過ごせるかも。このビジネス書を買ったら、もっと上手に仕事が進められるかも。このエッセイを買ったら、今よりもっと世界がキラキラして見えるかも。先行するのはいつだって欲望で、現実はそのあとを追いかけるもの。現実を欲望に近付ける。私たちは、苦悩を解消する方法はそれしかないのだと思い込んでいる。


でも本当は、もう一つ、別の方法が存在するのだ。私たちが、いつもやっていることの逆。そう、欲望を現実に近付けること。欲望をダウンサイズすること。「モテたいのにモテない」から苦しいのであって、そもそもモテたいと思わなければモテなくても苦しくないのだ。これは詭弁なんかじゃない。


欲望のダウンサイズを合法的にやるには精神の鍛錬が必要で、私ぜんっぜん詳しくないんだけど、たぶんガチでやるには仏教の世界とかに行くといいんだと思う。ただ、違法でいいから(良くねえよ)もっと簡単お手軽に欲望のダウンサイズがしたいよ〜! って人におすすめしたいのは、アヘン。真面目な話、アヘンの吸引と仏教の世界って繋がっていると私は思っていて、ていうかドラッグと宗教って全体的に繋がってるよね。

「欲望の器がちっちゃくなる」とは

と、人に勧めておいて私自身はアヘンを吸ったことないんだけど、アヘンを吸ったらどんなカンジになるのかはちょっとだけ知っている。なぜなら本で読んだから。「本かよ!」と笑うなかれ、本はすごい。リスクゼロ、コストはたった1000円、しかも合法で、アヘンを吸引したらどんな世界が見えるのかちょっとだけわかっちゃうのだ! 本はすごい。


アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)


というわけで、その世界を詳しく知りたい人がいたらぜひアヘンを本当に吸引する前に上の本を勧めたいのだが、著者の高野秀行さんによると、アヘンを吸うと「欲望の器がちっちゃくなる」らしいのね。モテなくてもいい。結婚なんてしなくていい。お金もなくていい。好きなことを仕事にしなくたっていい。ガンガン稼いでモテまくって雑誌やウェブメディアに取材なんかされなくてもいい。欲しいものもない。行きたい場所もない。食べたいものもない。ただこうして、横になって、ダラダラしながらアヘンを吸っているだけで、めっちゃ幸せ〜〜〜!


「そんなの、本当の幸せじゃないよ!」って言うことは簡単だ。ここまでプッシュしておきながらあれだけど、私だってアヘン吸って横になってるだけの廃人の日々が幸せだなんて本気で思っているわけじゃない。ただ、「なぜ?」に答えられないだけ。苦悩がないならいいじゃない。幸せだって本人が言うんだったらいいじゃない。どうして先行する欲望を現実が追いかけなきゃいけないの? どうして逆だといけないの? 


一つ問題があるとするならば、いつかお金が尽きるってことだ。アヘンには中毒性がある。ハマればハマるほど、それなしでは苦しくて生きられなくなる。人を殺してでもそれを手に入れたいと思ってしまう。アヘンを買うためのお金がなくなってしまったとき、たぶん私たちは法を犯す。普通の社会生活はもう送れなくなってしまう。

ではもし、アヘンが無限にあったなら

つまり、アヘンで(薬物で)幸せになれない理由があるとしたら、「それを永遠に摂取し続けることはできないから」だと思うんだよね。でも、だったらもう死期が近い老人が使うのはアリ? とか、アヘンや薬物ってのは違法だから高価なのであって、社会全体のインフラ的存在として安価で提供し始めれば問題ないんじゃないかとか、なんだかそんなことをずっと考えていたら春のうららかな一日が潰れた。ひどい過ごし方だ。


現実的に考えると、「アヘン(的なもの)を無限に提供し続けられる社会」を明日からすぐ始めようぜってのは無理だ。私たちはまだ当分、先行する欲望を現実が追いかけるこの地獄を生きなければいけない。


でも、もっともっとずっと先、たとえば百年後とか二百年後だったら、案外「無限アヘン」の社会が実現できるんじゃないかなって思うんだよね。雑用はぜーんぶAIに任せて、私たちはただ脳みそにコードをぶっさしてシアワセ成分を注入されながらゴロゴロするんだ。何もしなくていい。どこにも行かなくていい。誰からも承認されなくていい。生きてるだけで幸せだ。誰も苦しまない。


「そんなのは"生きてる”って言わない、ディストピアだ!」って言うことは簡単だ。私だって本気でそんな社会の到来を願っているわけじゃない。私、案外ふつうの社会生活を送っている人だから、友人と語らうことの楽しさも、恋をすることの美しさも、夢ややりたいことを追いかける充実感も一応人並みには知っている。


ただ、「なぜ?」に答えられないだけ。誰も苦しまない幸せな社会になったらいいなって思うのに、アヘンが無限にある未来社会を否定したくなるのはなぜだろう。もっと仏教とか勉強したらわかるのかな。


でも、好む好まざるに関係なく、人類の未来は案外マジで「無限アヘン」に向かっていくんじゃないかって気もする。だって、この地球上の全員を漏れなく幸福にする方法なんてたぶんそれくらいしかないから。SF小説の読みすぎかもしれないけど。


もうすぐ、私たち全員シアワセになれる。もうすぐ、誰一人例外なく。


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(※シチリアはとても快適です。パラダイス)