チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

2019年の「におい」について。あるいは、ボルヘス『伝奇集』

2019年に読んだ最初の本は、J.L.ボルヘスの『伝奇集』だった。南米の文学といったら私の中ではガルシア=マルケスかマリオ・バルガス・リョサだけど、実は他はそんなに読んだことがない。シュルレアリスムより〈ヤバイ〉のがマジックリアリズムである」という私の学生時代の直感(?)を信じて、今年は南米の文学にたくさん触れたいな。コルタサルとか、オクタビオ・パスとかも読んでみたい。


伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)


それはそれとして、『伝奇集』である。


1つ1つがコンパクトな短編集なので、「海外文学特有の、難解な長編小説みたいなやつ、無理なんですけど……」という人でも、まあまあ読みやすいのではないかと思う。その中で、私が特に気に入った短編4つについて、今回は書いておきたい。

1.円環の廃墟


(※これはイメージ画像です。2018年、バチカン美術館にて)


まずはボルヘスの代表作らしい『円環の廃墟』。代表作というだけあって私もとても気に入ったのだけど、あらすじを書けと言われると非常に困る。ある男が闇夜に岸にたどり着いて、土手を這い上がると、密林の中に神殿がそびえている。そしてその神殿で、彼は夢を見るのである。次のシーンで場面は急に現実的なものに変わり、男は円形の階段教室の中央にいて、学生たちに講義をしているのだ。


夢のほうが現実的で、現実のほうが幻想的。私こういうモチーフが好きで、自分でもそれに近い体験をすると嬉しい。以下のnoteは中東旅行の際に書いた日記だけど、期間限定で全文無料公開しておきます……。ヨルダンで、私は砂糖が大量に溶け残ったドロドロに甘い紅茶を飲みながら、定刻に流れるイスラムのお祈りを聞いて、目元以外を黒い布で覆った女性たちに囲まれていた。でも、夢の中では、朝起きて、お弁当を作って、電車に乗って会社に行ってたんです。人生は奇怪だ。


note.mu

2.バベルの図書館


(※これはイメージ画像です。2018年、パレルモにて)


たぶん難しく読もうと思えばいくらでも難しく読めるのだろうが、感覚的に好きだと思った作品。何は何の暗喩であり〜とか、難しいことはよくわからないが、広大な図書館を(たぶん)世界にたとえていて、訪れる人を(たぶん)旅行者にたとえているところが好きだ。

図書館は無限であり周期的である。どの方向でもよい、永遠の旅人がそこを横切ったとすると、彼は数世紀後に、おなじ書物がおなじ無秩序さでくり返し現れることを確認するだろう(くり返されれば、無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ)。この粋な希望のおかげで、わたしの孤独も華やぐのである。
(p.116)

特に好きなのは最後のこの一文。孤独が、癒されたり紛れたりするのではなく、粋な希望で華やぐのだ。その粋な希望とは、「これはくり返しくり返し、誰かが何度も経験していることだ。誰かの記憶の中にあるものだ」というもの。私はこういう世界観が好きだし、実際、自分の孤独もそうやって華やかなものにしている。

3.刀の形


(※これはイメージ画像です。2018年、E.U.Rにて)


これは代表作でもないし、たぶん『円環の廃墟』や『バベルの図書館』と比べても小粒な作品だ。とある村に謎のイギリス人が住みついている。ボルヘスは彼と食事をし、彼の顔に走る刀傷について、つい尋ねてしまう。イギリス人は、英語とスペイン語ポルトガル語を交えながら、自らの来歴について語り始める。


これはとにかく終わり方が好き。大どんでん返しというほどでもないし、小説としてそこまで珍しい手法でもないのだろうが、ちょっとゾッとしてしまった。ちなみに最後の一文は「わたしが、ヴィンセント・ムーンです。軽蔑してください」だ。

4.南部


(※これはイメージ画像です。2018年、パレルモにて)


実はボルヘスを読んでいて、「ちょっと近いかな?」と思ったのが、タイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの世界観である。どちらも「輪廻」「転生」「くり返し」というモチーフが軸にあるように思うのだ。だけどもちろん対照的なところもあって、アピチャッポンはアジア的であり、その反復は浮遊霊のようにふわふわと現れては消える。一方で、ボルヘスは西洋的であり、秩序立って・論理的に・円を描くように・規則的に反復が起こる。ボルヘスはアルゼンチンの作家だが、超インテリ家庭に育ったヨーロッパの知識人でもあるので、そういう感じになるのかなと思う(ちょっとてきとう)。


aniram-czech.hatenablog.com


『南部』もまた、そんな反復性みたいなものを私に感じさせる短編だ。あらすじとしては、ある男が治療のため、病院に入院している。そこで夢を見る。男は「気が狂っている」のかもしれないが、男の見る夢は永遠であり、それは男だけの夢ではなく、人類が共通して見る「夢」なのだ──と、解釈して読むのが私は好きだ。(合ってるのかは知らない)


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私は潔癖日本人なので、普段の生活では基本的に「無臭」を好む、ちょっと味気ない人間である。香水は苦手だし、柔軟剤の香りもダメな場合が多い。


だけど、海外に行くと、「におい」を強烈に感じる瞬間がある。パリに行ったときは機内のエール・フランスからしてブランド物の香水のにおいがムンムンだったし、カンボジアのホテルではそこらじゅうでレモングラスの香りが立っていた。台湾や韓国には独特の香辛料というか食べ物のにおいがあるし、ローマの教会ではお祈りのときにずっとレモンの香りが漂っていたな。あと何より、私はお金がないので、旅行に行くときいつもバカ安くて乗り換え時間がアホほど長い航空券をとってしまうのですが、その時間、暇すぎて免税店で香水を物色するくらいしかやることがないんですよね。あの瞬間で眠っていた嗅覚が目覚めているのかもしれない。


そして、文学の中でもっとも「におい」を感じるのが、私にとっては南米文学だったりする。ガルシア=マルケスの小説にはムッとするような薔薇の香りを感じるし、ボルヘスの小説にもユーカリや薔薇の香りの記述がある。それらがいわゆる「良い香り」か? と問われると、ちょっとわからない。汗や熱気や体臭と混ざったそれらは、人によっては不快かもしれないからだ。だけど同時に、強烈に魅力的でもある。熱気と頭の芯まで麻痺させるような強い香りに誘われて、永遠の迷宮に迷い込んでしまいたい……。


私はまだ行ったことがないのだけど、実際の南米は、どんな「におい」がするのかなと考えている。薔薇だろうか、土だろうか、埃だろうか、珈琲だろうか。なんとなく、嗅覚を、本能を目覚めさせたいと思う、2019年の年の始め。


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(※これはイメージ画像です。2016年、雨の降るバリ島にて。あと去年の暮れに百貨店をいろいろ徘徊して、香水は香水でもディプティックとトムフォードとジョーマローンはわりと嫌いじゃないことも判明しました)