チェコ好きの日記

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【カンボジア一人旅/8】満足でもなければ、不満足でもない日常生活の始まり

お前はいつまで遺跡について書くつもりなんだというかんじになっていますが、全部書かないと消化不良で(私が)気持ち悪いため、まだ続いているカンボジア旅行記です。前回のエントリはこちら。
aniram-czech.hatenablog.com

読売新聞プノンペン特派員が、向こう側と特別コネがあり、一緒に行けるよう、話も進んでいるそうですが、著作権のことが面倒なので、自分一人で、まず狙うことにしました。
旨く行かなかったら、危険はそう何回もせず、サッと諦めて読売に従います。
旨く撮れたら、東京まで持って行きます。
もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!
今から、同居している多勢の子供たちを撮ります。


一ノ瀬泰造地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)』p246


この日の午後は、プレ・ループという遺跡から。961年に創建されたそうで、アンコール遺跡のなかでも古い部類に入るやつだと思います。ヒンドゥー教の寺院だったらしく、仏教的な要素はなし。

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そしてこの日にめぐった最後の遺跡は、プラサット・クラヴァン。創建は921年で、こちらもヒンドゥー教です。

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この時点でまだ14時くらいだったのですが、朝っぱらから炎天下を歩き回っているため、昼をちょっと過ぎたくらいでドロドロに疲労します。なのでホテルに戻って昼寝したあと、夕方くらいからパブ・ストリートに散歩に行きました。パブ・ストリートとは、お土産やさんとか飲食店がならぶ観光客向けの通りとのことです。

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私の宿泊していたホテルは国道6号線沿いにあったので、パブ・ストリートまでは徒歩で20分くらいかかりました。カンボジアはやっぱり徒歩の国ではないらしく、歩行者がほぼ私1人という大変やりにくい状況で心細かったです。しかし、プノンペンの汚ねぇカオスっぷりに比べると、観光地であるシェムリアップは整備されていてまだ秩序だっているように見えました。

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パブ・ストリートは、「パブ・ストリート」って書いてあるのでわかりやすかったです。買う勇気はなかったけどドリアンが売ってました。

「道が舗装されてない」という文句を何回か書いている私ですが、その舗装されていない道をバイクや車やトゥクトゥクがガンガン走るので、プノンペンシェムリアップも土埃がひどいんですよね。20分歩いただけで、顔まで含めた全身が砂だらけになります。現地の人でさえマスクをしているほどでした。そのため旅行中はホテルに帰るたびに「勘弁してくれ」と思いながら土をはらっていたのですが、今こうして写真を見直してみると、砂だらけになって歩いた国道6号線がなんだか懐かしく愛おしいです。でももう1回行ったらまた「勘弁してくれ」って思うんだろうな。思い出というのは得てしてそういうものです。


ところで、シェムリアップで消息を断ちその後死亡が確認された報道カメラマン・一ノ瀬泰造さんの著書『地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)』には、カンボジアで知り合ったロックルー氏という友人がよく登場します。ロックルー氏は田舎で教師をしているんですが、お金を貯めてプノンペン大学の医学部に入り直し、医者になりたいという夢があるんですね。だけど医学部入学のお金を自力で貯めるのはなかなか困難だったようで、金持ちの質屋の娘と結婚し、彼女の母親から借金をする決心をします*1。私はこの、ロックルー氏の結婚のエピソードが非常に人間臭かったので、読んでいてなかなか入れ込んでしまいました。

金のために結婚する女に愛情はなく……かと思えばそんなこともないらしく、ロックルー氏は彼女の顔も性格もそこそこ気に入っているようで、「まあまあ好きな女と結婚できてお金も手に入って夢も叶うんだったら万々歳じゃん」というかんじで話は進行していきます。小説ではないから当たり前といえばそうなんですが、ドラマチックな展開ではないところがとてもリアルです。ロックルー氏が、高かった結婚指輪の話をするところとか、一ノ瀬さんに夜の生活の相談をするところとか、そういうところも好きです。

だけど、どういう経緯で話が変わったのかよくわからないのですが、結婚式を挙げたあとに「やっぱり借金の話はナシで」ということになったらしくて、ロックルー氏は医者になる夢を諦めることになってしまいます。愛情がまったくなかったわけではないとはいえ、夢のためにした結婚だったのに、その話は断ち消えてしまう……。おとずれたのは、多くの人が味わう、満足でもなければ、不満足でもない日常生活の始まりです。この時点ですでに戦場になっているシェムリアップで進んで行く、そのどうしようもない人間臭さが、なんだか私の頭には鮮明に残ってしまったのでした。

「大学はあきらめたよ。金がなければどうしようもないからなあ。それより教師講習テストなどで、もっと上のランクの教師になるヨ。以前お前がいったように、えらくなって金を持った俺なんて似合わないこともわかるヨ」
 彼は、夕方の散歩の途中、足を止めたわれわれの大好きな水車に眼をやりながら、まだみれんありげだったが、キッパリと言ってのけた。
 雨期のため増水した水で、水車がいそがしくガタゴト回っていた。


一ノ瀬泰造地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)』p280

だけど気になるのは、ロックルー氏のその後です。医者になる夢は潰えてしまったーー代わりに残ったのは、そこそこ愛せるお嫁さんと、いざというときに頼りにできる彼女の実家の財力と、そしてもっと上のランクの教師になるという新たな夢。それはいいんです。なんてことはない、多くの人が味わうことになる、失礼だけど平凡な人生だから。しかしこの結婚の話は、1973年の、カンボジアでの出来事です。

ポル・ポト政権率いるクメール・ルージュが首都プノンペンに突入したのは、1975年4月。そこからあの凄惨な虐殺が行なわれていくわけですが、「知識人敵視政策」によって、真っ先に殺害の対象となったのは、医者や教師など知識階級の職業に就いている人々だったといいます。

地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)』には、ロックルー氏のその後についての記載は一切ありません。だけど時系列から考えると、ロックルー氏のその後に、悲観的な予測が立ってしまいますよね。彼の、永遠に続くと思われた満足でもなければ不満足でもない日常生活は、実際はいったいいつまで続いたのでしょう? もちろん、その後について知る術はありません。


思いっきり不幸な人生は御免です。だけど、そんなに幸福でなくてもいい。目玉が飛び出るようなご馳走も、脳が痺れるような快感もなくていい。ただ、続いてくれさえすれば。


でも平和になれた我々は、舌の根も乾かぬうちにそれを忘れて、またぞくぞくするような刺激を求めて右往左往してしまうんだろうな。


旅行記、まだ終わりません。

*1:ちなみに、カンボジアの結婚は基本的に婿入りらしいです。