人が生きる目的とは何か。それは、自分の遺伝子を次の世代に継承することだ。
……と言うと、主に「人間」界から異論がわきおこりそうではある。子供を産むことがすべての人にとって重要なわけではない、とか。もちろん、私自身も子供がいない独身だし、「人間」界の話であるならば、これにはまったく同意だ。ただ、話を「生物」界にまで拡大するんであれば、人が、というかすべての生き物が生きる目的は、やっぱり自分の遺伝子を次の世代に継承することだ。それ以外の目的なんてないでしょ、と思う。
「自分の遺伝子を次の世代に継承する」とは、ようはゲームのクリア条件である。
えっと、世代を反映させて「赤」「緑」時代のポケモンの話をさせてもらうと、ポケモンは四天王を倒したあとにエンディングクレジットが流れる。もしも私たちの人生がポケモンであったなら、「自分の遺伝子を次の世代に継承する」ことに成功した時点で、エンディングクレジットが流れるのだと思う。実際、人間以外の生物なら、子供を産むと同時に死ぬやつとかいっぱいいる。ただ、人間の場合そこはやっぱりポケモンと同じで、ゲームをクリアした後もポケモン図鑑を埋めたりしながらあの世界はずっと続くし、逆にゲームをクリアしなくても、レベルを上げたり技を覚えさせたりしてるだけでけっこう楽しい。
昔ダーウィンのおじさんが、もっとも強いものが、もっとも賢いものが生き延びるのではなく、環境にたまたま適応できたものが生き延びるんだみたいなことを言っていたと思うんだけど、生き延びるを「自分の遺伝子を次の世代に継承する」と解釈すると、これはなるほどなと思う。村上春樹は、毎年ノーベル賞を逃しているとはいえ、小説や翻訳でめちゃくちゃ稼いでいる優秀な人だ。ランニングもやって健康管理もバッチリである。だけどお子さんはいない。別にそれが悪いわけじゃ全然ないけど、「人間」界の話ではなく「生物」界の話を、遺伝子とかだけを見て考えるのであれば、今の世界の状況ってけっこう「なるほどな」って思いませんか?
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
- 購入: 27人 クリック: 430回
- この商品を含むブログ (195件) を見る
ダーウィンのおじさんの話はあまり長くやると間違えそうなのでさらっと流すとして、私のまわりには、好奇心旺盛で開放性があり、どんなことにも興味を持ってチャレンジする人と、常に慎重で石橋を叩いて、結局怖くてあまり一歩を踏み出せない人と、両方いる。そして、どちらかというと前者の「好奇心の人」を持ち上げる傾向が、今の世の中にはある気がする。自分で言うな感があるが、私自身も、どちらかというと前者のタイプだ。(必ずしも良い意味ではなく、あまり先のことをちゃんと考えてない、的な意味も含めて)
だけど、これはダーウィンの科学もどっかの宗教も飛び越えた私の勝手な思想だけど、すべての性質には「意味」がある。今日まで生き延びてきたこと、この時代まで遺伝子を受け継いできたことには、必ず「意味」がある。
なぜ「好奇心の人」と「不安の人」がいるのか。答えは簡単で、人類が生き延びるためには、どちらも必要だったからだ。楽観的な「好奇心の人」が怖いもの知らずに様々なものへ向かっていってしまうとき、悲観的な「不安の人」は常にリスクを想定し思いとどまることで、生き延びることができた。ただし、「好奇心の人」が無駄に崖をのぼってみたり舟で隣の島へ行ってみたりしたことで、人類は地球上の居住地を拡大することができ、結果生き延びる確率が高まった。『利己的な遺伝子』のドーキンスがなんて言うかはわからないけど、「好奇心の人」と「不安の人」はどちらも必要なのだ、人類が命をつなぐ上で。
確かに、今の世の中だと、「不安の人」のほうが生きにくそうだな、というのはある。だから、もう少し楽観的な考え方をしてみたら、と思うこともある。だけど、「不安の人」は間違いなく優秀なのだから、どうか自分を卑下しないで欲しい、と思う。そして「好奇心の人」には、ちょっと生きやすいからって驕るなよ、撃ち落されるぞ、と思う。
それから、できれば「好奇心の人」と「不安の人」は、同じ性質の人同士でグループを作らないで、なるべくごちゃごちゃしながら一緒にいたほうがいい。性質が違うから、お互いにイライラすることもあるけど、それでも。
そんなことを、最近は考えていました。