「その1」って何だ? と思うなかれ。笑
長かった旅も、いよいよ終盤です。前回のエントリはこちら。
旅をすることで人生は変わる オルヴィエト~タルクィニア編 - チェコ好きの日記
この旅では、フィレンツェの郊外から始まり、シエナ、アッシジ、オルヴィエト、タルクィニアと、イタリアを南下していきました。
そして、イタリアでの最終目的地、ローマに、私たちは到着します。
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ローマでまず訪れたのは、世界史でならうカラカラ浴場。
高校生のときは「おふろ?」と何だかピンとこないまま授業を聞いていましたが、この217年に完成したカラカラ帝の浴場は、おふろだけでなく、体育室や礼拝堂や図書館などの設備もあり、ローマの人々の社交場として発展していたそうです。
しかし実際おとずれてみると、何はともあれ、デカイ。
そして、照りつける日射しの強いこと。街中をカッと焼き尽くすような日光は、ラテン系のムードを漂わせています。
そんなローマを象徴するのは、何と言っても、この背の高い一本松。「松」とはいっても、日本の「松」とは似て非なるものらしく、ローマの一本松は日本では育たないそうです。
カラカラ浴場の次に訪れたのは、またまた世界史の名物、コロッセオ。
こちらはさすが超有名観光スポット、人だかりができていたので、早々に退散。
私たちは諦めましたが、このドームのなかに入ってみることもできるそうです。
そしてコロッセオの外観を見物したあと、私たちは「世界一面積が小さい国」として社会でならったバチカン市国へ向かうのですが、その前に、旅行会社さんのサービスで、バスに乗ったまま、ローマの街をぐるっと一周してもらったんですね。
ローマは、何ていうか、規模がすごい。
あっちを見ても、こっちを見ても、世界史の教科書で見たアレがあったり、映画で見たアレがあったり、有名な遺跡があったり。
それに加えて、かなり荒々しいローマの人たちの運転と、信号で止まったら、すかさず車のフロントガラスを拭きにきて、小銭を稼ごうとする若者たち。
古代も中世も現代もいっしょくたになって、強烈なパワーが、渦を巻いているような街。
バスで街中をまわりながら、何だかじんじんと胸が熱くなってしまったのですが、あの時、私はきっと、ローマに恋をしてしまったのだと思う。
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足元がフラフラしたまま到着したのが、カトリックの総本山、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂。
この旅で私たちは、すばらしい教会をいくつもいくつも見てきましたが、ここだけの話(?)、サン・ピエトロ大聖堂は、格がちがいます。
まず、入ってすぐに、ミケランジェロの『ピエタ』があります。
ちなみに『ピエタ』とは、十字架から降ろされたイエスを抱える聖母マリアの像のこと。西洋美術でたびたび登場するモチーフです。
さらに豆知識を披露すると、十字架の上のほうに、「INRI」と文字が書いてあるのがわかるでしょうか。
これは、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味。大学がミッション系だったもので、覚えさせられました。
聖堂内は、どちらを向いても、背筋がゾクゾクするような美しさ。そのため、出た後は、若干疲れました。
この後われわれは、カラヴァッジョやティツィアーノの作品が有名なボルゲーゼ美術館、イタリア人の起源? エトルリア人の遺跡が眠るヴィラ・ジュリア・エトルスコ博物館などをまわります。
そして、すっかり日も暮れた、夜のローマ。
ローマはとても魅力的な街ですが、同時にちょっと危険な街でもあるので、あまり夜に出歩くことはおすすめできません。
ですが、6~7人の団体なら大丈夫だろうということで、トラステヴェレ地区まで、ピッツァを食べにでかけました。
途中、ローマで最古の教会といわれる、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂に立ち寄ってみたのですが、夜の教会というのは、またガラッと雰囲気が変わります。
嫌なことがあったときに、こんな美しいものが近くにすぐあったら、どんなに救われるだろう。
教会って、宗教的な意味だけでなく、その美しさが、人々の心を救うセーフティーネットになっていたんだと思います。
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ちなみに、その後食べたピッツァはこんな感じ。
おいしそうでしょ?
さて、ローマ編、1エントリにまとめるつもりだったのですが、無理でした。
なので、その2へ続きます。
旅をすることで人生は変わる ローマ編 その2 - チェコ好きの日記
もうしばらくお付き合いください。