当ブログをある程度継続的に読んでくださっている方は、私が昨年の夏頃から、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の話をしつこく繰り返していることをご存知かと思います。
退屈は人を殺す『グレート・ギャツビー』と『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』 - (チェコ好き)の日記
『グレート・ギャツビー』の内容をあんまりネタバレしない程度にざっくり説明すると、舞台は1920年代のニューヨークです。そこで、ジェイ・ギャツビーという素性の知れない謎の男が、しょっちゅう豪華絢爛なパーティーを、お城のような自分の邸宅で繰り広げています。パーティーは、だれのために、どういった目的で行われているのか、だれも知らない、皆目わからない。しかし主人公のニック・キャラウェイは、その理由を知ってしまいます。パーティーは、ギャツビーが5年前にすれ違いで別れてしまった恋人、デイジーが”ふと”立ち寄ってくれたらいいという、それだけのために行われていたパーティーだったのです。
何度もブログで取り上げているし、「もういい加減気が済んだろうよ……」と自分で自分に言い聞かせ一時期この熱も鎮火したのですが、今月に入ってからなぜかまた火がついてしまい、光文社文庫の小川高義訳では飽き足らず村上春樹訳のバージョンを買い直して、もう1回読んじゃったんですね。そしたらまあ、案の定もう1回号泣しましたよね。号泣というのは比喩ではなく本気で泣いてますからね。
『グレート・ギャツビー』っていうのは、都会的で、ちょっとシャレオツな小説なんです。だから私も、こんな気持ち悪い熱の入った話し方をせずに、「わたし、『グレート・ギャツビー』好きなんだ」とか囁く程度で止めていけばいいものを……と思ったりもするのですが、つい気持ち悪くなってしまうくらい本当に好きなのです。
これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ
職場でも恋愛でもSNSでもその他の人間関係でも、人が集まるところに出向く際は皆すべからく「自分にとってもっとも重要な三冊」を名札に書いて出かけなければいけないみたいな法律ができれば、人と人との間で起こる摩擦やいざこざは、完全にとはいわずともせめて今よりは軽減するのではないかーーなんて妄想を私はついしてしまいます。その人の「もっとも重要な三冊」がわかれば、表面だけじゃない相手の歴史、思想、人生観の根幹に、一気にアクセスできるからです。そしてそんな世界は、今より少しだけセクシーです。だれもが嫌う通勤ラッシュの満員電車ですが、もしぎゅうぎゅう詰めの車内のなかで、目の前の相手の名札に「J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』」なんて書いてあったら、息の詰まるような朝がちょっとは明るくなるのに、なんて考えます。ちなみに村上春樹にとっての「もっとも重要な三冊」は、『グレート・ギャツビー』、『カラマーゾフの兄弟』、『ロング・グッドバイ』だそうですよ。まあアクセスする過程が重要なのであり楽しいのであって、そこをさぼったら元も子もないだろうという気もしないではないですが。
ついでなので私の場合も公開しておくと、こちらの『グレート・ギャツビー』、カズオ・イシグロの『日の名残り』、サマセット・モームの『月と六ペンス』かなあと思います、現時点では。40歳くらいになる頃にはまた変わっているでしょう。
『グレート・ギャツビー』と『日の名残り』は”自分の過去とどう向き合うか”という話だと思っていて、『月と六ペンス』は”芸術家とは何か”という話だと思っています。
『グレート・ギャツビー』の要点を3点で簡潔にまとめると、
「人の気持ちは変わってしまう」
「過去はとり戻せない」
「だけど、前に進むしかない」
かなあ。
— (チェコ好き) (@aniram_czech) 2015, 3月 8
本気で好きだと、ちょっと気持ち悪い。
私が『グレート・ギャツビー』のなかで好きな部分ベスト3をあげると(それ書いて誰得なんだって話ですが)、まず1位はラストですよね。最後の一節が、これだけでごはん5杯食べられるくらい美しい。それで2位は、デイジーが自分の娘が生まれたときのことをニックに説明するところ、ここも何回読んでも涙出ますよね。それで3位は、ギャツビーとニックがクイーンズボロ橋をわたって、ロングアイランドからマンハッタンに入るところですかね。「この橋をいったん越えてしまえば、どんなことだって可能になるのだ」っていうニックの独白が好きなんですね。「うさんくさい金をうさんくさいとも思わず、金で願いごとをかなえた街ーー」とか、そういうニューヨークの描写がたまらないシーンです。あとは冒頭の警句とか、マートルが「人は永遠には生きられない」っていうところとか、本当にいちいち私の涙腺のツボをついてくるんですけど、その話はまた今度にして、今回読み直してみて新たに印象的だったのは、ギャツビーとデイジーが、ついに5年ぶりの再会をはたす場面です。
主人公のニックが間に入って、”さりげない”お茶会を演出するのですが、ギャツビーが緊張しまくってニックの時計を壊してしまったり、そのフォローをしようとしてさらにドツボにハマってしまったり、まあこのときのギャツビーが、それはそれはダサくてカッコ悪いのです。2013年の映画『華麗なるギャツビー』ではレオナルド・ディカプリオがギャツビーを演じていますが、あのディカプリオが気持ち悪く見えますからね。そもそも、ニックがいいヤツだったからよかったものの、お茶会の約束の取り付け方からしてスマートさが欠片もありません。しかし私は、これはとってもいい場面だなあと思うんですね。
私のこの『グレート・ギャツビー』への語り口が気持ち悪いように、ギャツビーが本気でデイジーを5年間思っていたからこそ、この再会の場面がめちゃくちゃ気持ち悪いのだなあと。いきなり「もう帰る!」とか言い出したり、本当に、けっこう引くくらい気持ち悪いんですよ。でもこのときのギャツビーが気持ち悪いからこそ、その後でデイジーと打ち解けたときのシーンが、これまたとても美しいのです。シャツをばらまくところとかね、あそこキレイなんですよね。
だれだってダサいのとかカッコ悪いのとか気持ち悪いのは避けたいけれど、本気で好きなものの前ではしょうがないというか、どうしても気持ち悪くなっちゃうんでしょうね。でも気持ち悪いことは、そんなに悪いことじゃないんだなあと、この小説を読み直して思いました。
だから私の語り口が気持ち悪いのも勘弁してほしい、というところで今回はおしまいにしますが、これ本当にいい小説なんですよ。「でも小説読むのダルいなー」っていう方は、映画を観てください。2013年の作品は、ラスト以外は原作にわりと忠実ですので。
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『グレート・ギャツビー』は儚く美しい小説ですが、同時に20年代のアメリカの東部と西部の対立とか、そういう構造で読んでいくのも面白そうだし、そしてやっぱり最大の謎は「灰の谷」、「エクルバーグ博士の目」です。さんざん泣いてすっきりしたので、今度はこのあたりを真面目に掘ってみようかなと企んでいます。
物語はいつも、私を楽しませてくれます。