「学校を出たら、農業をやるんです。だからもうこんなふうに、自由に海外を旅する機会は、あまりなくなるんじゃないかと思います」
と、大学院の退院*1を前にして、とある先輩が言った。それに対して先生*2は、
「自由に海外を旅する機会がない? そんなこと、嘆く必要なんかまったくない。だって君は農業をやるんだから。毎日畑に出て土に触ることは、旅以外の何者でもないでしょう。こんな豊かな生き方は他にない」
と、言っていた。
当時私は23歳で、「先生が、なんかスゲエことを言っているぞ……!」ということだけはひしひしと理解したのだけど、正直、なぜ毎日畑に出て土に触ることが旅と同じになるのかよくわからなかったし、今でもあまりわかっていない。
ただし、20代の後半くらいになって気が付いたこととして。人生を豊かにしてくれるのはきっと、「答え」ではなく、「問い」と「謎」を与えてくれる人との出会いだ。私はいまだに、あのとき先生が言っていたことの意味がよくわかっていないのだけど、考えようによっては、それはけっこう贅沢なことなのだろう。
話は変わって、私はあまり人生経験が豊富ではないので、他人の体験したエピソードにめちゃめちゃ嫉妬してしまうことがままある。「それ、私がやりたかった〜! 私が体験したかった〜〜!!」とか、思ってしまうわけである。
一応、私にも人並みの(?)良心というやつがあるので、今回は引用という形で紹介させてもらうけど、もし私がもう少し常識の欠如した人間だったら、これはもう「自分の体験した話」として語ってしまいたいところである。それくらい、上の柴幸男さんと佐藤健寿さんの対談は、立ち止まって考え込んでしまうところがあった。
佐藤 インドのホテルの屋上に、そのホテルのオーナーであるおじいさんが住んでいました。彼はずっとその屋上で生活をして、もう10年も下に降りずに、ガンジス河を見ながら毎日を繰り返しているらしい。ある日「何を見ているの?」と僕が聞いたら、彼は「世界だ」と答えました。とても深い言葉ですよね。彼とは真逆ですが、彼がガンジスから世界を見ているように、僕は移動をすることによって世界を見ているんです。
老人は、毎日同じものを見ている。繰り返し繰り返し、ガンジス河を見ている。飽きたりしないのだろうか。退屈しないのだろうか。おそらくしないのだろう。なぜなら、老人は「世界」を見ているからだ。
冒頭で書いたように、私は、なぜ毎日畑に出て土に触れることが「旅」と同じなのか、なぜ老人がガンジス河をとおして「世界」を見ることができるのか、よくわかっていない。よくわかっていないし、はたしてそれを理解するために、今から死ぬまでの短い時間で足りるだろうか、足りないのではないだろうか、とも思う。
少しだけ、こうかなと考えることは、「世界」とは「変化」のことなのだろう。
毎日畑の土に触れれば、季節が微細に移り変わっていく様子がわかる(たぶん)。ガンジス河の流れは、本当は一日だって同じではない(たぶん)。日本からアジアへ、アフリカへ、中東へ旅をすれば、目に入る景色も耳に入る言語も変わってしまう。
「あなたはどのように世界を見るか」とはつまり、「あなたは何に対して、どのような変化を見出すか」ということだ。
まあなんだ、まとめると、自分はつくづく酒が苦手な人間で良かったと思う。これが下手に飲める人間だったら、ガンジス河の老人の話をまるで自分が見聞きしたかのように人にぺらぺらとしゃべってしまい、翌日に自責の念にかられて大後悔しそうである。
何かが変化していく様子はきれいだ。
同時に、過ぎ去ってしまったものは二度ともとにもどらないし、それは螺旋を描きながら死へと向かっていくことでもあるから、やっぱり少しだけ悲しくて、また少しだけ怖い。