最近出た、東浩紀さんの『弱いつながり 検索ワードを探す旅』という本を読みました。
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/07/24
- メディア: 単行本
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タイトルの「弱いつながり」という言葉は、アメリカの社会学者が提唱した「弱い絆(ウィークタイ)」から来ているようです。「弱い絆」はけっこう有名な概念だと思いますが、新しい仕事を得ようと思ったりした際に、家族や親友などの「強い絆」を持った人よりも、この前のパーティーで出会った人とか、何かのイベントで最近知り合った人とかの「弱い絆」を持った人のほうが、いい仕事を紹介してくれる場合が多い、という話ですね。
が、私が今回こちらの本で注目したいのは、どちらかというとサブタイトルの「検索ワードを探す旅」や帯の「グーグルが予測できない言葉を手に入れよ!」のほう。なので、今日はそのあたりのことについて、考えたことを書こうと思います。
「旅で世界観が変わりました」は軽薄か?
たまに、長期休みにちょろっと海外に行ってきたくらいで「世界観が変わった!」とのたまう輩に対して、「そんな簡単に世界観なんて変わらないだろ!」という論調の批判を見かけることがあります。「世界観」の代わりに、「人生観」や「価値観」という言葉が使われることもありますが、まぁだいたい同じような話でしょう。ちなみに私は、どちらかというと「(ただ観光に行っただけなのに)世界観変わったー!」と簡単に思ってしまうほうの人間なので、こういう批判をを目にする度に、「うわぁぁごめんなさいぃぃ」と思います。
なぜこのような「世界観変わるVS変わらない」論争(?)が起こるのかというと、いってしまえば「世界観」という言葉の定義がお互い曖昧だからなんですよね。「変わる」という人は「世界観」という言葉を軽く使い、「変わらない」という人は重く使っている。私自身は、「世界観」という言葉は便利なのでわりと軽く使っちゃう傾向があり、我ながらボキャブラリーが貧困だなぁと思っています。
けど今回この『弱いつながり』を読みまして、今まで私が「世界観が変わる」とのたまっていったことをもう少し具体的にいうと、つまり「検索ワードが変わる」っていうことだったんだなぁと、すごく腑に落ちたというか、納得できたのです。
上記のエントリで書いたのですが、人は旅先を決めると、その土地の地図を開き、自分の行きたい場所や地下鉄の路線図など、いろいろなことを調べ始めます。東さんは「“旅先”で新しい検索ワードに出会う」ということを本書のなかで強調しているんですが、私は“旅の準備をする”段階で、もうすでにいくつかの新しい検索ワードは手に入る、ということをここに付け足しておきたいと思います。
たとえば私は、今年も夏休みに旅行に行くんですけど、旅先でいくつかの現代アートのギャラリーをまわる予定なんですね。どのギャラリーも超有名な老舗ギャラリーではあるんですが、実は私、今回の旅行を決めるまで、そのギャラリーについて名前すら知らなかったんです。もしかしたらどこかで目にしていた可能性はあるんですけど、頭のフックにひっかからず流れてしまっていた。でも今の私は、その老舗ギャラリーの名前をしっかり記憶して、グーグルの検索窓に入れることができるわけです。もちろん、実際にその場所に行けば、さらにたくさんの新しい検索ワードを、私は手に入れることができるでしょう。
旅行に行くことで、世界観が変わるか、人生観が変わるか、価値観が変わるか。「○○観」という言葉は対象が大きすぎて賛否両論を巻き起こしてしまうんですけど、1つ確実にいえるのは、本書でいわれているように、旅行に行くと「検索ワードが変わる」ということです。飛行機やホテルの手配から現地でまわるルートまで、ぜーんぶ旅行会社が用意してくれる添乗員付きツアーです――なんて場合はどうだかわかりませんが、いや、そんな旅であっても、それまでの日常では手に入らなかった新しい言葉に出会い、「検索ワード」だけは必ず変わります。そして「検索ワード」が変わることは、短期的には何の変化ももたらさなくても、長期的には、やっぱり何らかの変化を人生にもたらすと私は考えているんですね。
新しい言葉を手に入れること、新しい地図を手に入れること。それを「世界観が変わる」といったら、確かに仰々しすぎるかもしれません。でも、新しい言葉を獲得することは新しい世界を獲得することだと私は考えているし、人間の知覚の範囲っていうのはそんなふうにしてしか広げていけないんじゃないかとも思うわけです。「何かを変えたかったら、旅に出ろ」。自己啓発的で嫌われてしまいそうな言葉ではありますし、そこに何かを過剰に期待しすぎるのはどうかと思いますが、それはやっぱりある種のメッセージとしては有効です。「旅行に行く」というのは、もっとも手軽に自らの手で起こせる偶然であり、ノイズなのです。
ネットは体力勝負の消耗戦
話は変わりますが、私たちは普段、様々なメディアから情報を得て生活しています。TV、新聞、(紙の)雑誌などの老舗はもちろんですが、とにかくインターネットでは、日々膨大な量の情報が生まれては、流れていきます。この「流れていく」という感覚は、ツイッターのタイムラインなんかに、視覚的によく表れているなぁと思います。
私が垂れ流しているこのブログも、その膨大な情報のなかの1つなんですが、そういった流れていく情報の渦を見ていると、ふと「あー、もうこれは無理だ、やめよう」って思うときがあるんですよね。とはいっても、「やめよう」と思ってやめられるわけでもなく、結局また同じことをくり返すんですが、それでも私はふとしたときに、情報を追うことを、そして生み出すことを「やめよう」って思うわけです。私のそのあたりの感覚と似たようなことを、東さんは本書のなかでこう書いています。
そこでの評価とは、サイトのページビューやツイッターのリツイートやフェイスブックの「いいね!」の数のことです。そしてその数を増やすのは、純粋に体力勝負のところがあります。(中略)
たいていの場合は、露出の数が多ければ多いほど確実に注目度は上がります。ツイッターにしてもフェイスブックにしてもメルマガにしても、更新の頻度が高ければ高いほど読者は増えるし、評価も高まります。
その行き着くさきはたいへん悲しい世界です。ぼくはいまゲンロンという小さな会社を経営しています。会社の売り上げを伸ばすためには、じつは、ぼくが、ずっとネットに張り付き、ブログを更新しツイッターをやり続けるのが効率的です。実際、同じような理由で、ネット系の言論人たちは、みなできるだけ長い時間ネットに張り付き、できるだけコンテンツを小出しにして発信するようになっています。
(p136-137)
私もブログをやっている人間ですが、ネット上で何か情報発信を行なっている人にとっては、上記の部分は何かしら共感できるところがあるはずだし、耳の痛い思いをするのではないでしょうか。
そこで東さんが提案するのも、やっぱり「旅行」なわけです。人間は生き物ですから、吸収できる情報量にも、生み出せる情報量にも限界があります。東さんは年齢を重ね、情報収集のフィルターが「目詰まり」を起こすのを感じ、本を読んだりアニメを見たりする代わりに、休暇には外国に行くようにライフスタイルを変えたといいます。
世界一周や留学でなくても、ただの観光旅行でもいい。「単に体力勝負ではない、別の方法での記号の拡げかた」がそこにあると東さんはいい、私もその部分に強く共感しました。
まとめ
すでにいろいろな人が書評を書かれており、あちこちで良い評判を聞く本書ですが、私もこれは相当面白く読みました。けっこう簡単な言葉で書かれている本だと思うんですが、その割に内容は浅くなく、私が普段もやもやと考えていたことを、ずばっといい当ててくれた感じです。
観光に「自分探し」を求めたり、何かを過剰に期待するのは危険だし、旅行はやっぱりどこまでいっても「お遊び」だと、私は思います。だけど、「お遊び」だからこそ秘めている可能性みたいなものも、旅行にはあると思うんですよね。私にとって「旅」というのはとても重要な概念で、だからこそ、このブログの1つの柱にもしています。
夏休み、どこかに旅行に出かける予定がある方は、読んでみるといいのではないでしょうか。少なくとも私は、出発前に本書を読むことができて、ラッキーだったなと思いましたよ。
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/08/01
- メディア: Kindle版
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