局長 (id:kyokucho1989) さんの以下の記事を読んで、私も大学や大学院で学んだことを、思い出してみたくなりました。
四年制大学ってひどい!わけわからん教養を学ぶために大学でやってきたことをまとめる。 - マトリョーシカ的日常
私が大学生をしていたのは、2005年から2009年の4年間。
大学院生をしていたのは、2009年から2011年の2年間です。
現在は、2013年。
このあたりで思い出しておかないと、記憶が永久に葬られてしまう可能性があるので、記録として残しておきたくなったというわけです。
ちなみにプロフィールにあるとおり、私は「役に立たないことを学ぶ学部代表」として名高い文学部、それも芸術系の出身です。
大学の頃の話を、理系や法学、政治経済系出身の知り合いにしたりすると、いつも苦虫を噛み潰したような顔をされます。そして苦し紛れに彼らがいうことは、「ラクそうでいいね」。
いや、確かに研究室に何日も泊まったりはしなかったけれど、勉強と遊びの区別がつかないくらい授業が楽しかったけど、私の頭のなかはお花畑な部分があるところも否定しないけれど、そんな汚いものを見るような目で私を見ないでほしい!
※文学部についての私の考えは、こちらのエントリを参照してください。
続:いる?いらない? “文学部”ってどうなのよ? - (チェコ好き)の日記
実は、私は小学生のとき、マンガ家になるのが夢でした。
でも、あまり絵が上手に描けなかったので、上手に描ける子に絵はゆずり、私はひたすらマンガの原作を担当したり、小説を書いたりしていました。
でも中学生になると、それすらもどうやらあまり上手ではないらしいことに気が付いて、映画や美術を「観ること」に力を入れ、創作的なものはほとんど作らなくなりました。
そして高校生になってから、その傾向はさらに強くなっていきました。
そんな子供だったので、大学で芸術系の学部に進学することは、私にとってとても自然なことだったというか、それ以外の選択肢が思いつかなかったんです。目の前の絵画や映画のもっと深い部分が、大学に行ったらわかるんじゃないかと思っていました。行ってみたら、実際に、わかったんですけど。
でも、「わかって、で、そこからどうするの?」までは考えていなかったなぁ。これについては、今も目下悩み中です。
そんな私の大学生活を、年次ごとに思い出してみようと思います。
特に印象に残っている科目については、さらに詳しく書き加えています。
1年次
・キリスト教の基礎
・英語コミュニケーション1
・第二外国語1(フランス語)
・コンピューターリテラシー
・日本文学
・芸術学
・表象論序説
・歴史学
・フランス史
・映像理論
・西洋音楽史
・日本・東洋美術史
1年生のときから、必修であった語学やコンピューター系を除いて、私は芸術系の科目しかとっていませんでした。今思うと、一般教養科目である法学とか経済学とかもやっておけば面白かっただろうに……と後悔が残るのですが、当時の私は「せっかく芸術をやりに大学に入ったんだから、芸術以外やりたくない!」という偏狭っぷりでした。こういう視野の狭さは、就活などにおいてマイナス要因になります。学生のみなさんは気を付けましょう! さて、印象に残っている科目はというと……
■キリスト教の基礎
大学がプロテスタントだったので、これは必修科目でした。聖書のエピソードやその意味、西洋美術においてイエスの図像が時代を経るごとにどう変化してきたのか、などを学んだ記憶があります。学期の終わりには、校内にあるチャペルで礼拝に参加させられました。牧師さんのお説教の内容はまるで記憶にありませんが、パイプオルガンの音色に感動したことを覚えています。
必修だったので、私に選択の余地はなかったのですが、キリスト教の基礎を学んでおいたことは、芸術をやる人間としては正解だったと思います。
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■映像理論
この授業は、とにかくめちゃくちゃ難しかったことのみ覚えています。たぶん、今授業を受けてもわからないんじゃないでしょうか……。ショットとシークエンスのちがい、くらいを何とか理解しただけです。授業で使っていたのはこの本。これも、今も持っています。
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2年次
・英語コミュニケーション2
・第二外国語2(フランス語)
・哲学
・映画史
・日本映画研究
・フランス文学
・イギリス文学
・西洋美術通史
・身体表現論
私は、1年生のときにサークルを辞めています。サークル活動が忙しいと、映画を観る時間や美術館に行く時間がなくなるから……というのがその理由でした。サークル活動がなくなった2年次は、1カ月に20〜30本くらい映画を観ていましたね。思う存分好きなことができて、とても楽しかったです。ただしサークルを辞めたせいで、他学部の人と関わる機会がなくなり、私のまわりの人間は芸術系だらけになってしまいました。それが良かったのか、悪かったのかは今となってもわかりません……。
■身体表現論
この科目では、演劇理論を学びました。先生は劇団に所属しているプロの俳優の方だったのですが、チャーミングで、とってもいい方だったことを覚えています。「身体表現」というだけあって、「体で覚えろ!」ってことなのでしょうか、テキストらしいテキストは使わず、いつも発声練習をしたり、丹田を鍛えたりしていました。丹田……。
よく覚えているのは、この授業の最中、息をふかーく、ふかーくして瞑想しているときに、ふわっと体が浮くような感覚があったことです。ものすごくリラックスできて気持ちよかったので、家でもやってみようと思ったのですが、あの授業のときを最後に、再現できずにいます。身体表現の神髄というか、霊性みたいなものを体で理解できた、貴重な瞬間でした。ただ、ああいうことを重ねていると、1歩まちがえると宗教の世界に迷い込んでしまう気もしたので、ちょっと怖くもあったのですが。
■映画史
「映画史」は、この授業がなかったら、今の私はいなかったかもしれない……と思う授業です。毎週1人ずつ、映画史に残る巨匠監督の作品を論じていきました。扱った監督は、ゴダール、鈴木清順、大島渚、タルコフスキー、フェリーニ、ブニュエルなどなど。他の学部・学科の人たちが受けても絶対に面白かったと思うのですが、それらしき人はだれもいなかったのが残念です。
授業自体はとても楽しかったのですが、唯一スポ根だったのが、課題。世界映画史に残る113本のリストのなかから80本を選んで観て、1本につきA4サイズ1枚(つまり計80枚)で論じ、提出しないと進級できませんでした。おかげで、2年次の1年間は常にこの課題が頭にあり、毎日リストと睨めっこしていました。
113本の映画リストと80本を観て書いて提出した映画ノートは、今では私の宝物になっています。もし家が火事になったら、「火のなかにノートが……!」とか言い出しかねません。
3年次
・芸術・社会・人間
・芸術批評論
・外国映画研究
・ヴィデオ芸術論
・映像学原書購読
・映像芸術学演習
・写真史・写真理論
・日本・東洋美術研究
・音楽学特講
・小説技法
3年次は、出版社でアルバイトをしたり映画祭でインタビュー記事をまとめたり、けっこう活発に活動していた1年間だった気がします。人生で初めて海外(台湾)に旅行に行ったのも、3年生のときでした。ただし後半期から、恐怖の「就活」が始まります。それまで芸術界に閉じこもって出てこなかった私が、いきなりこの場所を追い出され、他の学部のみなさんと説明会に行ったりグループ・ディスカッションをしたりすることになりました。
自業自得なのですが、数年ぶりに見た外の世界にカウンターパンチをくらい、私はこの「就活」の後、ショックのあまりチェコ映画にはまって大学院に進学してしまいます……。
■芸術批評論
おそらく私の大学生活4年間のなかで、最もパンチの効いている授業です。出された課題が強烈すぎて忘れられません。「犬になって町を歩いて来い」という課題が出されたんです。「ただし猫とかアリとかキリンでも可」。
普段私たち人間が認識している“世界”と、犬や猫が認識している“世界”って、きっとちがうものですよね。例えば、人間である私たちは人間がつくったコンクリートの道を“道”と認識していますが、野良猫にとって、“道”はもっと多様で複雑なわけです。何とかさんちの庭の脇道だって“道”だし、人間である私たちがそれこそ思いもつかないような“道”も、彼らにとっては存在するのかもしれない。それを、理論でなく体で理解してこい、という趣旨の課題でした。
実際には何をやったかというと、人のいないタイミングを選んで、本当に近所を這いつくばって歩く……のには、私は勇気がちょっと足りなかったので、しゃがんで犬や猫の目線まで自分の目線を落として、しばらく“道”を凝視してみました。もし自分が猫だったら、どの“道”を進むか?
野良猫を見つけて、後をついていったりもしました。もちろん途中で、彼は私が入れないようなスキマ道に逃げて行ってしまったので(猫も怖かっただろう、ごめんよ)頓挫しましたが、それでも「猫には猫の“世界”がある、“道”がある」ということを、頭でなく体で理解できた課題でした。
■ヴィデオ芸術論
この授業は、私が4年間で受けたなかの数少ない、創作系の授業でした。映画を撮る授業です。
マンガに小説ときて、大学のときには映画と、一度挫折した創作の世界にもう一度足を踏み入れてみたのですが、やっぱり私には創作が向いていなかったみたい。マトモな作品が作れずに、1年が終わりました。別に「小説技法」という授業もとって、課題で小説も書いていたのですが、これも作品の出来は我ながらイマイチでした。
ただ、この授業で描かされた“絵コンテ”は、自分の原点を思い出すいいきっかけになりました。映画の絵コンテって、マンガなんですよね、要は。
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画面をどう構成するか。アップにするか、ロングショットにするか……それを考える作業である絵コンテ作りを通して、私の頭のなかって小学生のときのまんまなんだな、としみじみしたものです。
4年次
・卒業ゼミナール
・卒業論文
4年次、残すところは卒論のみです。就活のトラウマを引きずりどこか鬱々とした1年でしたが、突如お告げが聞こえて「チェコ映画」なるものを研究し始め、チェコに実際に行き、チェコ語を習い、チェコ料理を食べ……と、とにかくチェコチェコいっていた1年でした。卒論で研究したチェコ映画、なかでもヤン・シュヴァンクマイエルは、今でも私の神様です。
私は創作は苦手だ……と何度か書きましたが、それでも他の学部の友人と話すなかで比較してみると、文学部の論文って「創作」的な部分が多くあるというか、「ひらめき」がないと書けないんですよね。“降って”こないと書けないんです。一度“降って”きたら、寝食を忘れてずーっとカタカタカタカタとキーボードを打ってられます。
さてこの後、大学院編は……といきたいところですが、何だかけっこう長くなってしまったので、このあたりで割愛します。
★★★
どうでしょうか。
私は芸術系の出身なので、こうやって振り返ってみると、「考えるな、感じるんだ!」的なことを教え込まれた授業が、やっぱり多い気がします。6年間「考えるな、感じるんだ!」でやって来た人間なので、「ロジカルシンキング」とかいきなりいわれると、けっこうびっくりしたりします。社会人になって、論理的な考え方を勉強しなきゃな、といつも反省しています。
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オンラインで、無料で一流大学の講義を見ることができるようになったりしていく現代、「大学」の持つ意味は、徐々に薄れていくのかな、とも思います。「大学って、学位をお金で買うところでしょ」といわれると、情けなくも強く反論できない私が、確かにいます。
でも、私にとって大学って、本当に楽しいところだったんですよね。サークルや遊びじゃなくて、勉強が楽しかったのです。次から次に奇想天外なことをやらされて、飽きなかったし、絶叫したり鳥肌が立ったり涙をボロボロ流したりと、忙しい4年間でした。
他の学部出身の人に、大学の勉強の話を聞くことも好きです。世の中にはいろいろなことに興味を持っている人がいて、いろいろなことが研究されていて、そこには私の知らない世界が広がっています。それって楽しいことだよな、といつも思うのです。
みなさんも、自分の大学時代を振り返ってみてはいかがでしょうか?