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村上春樹『女のいない男たち』 全作品レビュー

読書

村上春樹の短編集『女のいない男たち』、読み終わりました。告知が出た瞬間にamazonで予約し、発売日におうちに届き、1日1短編くらいのペースで読み切りました。

「発売日前に予約して読む」というスタイルで最新作を読んでいるのは、私にとっては現状、村上春樹ただ1人です。カズオ・イシグロも最新作が出たらたぶん予約するだろうなと思うのですが、彼の作品を好きになったのはここ1年くらいの話なので、まだ「リアルタイムで追う」という経験はしていないんですね。


今回の『女のいない男たち』は、6つの短編から構成されています。自分が特に気に入った作品についてだけ、あるいは全体的にざっとまとめた所感を書こうかとも思ったのですが、せっかく出た最新の短編集なので、ここでは6つのすべての作品について、それぞれ感想を書いてみようかと思います。話の内容には極力ふれませんが、あくまで「極力」なので、「オレは何も知りたくないんだ!」という方は本を読み終えてからまた来て下さいね。

1 ドライブ・マイ・カー

『ドライブ・マイ・カー』といえば、文藝春秋掲載時に「北海道中頓別町ではたばこのポイ捨ては普通のこと」という記載に対して現地の方々が不快感を表し、問題の箇所が訂正されることになったと(悪い意味で)話題になった小説ですね。こちらの短編集では、中頓別町ではなく「上十二滝町」という名前に変更されています。

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問題の箇所は置いておくとして、肝心の小説ですが、私は今回の短編集で2番目に気に入ったかもしれないと思いました(1番目は『イエスタデイ』)。村上春樹の小説の主人公ってカッコつけててムカつくやつが多いと(ファンでも)思うのですが、『ドライブ・マイ・カー』の主人公は「家福(かふく)」という何となくふっくらとした名前だし、事故を起こして車の運転ができなくなったというエピソードもダメっぽくて身近な人物に感じます。家福の車のドライバーをつとめることになった渡利みさきも、村上春樹の小説にしては珍しく「あまり美人とはいえない」女性。ただ1つ残念なのは、「胸はかなり大きい方」だったことです。徹底的に女性的な魅力を排したヒロイン、というのも女性読者としては読んでみたいんですけどね。

家福は雇い主として、みさきは雇われたドライバーとして、お互いをそれ以上の存在として見なすことはなく、淡々と静かに終わっていくところが気に入りました。

2 イエスタデイ

この『女のいない男たち』のなかで、いちばん気に入った作品です。気に入った理由は、「木樽(きたる)」という陽気な男の存在が大きいです。今回の短編集、珍しい名字の登場人物が多いですね。

主人公は谷村という男で、関西出身。上京して、早稲田大学の文学部に通っています。この出自はまさに作者の村上春樹そのものなので、わかりやすすぎて何かのジョークかと思ってしまいます。でもそのジョークっぽいところが、好きな理由の1つかもしれません。谷村はとても真面目な雰囲気の青年なのですが、存在がジョークなのです。

一方、そんな主人公の谷村と喫茶店のアルバイトで知り合ったのが、前述した木樽という関西弁の浪人生。東京都田園調布の出身なのに関西弁を勉強してマスターしたという変わり者です。シリアスではなく身近な雰囲気なのに、物語にとっては重要で欠かせない存在であるという点において、何となく『海辺のカフカ』の星野青年を思わせる人物でもあります(いや、ちょっとちがうかな……)。

この小説は、ラストがすごく良かったです。木樽がどういう結末をむかえたかに注目してほしいのですが、寂しく孤独でありながらも希望のある終わり方をしているところが気に入りました。

3 独立器官

この話にも、『イエスタデイ』と同じ谷村という男が登場します。関西出身で早稲田大学に通っている……という記載はないので、『イエスタデイ』の谷村とは別の谷村であることも考えられますが、『イエスタデイ』が学生時代の谷村で、『独立器官』はその後30歳くらいになった谷村だと考えるほうが楽しいです。どちらの谷村にも、徹底して物語の「聞き手」であるという点が共通しています。『イエスタデイ』では木樽のことを、そして『独立器官』では渡会(とかい)という医師のことを読者に伝える、媒介の役割をはたしているのです。

この渡会という医師が少々(だいぶ?)奇妙な運命をむかえるのですが、この異様なかんじが、初期の村上春樹の短編を思わせるようで私は好きでした。村上春樹の世界においては、リアリズムっぽいものよりもやっぱりちょっと変なエピソードが差し挟まれているほうが好みですね。

4 シェエラザード

けっこう露骨な描写があるので「うえ〜」と思ってしまう部分もあるのですが、ページをめくる手が止まらない、という意味での面白さならこの『シェエラザード』がいちばんかもしれません。ちなみにヒロインの「シェエラザード」は、『千夜一夜物語』の王妃からとった名前。毎夜毎夜続きが気になる面白い話を王様に聞かせたことで処刑をまぬがれたという、あの王妃ですね。この小説のヒロインであるシェエラザードも、主人公に毎回ベッドのなかで興味深い話を聞かせてくれます。

そのシェエラザードが語る話のなかに、「やつめうなぎ」という生き物が登場するんですが、この「やつめうなぎ」って村上春樹っぽいですよね。「やみくろ」とかそんな感じっぽいです。「やつめうなぎは、とてもやつめうなぎ的なことを考えるのよ。やつめうなぎ的な主題を、やつめうなぎ的な文脈で」。

ここでは結末には触れませんが、この短編はタイトルのとおり、まさしく「シェエラザード」らしい終わり方をしています。真面目に考えるならば、私たちはみな「今日の続きが気になるから明日も生きる」んですよね。お話は永遠に続くのです。

5 木野

「木野」という名前の主人公が、とある事情から会社を辞めて、根津美術館の裏手の路地でバーを始めるという話です。「根津美術館の裏手の路地のバー」は、この短編集の第1話目『ドライブ・マイ・カー』に、家福が友人と訪れるバーとして登場します。「四十歳前後の無口な男がいつもバーテンダーとして働き、隅の飾り棚の上では灰色のやせた猫が丸くなって眠っていた」とあるので、木野が経営しているバーに家福が訪れた、と考えてほぼ間違いないでしょう。こういう細かい部分が見つかると楽しい。

象とか猫とか蛇とかやつめうなぎとか、生き物が出てくる村上春樹の小説はだいたい面白いです。この『木野』も、そんな生き物たちの不思議なパワーを感じさせる物語になっています。ありとあらゆるところに神様のようなもの、霊的なものが宿っているという、西洋とは異なるアジアの世界観に満ちた話です。

6 女のいない男たち

最後を飾るのが、書き下ろしである表題作『女のいない男たち』です。1話目の『ドライブ・マイ・カー』から5話目の『木野』まで、思えばこの短編集の主人公はすべて「女のいない(何らかの理由で、女性に去られた)男たち」だったわけで、まさに表題作としてふさわしいタイトルですね。

肝心の内容はというと、この短編集のなかでおそらくいちばん村上春樹節が炸裂しているため、好きな人はすごく好きで嫌いな人は見向きもしないんだろうな、といった印象です。ちなみに私は、村上春樹のファンを公言しつつも露骨な村上節があまり好きではない邪道村上ファンなため、この『女のいない男たち』はあまり好きな作品とは言えなさそうです。ただ、主人公の設定は気に入りましたけどね。「そういう女性」を引き寄せてしまう主人公。

全体として

今回の短編集は、期待を上回ることもなく、下回ることもなく、「ああ、いつものハルキだな」といった印象の小説が集まっていたと思います。短編と長編を比べるのもどうかと思いますが、私は前作の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が期待を上回る読み応えだったので、今回はわりと冷静です。

私は村上春樹の小説を短編・長編ふくめてすべて読んでいますが、ハルキは私にとって好きとか嫌いとか読むとか読まないとかの次元を超えて、「とりあえず出たら読むことになっている。もうそう決まっている。選択の余地はない」みたいな作家なんですよね。純粋に楽しみにしているというよりは、「義務感」とか「意地」のようなもののために、村上春樹にすがりついています。そんな私のような人は、ファンのなかにもけっこういるんじゃないかと思うんですけどね。

読者に「義務感」や「意地」を持たせるようになってしまったら作家としてはもうダメなんじゃないかなんて考えてしまう自分もいるのですが、晩年になるにつれ徐々に文体もテーマも面白さも洗練されていき、最高傑作は「遺作」である……なんて、そんな作家人生を送ることができる人は、希代の作家でもさらに稀だと思うんですよ。画家だって、映画監督だって同じです。いちばん立派な仕事をしたのは30代〜40代くらいだった、という人がやはり多い気がします。スポーツ選手だとピークは10代後半から20代前半くらいで、そのことにだれも疑問をはさまないわけですが、知力や精神力が問われる作家や芸術家は、ピークが晩年にあるはずだ、あるべきだと考えられがちです。でも、残念ながらそんなことは稀なんですね。


村上春樹の最高傑作は何か? と問われたら、「『ねじまき鳥クロニクル』です」「『ノルウェイの森』です」「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』です」と答える人はいても、「『多崎つくる』です」と答える人はいないでしょう。私も、まったく同感です。村上春樹は、もう若い頃の作品を超えることはできないかもしれない、といつも思います。でも、彼は死ぬその瞬間まで“小説家”でいる気なのだろうし、たとえ醜態を晒すことになろうとも、今後も攻めたり守ったりしながら、物理的に書けなくなるまで、小説を書き続けるつもりなのでしょう。だとしたら、ファンとしてはそれでもいい。小説を通して、「村上春樹」という作家の生き様を見せてくれ。私はそんな熱き思いで、ハルキの小説のページをめくっています。

「作家と晩年」みたいな話は、これにとどまらずいつかまとまった文章を書きたいなーなんて思っているのですが、今回はこのへんにしておきます。みなさんも、ハルキの生き様を一緒に見届けませんか。

女のいない男たち

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

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