ブログを書いているみなさんは、「エゴサーチ」ってけっこうやっているんでしょうか? 私は怖いので基本的にはやらないようにしているんですが、た・まーに魔がさしてやってしまうこともあります。で、先日ついつい魔がさしてしまいまして、エゴサーチしてみたら、こちらのエントリを発見。
http://anond.hatelabo.jp/20140426165331
チェコ好きも結構バカだよ。浅はかな知識でエラそうなエントリを上げちゃうあたり。知識や見解の不足が問題なのではなく、適当な記事をでっちあげちゃうあたりがバカ。
文章からビッチ臭がしないだけマシだが。
■返信ありがとうございます
くだんの方については、たまたま自分に知識がある分野のエントリを目にする機会があり、
「え、この程度で世界に発信しちゃうの?ブログってなんでもありだな」とびっくりした経験があったため、発言しました。
その堂々としたふるまいは立派なものだと思います。自己主張・表現というのはそういうものかもしれません。
★★★
私は現在「はてなブログ」というサービスを使ってブログを書いていまして、「はてなブログ」をやっていると否応なしに「はてな」のことは耳に入ってきてしまいます。けれど念のため、はてなユーザーじゃない方のために説明しておくと、上記のエントリは「はてな匿名ダイアリー」というやつだそうで、その名のとおり匿名で文章が書けるサービスです。通称「増田」ともいうらしいです(私はつい最近まで、「増田」って何のことかわからなかった)。
なので以下、慣習にのっとって上記のエントリ主のことを「増田さん」と呼びますが、今回はこちらの増田さんに対する私の見解です。といっても、これを読んだことはきっかけに過ぎなくて、前々から「自分のスタンスを表明しておきたい願望」みたいなものはあったんですけどね。
ブログをやっている以上、嫌われるのはしょうがない
まずですね、最近ようやく実感をともなってわかってきたんですが、ある程度の人に読んでもらえるブログをやっている以上、一部の人に反感をもたれてしまうのは、これ仕方のないことです。あきらめるしかありません。10人の読者がいたとしたら、1人は何を書いても反感をもつだろうし、1人は何を書いても絶賛してくれます。で、のこりの8人はケースバイケース。これはネット上に限らず現実社会にも当てはまることですが、世の中そういうもんです。なので、バカだ、浅はかだ、エラそうだと思われてしまうのは残念だけれど、しょうがないです。
私がこちらの増田さんで気になったのは、「え、この程度で世界に発信しちゃうの?ブログってなんでもありだな」のほうです。
そのとおり、ブログってなんでもありですよ
必要以上に人を傷つけてしまうようなことが書いてあるとか、公序良俗に反するとか、明らかなデマを拡散しているとか、倫理的にダメなブログはもちろん「なんでもあり」の範疇からは外れますが、そうじゃない限りは、おっしゃるとおりブログってなんでもありだと私は思っています。
これは性格的なところにもよるのかもしれませんが、私は自分より知識が浅いと思われる人がエラそうに(?)何かを語っていても、ぜんぜん気になりません。むしろ、どんな考えであっても「そうか、そういう見方があるんだ!」と面白がっちゃうところがあります。なので、「これに関しては一家言あるぞ!」ってことがある人は、自分の知識が浅いか深いかなんて気にせずに、どんどん発信しちゃえばいいのになーって思ってます。
実際、「玄人より面白いことがいえる素人」みたいな人もたくさんいて、映画や文学や美術に関しても、私より知識はないはずなのに私にはない新しい視点に気が付ける人、私より面白く語れる人なんて、ゴマンといると思ってます。企業サイトとかだったらそれなりのことを書いてもらわないと困る(というか信用がない)けれど、少なくとも個人ブログでは、いろんな人がいろんなことをフラットな立場で言い合うのが楽しいし、双方にとって価値のあることなんじゃないかなーと思うんです。
1つの事柄に関して、一度「玄人」になってしまうと、二度と「素人」にはもどれません。また、一度「玄人」になってしまうと、「素人」だった頃の視点はどうしても忘れてしまいがちです。でも、もしその事柄を広く普及させていきたいと思う志があるならば、「素人」の目線っていうのは絶対に必要です。だから私は、自分と同じことに興味・関心をもっている人の文章は、それがどんなものであれ勉強になるし、面白いと思っています。
とはいえ、開き直っているわけじゃありません
私自身は、「“他人が”浅い知識で何かをエラそうに語ること」にはまったくといっていいほど疑問を感じないんですが、「“自分が”浅い知識で何かをエラそうに語ること」については、いつもいつも悔しい思いをしています。決して「個人ブログだし、知識や見解が浅くてもヘーキ」と開き直っているわけじゃないんですよ。何の気もなしに語っているように見えるかもしれませんが、「この本を読んでいれば」、「◯◯の知識があれば」、毎回それの連続です。
では、なぜ不十分なことを自覚しているのに未熟なままでエントリを上げてしまうのかというと、理由はたった1つで、「そんなことをいっていたら永遠に何も書けないから」です。
ある対象について「書きたい!」と思ったときに、必ずしも自分の知識が十分にそろっているとは限りません。というか、「知識が十分にそろっている」状態か否かを自分で判断するのってなかなか難しかったりもします(いつも「何か足りない」とは思っていますが)。
そんなときにどうするかというと、もしかしたら増田さんのような誠実な方は、「あえて黙る」という戦略をとるのかもしれませんね。私も、「あえて黙る」という方法をとるべきだったエントリが、なかにはあるのかもしれないとは思っています。でも私は毎回そこで、「不十分でもムリヤリ書く」という方法をとっています。これがつまり増田さんがいうところの、「でっち上げる」という表現にあたるのでしょう。
なぜ私が「不十分でもムリヤリ書く」のかというと、知識や見解が深まるのを待っていたらタイミングを逃してしまうし、それこそキリがないからです。「食べたい!」と思ったときに、とりあえず冷蔵庫にあるモノでどうにかこうにか作ってみる。そのときにできる最大限のことを手持ちの材料でやってみる。そういう感覚です。「あえて黙る」がいいのか、「不十分でもムリヤリ書く」がいいのか、これはもう価値観のちがいとしかいいようがないので、お互いに理解し合おうなんて思っていません。ただ私はそういうスタンスでやっている、というだけです。
少し弁解させてもらうと、「不十分でもムリヤリ書く」ことで初めて気が付く、自分の知識の穴や見解の甘さみたいなものもあります。読者の方に「こういう本を読んでみればいいのでは?」とアドバイスをもらえることもあるし、鋭いツッコミをもらって(ちょっとヘコむけど)勉強になることもあります。だからやっぱり、「不十分でもムリヤリ書く」という方法を私は今後もとり続けたいと思っているし、それによって得られるものは大きいと考えているんですよ。
とはいえ、増田さんのように「こいつはバカだ」と私のことを思っている読者を、私は失いたくないんですね。「こいつはバカだ」と思われたということは、要は私よりレベルが高いわけです。自分よりレベルの高い人に、自分の文章が届いている。急所を突っ込まれる。これをありがたく思いこそすれ、不快に感じる理由はありません。
「バカなやつが、またつまらん記事をでっち上げてる」……はずなのに、ついつい読んでしまって、でも10回に1回くらい、「こいつ、今回はまぁまぁじゃん」と思ってしまう記事がある。そんなブログにしていきたいと思っているし、その1回を3回に、3回を5回にしていくことが、私のこのブログにおける夢であり、目標であり、楽しみでもあります。
というわけで、みなさん、増田さん。
今後も、お互い話が尽きてもうさっぱり飽きてしまうまで、末永くお付き合いしましょうね。