読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

チェコ好きの日記

旅 読書 アート いいものいっぱい 毎日楽しい

自己啓発と婚活と腰痛病院

思ったこと 読書

世の中には、他人のレビューや口コミがアテになるものと、アテにならないものがある。もちろん例外はいくらでもあるのだけど、たとえば、Amazonの本のレビューとか、飲食店のレビューとか、美容院の口コミとか、それらは〈比較的〉アテになる、と私は思っている。あくまで、以下で話すものに比べれば、〈比較的〉、という話にはなるのだけれど。

では他人のレビューや口コミがアテにならないものには何があるのかというと、1つは「病院」がある。それも、西洋医学でバリバリやるところよりは、東洋医学の要素が入ってくる病院……というか、整体やマッサージの店。そういうのは、どうやらあまり口コミがアテにならないと見た。

本や飲食店のレビューと、病院や整体のレビュー、両者のちがいは何か。

前者はまず、効果がわかるのが早い。本は読んですぐに面白いか面白くないかがわかるし、飲食店も、食べてすぐに美味しいかまずいかわかる。美容院も、1回行けば美容師との相性や店の雰囲気で、自分に合うか合わないかが判断できる。また、多少の差はあれど1回で使う金額がそれほど多くないから、1つ1つに対する依存心が少なくて済む。サンクコストに惑わされて、宗教のように信じてしまうこともない。

一方、病院や整体は、効果がわかるのが遅いことがある。私は幸いこれまで大病を経験したことがないので、それらの施設に定期的に通ったことがないのだけど、以下の本では高野秀行さんというノンフィクション作家が腰を本格的に痛めて、都内の病院や整体をわたり歩く様子がエッセイとして綴られている。

腰痛探検家 (集英社文庫)

腰痛探検家 (集英社文庫)

「でも、いったんよくなって痛みがぶり返すというのがよくわからないんですが……」
若先生は私の膝を押さえてゆっくり動かしながら笑顔を向ける。
「いえ、でもそれはいいことなんです」
「いいこと?」
「ええ。体が敏感になってきたという証拠です。前は痛みがあってもそれに気づかなかったんですよ」

上記の引用は、高野さんがとある整体へ通っていたときの、先生との会話だ。もし腰痛が、「痛みがぶり返すのもよくなっている証拠」なんていわれずに、右肩上がりのグラフのようにまっすぐに回復していってくれれば迷うこともないのだが、どうやらそういうものでもないらしい。今のこの「痛み」が、OKの証拠なのかNGの証拠なのかよくわからない。だから、本当はまったく効いていないかもしれないのに、ずっとずっと通い続けることになる。そうすると払った金額がかさんでいくから、中断するのが惜しくてますますやめられなくなる。なんだかパチンコみたいな話だ。

原因が特定できない

高野さんは上の整体に数ヶ月通ったのだけど、やはり腰に改善の兆しが見えず、諦めて自宅の近くの整骨院に切り替える。だけど、そこもやはりこれといった効き目がない。以降、知人や医師の紹介を経て、様々な病院、整体、鍼灸院、マッサージをわたり歩き、いわれるがままにストレッチや腹巻や瀉血や温泉などの健康法を試す。腰痛の原因も、背骨が歪んでるといわれたり、インナーマッスルが弱っているといわれたり、化学調味料が原因だといわれたり、椎間板ヘルニアだといわれたり、狭窄症だといわれたり、はては心因性だといわれて抗うつ剤まで飲む羽目になる。それでも、高野さんの腰痛は一向に良くならない。

だけど、最終的には、ある方法で高野さんの腰痛は劇的な回復を見せる。そのある方法とは……というのは本のネタバレになるから書かないけど、病院、整体、鍼灸院、マッサージ、高野さんは最終的にはそういった施設すべてと縁を切ることになるのだ。そして、劇的な回復を見せたのはいいものの、結局腰痛の原因は何だったのかは、最後までわからなかった。「なんか知らないけど良くなっちゃった」のだ。

自己啓発と婚活

『腰痛探検家』は、あくまで著者の高野さんが経験した「腰痛」にまつわるエッセイである。腰痛に始まって腰痛に終わる。それ以上でも以下でもない。だけど私は、『腰痛探検家』に「腰痛」以上のものを見てしまった、気がする。

たとえば、「腰痛」を「婚活」とか「恋愛」に変えてしまっても、ここに書かれていることと同じようなことが起こりそうな気がするのだ。婚活や恋愛が上手くいかない。きっとまわりに相談すれば、いろいろな人がいろいろなアドバイスをくれるだろう。だけどきっと、上手くいかない原因は最後まで特定できず、おぼろげに浮かび上がるだけで的を得ないだろう。また、だれかにとってテキメンに効く方法が自分にはまったく効果がなかったり、その逆も容易に起こりうる。そして、「もうどうでもいいや」と思ったときに、初めて希望の光が少しだけ見えたりする。

「腰痛」を「人生」とか「働き方」とかに変えてもいい。なんだか上手くいっていないような気がする。停滞している気がする。そんなとき、まわりに相談すれば、こちらもいろいろな人がいろいろな助言をくれるはずだ。だけど、たくさんの人がたくさんの「それらしき」ことをいっても、そのなかで本当に自分のためになるものはごくわずかである。考えてみれば人間、用意された環境も能力も性格も、だれ一人として同じではないのだ。たとえ助言をくれた人がどんなに社会的な成功をおさめている人であっても、その助言が自分にはいまいちしっくり来ない、なんてことはあって当然なのである。名医が束になってかかっても、最後まで高野さんの腰痛の原因を特定できなかったように。

私は何をいってるんだろう……ちょっと自分でもよくわからなくなってきてしまった。とりあえず、繰り返すけど、『腰痛探検家』は腰痛にまつわる痛快爆笑エッセイである。それ以上でも以下でもない。だけど、ここにはある種、世界の真実とでもいえるものが書かれている。それは何かというと、たとえ相手が名医でも、レベルちがいの成功者でも、プロフェッショナルでも、あなたのことはあなたにしかわからないし、あなたのことを決めるのはあなたしかいない、ということだ。

これはやっぱり、ちょっとした人生論の本である。純粋な高野秀行ファン以外に、今何かに悩んでいる人は読んでみるといいと思う。高野さんは「腰痛」に悩んでいるわけだけど、「腰痛」を「恋愛」に、「カイロプラクティック」を「占い」に、「鍼灸」を「ネット婚活サービス」に、適宜変換してしまえば、これはたちまちあなただけの人生論の本になる。

そんな読み方をしてるの、私だけかもしれないけど。