チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

【4】ギリアイルの停電する夜

バリ島旅行記の続き(正確にいうともうバリ島じゃないが)。

【3】ウォレス線をこえて、バックパッカー・アイランド - チェコ好きの日記

バリ島からフェリーで2時間、ギリアイルという島にやってきたものの、何せ一周しても徒歩1時間というとても小さい島だ。観光名所もないし、海岸を散歩してお昼ご飯を食べたら、そのまま海を眺めながらカフェで読書でもするしかない。というわけで、夕方になるまで私は本を読みつつぼーっとしていた。

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(※お昼ご飯のミーゴレン)
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やることがなさすぎたので、夕方からはヨガのクラスに参加する。私の前に陣取っていたフランス人(たぶん)の女の子が超絶体が柔らかく、「ビギナークラスって書いてあったから参加したのに……!」と一瞬後悔したが、左右をよく見ると90°しか開脚できない私のような人もけっこういたので安心した。しかし、体が柔らかい人を見るとそれだけで、私よりその人が人生を何倍も楽しんでいるのではないかと疑ってしまう。いっそあのベターっと開脚の本を買ってしまおうかという気になるが、思いとどまる。

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ヨガの時間は1時間くらいだった。

全体の最後に、ちーんちーんという鐘の音を聴きつつ、ヨガマットに仰向けに寝転がり目を閉じる。太陽が沈み、瞼の外の世界が、鐘と音と合わさってゆっくりゆっくり暗くなっていくのがわかる。

繰り返すが、ギリアイルはとても小さな島で、その気になって拡大しないと地図上には存在しないも同然だ。だけど、私は今その小さな島で、ヨガをやって息を整えている。鐘の音を聴きながら、太陽が沈みきるのを待っている。

これはとても不思議な体験だった。海が近いせいだろうか、目を閉じていると、波の音と太陽の角度が少しずつ下がっていく音と、自分の呼吸がだんだん重なってくるような気がした。

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先生の合図とともに最後、目を開けると周囲はすっかり暗くなっていて、それはもちろん当たり前なんだけど、私はなんだか狐に化かされたような気分だった。信じられないくらい頭も体もすっきりしていたけど、なんでそんなにすっきりしたのかよくわからなかったし、やっぱり何かに騙されたんじゃないかという気がした。


釈然としないままヨガスタジオを出て、途中でココナッツアイスを買ったりしつつ宿に戻るが、そのときいきなり街灯や店頭の電気が消えあたりが真っ暗になる。どうも停電らしい。ウブドの宿にもどる途中も真っ暗でiPhoneのライトが大活躍したが、まさかここでも使うとは。頼りない明かりで道を照らしつつ、歩いてのんびり戻る。途中、照らした先に牛がニュッと現れたりして、すごくびっくりする。

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(※これは翌日、明るい時間に撮った牛です)

宿に着く直前くらいで、復旧したらしく電気が元どおりに点く。しかしこの後、部屋でシャワーを浴びているときと髪を乾かしつつベッドでくつろいでいるとき、またも電気が消える。一晩に三回も停電するなんて生まれて初めてだ。だけど、これが本来の地球の暗さなんだよななんて思いつつ、また停電すると面倒なのでその日は早く寝てしまった。

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翌日は、スピードボートに乗ってロンボク島へ進む。船の出発前、改めてギリアイルの海岸を散歩したが、本当にはてしなくのんびりした島だ。島の人は大人も子供もみんなニコニコしていて呑気そうだし、動物も人間様おかまいなしで堂々と道を歩いている。もう一泊してもよかったかななどと思い、今度は隣のギリメノやそのまた隣のギリトラワンガンまで行こうと決める。

ギリアイルからロンボク島までは、ボートで10分程度。すぐに到着する。だけど、10分でも海を隔てたそこはもう別世界だ。ロンボク島のバンサル港というのは客引きがしつこいかつ悪どいことで有名で、私もボートを降りたその瞬間に営業攻撃に遭う。ロンボク島はバリ島と同じくらいの規模がある島なのだが、大きい島というのはなんだか余裕がない。

しかし、しつこい客引きに関してはこちらもモロッコの旅で鍛えられている。私は難なくかわして信頼できそうなドライバーと値段を交渉し、宿の近くにあるロンボクのスンギギというビーチを目指した。

こちらは、波が荒い。

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次回へ続く

【3】ウォレス線をこえて、バックパッカー・アイランド

バリ島旅行記の続き。

【2】私は島とセックスできただろうか? - チェコ好きの日記

バリ島を歩いていると、ここでは神様を信じることが、とても自然なことなんだとわかる。バリ島というか、インドネシアでは全体としても多くの人が何らかの宗教を信仰していて、「自分は無宗教だ」というと無神論者すなわち共産主義者だと思われてしまうこともあるらしい。……と、いう話を聞いていたので、私は「あなたの宗教は?」とたずねてきた幾人かのバリ人・インドネシア人に、ひたすら「仏教」と答えていた。だけどもちろん、本当は仏教のことなんて何も知らない。

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バリの人は、とても自然に祈る。そばで観光客が写真を撮っていようが、外からちらちら見ていようが、特に気負いなく神に祈る。当たり前のように観光客がうじゃうじゃいるこの島では、そんなのにいちいち構ってたんじゃオチオチ生活もできないというのもあるんだろうが、神に祈っている人というのが私はどうも好きみたいだ。

はじめて、信仰を持つことを羨ましいと思った。神様がいる世界にとても自然に馴染んでいけた彼らを、羨ましいと思った。私が今ここから何かの宗教を信じることは、かなり不自然なことになるからやらない。そうではなくて、何かを信じるという環境を、生まれながらに用意されていたことを羨ましく思った。

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あとは、物売りの子供がまあよく語学ができる。もちろん使える単語は値段交渉ができるシーンに限られてはいるのだろうが、それにしたって日本語も英語もフランス語もペラペラしゃべる。「あの子ら、ああ見えて七ヶ国語くらいできるんだ」とワヤンさんがいう。私も、つい先延ばしにしているが、どこかで語学は本気でやらなければいけない気がする……英語もロクにできないうちから欲張るのは滑稽かもしれないが、もっといろいろな言葉がわかるようになりたいと思う。アラビア語とかわかったらかっこいい。

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バリ島観光は実はここまでで、翌日から私は、フェリーでこの島を離れ、ギリ・アイルという島、それからロンボクという島を訪れてみることにした。船の予約はインターネットでできて、値段は片道四千円から七千円くらい。ちなみにこれらの島については、高城剛の本に少しだけ記述がある。ギリ・アイルは「ギリ三島」とよばれる三つの島の中の1つで、仲間とはしゃぐパーティー・アイランド「ギリ・トラワンガン」、カップルで行くハネムーン・アイランド「ギリ・メノ」とならび、バックパッカー・アイランド」とよばれている。要するに、独り身の島である。

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予想はしていたが、フェリーに乗り込んだアジア人は私1人で、他はみんな欧米人だった。私はバリ島からギリ・アイルまでの片道チケットをネットで予約し、その後ギリ・アイルからロンボクへ、そしてロンボクの空港からジャカルタに飛ぶことにした。

で、上でもいっているように、このギリ・アイルは徒歩一時間くらいで一周できてしまう本当に小さな小さな島である。だから車がない……というか必要なく、移動は基本的に徒歩、現地の人は自転車、重いものを運びたいときは馬車、みたいになっている。車がないせいか空気がきれいで、そしてはてしなくのんびりした雰囲気の島である。

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そして、ここからはちょっとマニアックな話になるのだけど(興奮)、バリ島とロンボク島の間には、実はウォレス線という、生物分布境界線が存在する。どういうことかというと、このウォレス線によって、生物の分布が東洋区(バリ側)とオーストラリア区(ロンボク側)で分断されているのだ。生物や植物の雰囲気が、どことなく変わる。そして面白いことに、宗教も変わる。バリはヒンドゥー教だが、ギリ三島やロンボクはイスラム教だ。船で二時間という距離しか離れていないのに。それで、バリ島のちょっと下にあるレンボンガン島という島もたぶん東洋区なのだけど、ここもどうやらバリ・ヒンドゥーの島。つまり、この生物分布境界線が宗教分布も変えている*1。この話めちゃくちゃ面白くないですか?

というわけで、ギリ・アイルに着いてからは懐かしの、アザーンが聞こえてきた。アザーンイスラム教のお祈りの合図の放送で、私はモロッコと、ヨルダンと、イスラエルでこれを聞いたことがある。女性はヒジャーブをかぶっている。ここはもう、イスラムの世界だ。

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次回へ続く

*1:このあたりについて研究した書籍はないのだろうか。知っている人がいたらご一報ください。海外文献でも英語なら頑張って読みます

【2】私は島とセックスできただろうか?

バリ島旅行記の続き。

【1】サイババの弟子に未来を占ってもらってきた。 - チェコ好きの日記

バリ島の伝統的呪術師「バリアン」のいまいちすっきりしない占いを体験した日の夜、私はガイドのワヤンさんにすすめられ、ウブドの中心地で伝統芸能ケチャダンスを鑑賞してみた。

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しかし当然といえば当然なのだけど、「観光客向けにやっている」感が否めない。それもそのはず、ケチャ1920年代から30年代にかけて、廃れきっていたところをドイツ人の画家が再興させバリの伝統芸能ということに「した」、なんて話を聞いた。日本の初詣も明治から大正にかけて鉄道会社が行なったキャンペーンがもとになっているという話があるけれど、まあ伝統の中にはそんなものもあるのだろう。

が、じゃあケチャはつまらなくて見る価値がなかったかというと、もちろんそんなことはない。火の玉を素足で蹴っとばすショーがあったのだけど、あれは普通に危ないしどうやってるんだろう? と思った。足の裏の皮が厚いのだろうか。そういう問題じゃないのだろうか。

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それよりも印象に残っているのは、ケチャダンスの鑑賞を終えて宿に戻ろうとした帰り道だ。私は宿泊先をAirbnbで予約したのだけど、この宿が田んぼのど真ん中でだいぶ辺鄙なところにあり、昼はいいが夜になると街灯もなく真っ暗だったのである。iPhoneのライトを点けなければ足元がまったく見えない。

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(※これは明るいときに撮った写真だが、この場所が暗くなったときを想像してみてほしい)

まったくの闇──というのをきっと、都心に住む日本人の多くは久しく体験していないのではないだろうか。日が暮れて太陽が沈んでも、街はネオンや街灯やオフィスビルの電気で、眠ることなくぴかぴかしている。だけど私が歩いた、宿へと帰る道には、そんなものは一切なかった。iPhoneのライトという頼りない明かりで(それだってないよりはだいぶマシだが)、この道で合っているのかと不安になりながら、虫や蛙の声を聞きながら一人で歩いた。途中、道を間違えたらしく変な畦道に入り込んでしまい、だいぶ焦った。

だけど、私はこの「まったくの闇」、頼るものが視覚以外の自分の五感しかないという状況を、ずっとずっと求めていたようにも感じた。バリ島到着前の飛行機で読んでいた『ヤノマミ (新潮文庫)』という本は、「闇、なのだ。全くの、闇なのだ」という一文から始まるのだけど、私はこの一文でかなり動揺してしまったのである。「まったくの闇」を私は知らないし、知っていたとしても、だいぶ昔に忘れてしまった気がする。漆黒の闇と吐き気がするほどの恐怖。私は、人類が必死で逃げてきたはずのそれを、なぜか今ものすごく懐かしく思っている。

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(※本当に田んぼのど真ん中にある宿)

翌日は、ガイド・ワヤンさんの車で終日バリ島を観光した。ティルタ・エンプルとか、ブサキ寺院とか、キンタマーニ高原とか、ゴア・ガジャとか、カルタゴサとか、そのあたりの有名どころの寺院を巡る。

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ふと疑問に思ったので、ワヤンさんに「インドのヒンドゥー教とバリのヒンドゥー教は何がちがうんですか?」と聞く。いわく、バリには4世紀頃インドからジャワ島を経てヒンドゥー教が伝わったが、オリジナルのヒンドゥー教がバリの土着の多神教と合体し、それが今あるようなヒンドゥー教になっているらしい。日本の神仏習合みたいなものだ。ヒンドゥー教では牛は神聖な生き物なので食さないことになっているが、バリ・ヒンドゥーではカーストの階級によっては一部食べる人もいるし、他にもいろいろなローカルルールがあるらしい。

だけど、実はインドネシアでは、バリ島に住む人々以外のほとんどがイスラム教を信仰している。なぜかバリ島だけ*1が、後から伝わってきたイスラム教が根付かず、そのままヒンドゥー教の島として残ったのだ。理由はよくわからない。この島は、よっぽど多神教の世界観が強固なのかもしれない。

それぞれの寺院は、地元の人と観光客が入り乱れていてなんだか不思議な雰囲気だった。私たちがパシャパシャ写真を撮る傍で、地元の人が熱心に神様に祈りを捧げている。キリスト教の教会でも、エルサレム嘆きの壁でもそうだけど、「祈る人々」を見るというのはすごく変な気持ちだ。

彼らはそれを信じている。だけど、私はそれを信じていない。彼らには見える。だけど、私には見えない。人と人との間にある断絶を、まざまざと見せつけられている気分になる。

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「バリ島にいると、何だかこの島とセックスしているような気持ちになる。とても不思議な気分だ。他の島ではこうはならない。バリ島だけだ。このクタ・ビーチで波を眺めている間に、ふと気がつくと十八年もたっていた」(p.153)

中島らもの小説『水に似た感情 (集英社文庫)』はバリ島を舞台にしていて、この島を一人の人間になぞらえている。バリ島に入ることは一人の人間の胎内に入ることであり、いわくクタ・ビーチで波を眺めていると島とセックスができるらしい。もしそれが本当なら、こんな極楽はないと私はわくわくして出かけたのだが、私が島とセックスできたかどうかは疑問が残る。やはり小説にあるように、マジックマッシュルーム*2でもやらないとそんな没入感は得られないのだろうか。

バリ島の11月は雨季なので、お昼頃から雨が降ってきてしまった。しかし、雨が降ると生き物が喜んでいるのがわかる。なんだか得体の知れないものがたくさんいるのがわかる。だから、私はバリの雨はとても好きだと思った。

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次回へ続く

*1:正確には、バリ島近くのレンボンガン島などもバリ・ヒンドゥーの島であるらしい。私は宗教分布に生物分布境界線が関連していると考えていて、これに関しては後日書く。

*2:もちろん犯罪です。

祈る人々

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2010.イタリア.トスカーナ
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2016.イスラエル.エルサレム
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2016.イスラエル.エルサレム
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2016.イスラエル.エルサレム
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2016.イスラエル.エルサレム
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2016.イスラエル.エルサレム
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2016.イスラエル.エルサレム
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2016.パレスチナ自治区.ベツレヘム
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.バリ島
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2016.インドネシア.ロンボク島
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2016.インドネシア.ロンボク島
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2016.インドネシア.ジャカルタ
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2016.インドネシア.ジャカルタ

2016年、4人のクレイジージャーニーたちを見て思ったこと。

世間の多くの人はもうだいたい、「仕事納め」というやつも終わり、年末休みで家族と家でのんびりしているところなのだろうか。私もまあ似たようなものではあるけれど、しかしそれはそれとしてブログは書く。

2016年を振り返ると、まず公の出来事としてはイギリスのEU離脱とトランプ氏の当選が印象に残っている。あとは、不倫には芸能人であっても身近な人であってもめちゃくちゃくちゃくちゃめちゃくちゃ興味がないのだけれど、それでもなんだか不倫報道が多い一年だったなあという印象はある。

個人的な出来事としては、2016年はやはり中東を旅行で訪れたことのインパクトがいちばん大きい。単純な旅行期間としては1ヶ月くらいだったけれど、日本に帰ってきてからもずっと中東のことやイスラム教のことを考えたり書いたりしていたので、2016年がまるまる中東だったといっても過言ではない。中東熱は未だ冷めないので、この傾向は2017年もしばらく続くと思う。

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(※モロッコ・タンジェからマラケシュへ向かう夜行列車。私は写真が下手)

それで、その中東旅行が自分の中でかなり衝撃的だったことの影響があるのだけど、TBSの『クレイジージャーニー』が面白かったなあという印象があって、振り返ってみたらこの番組に出演していた旅行者4人のトークイベントにこの1年で足を運んでいた。ブログに書いたのはそのうちの1人、丸山ゴンザレスさんのみなのだけど、他にもヨシダナギさん、佐藤健寿さん、高野秀行さんの話を聞きに行っていた。ちなみに、なぜブログにイベントに行ったことを書かなかったのかというと、ミーハーなのがバレて恥ずかしいからである(結局今、これを書いてるが)。

aniram-czech.hatenablog.com

「無視する力」が強すぎる

やっと本題に入るのだけど、まずこの4人の話を聞きに行って思ったことは、どなたも「無視する力」が強すぎる、ということだ。「無視する」とは何を無視しているのかというと、世間の流行や動き、世代に共通する価値観みたいなものである。

たとえば、先に話をあげた丸山ゴンザレスさんは、世界のスラムやメキシコの麻薬カルテルを取材しているけれど、今世間でスラムが来ているか、スラムがアツいかと問われると、全然そんなことはない。ただし麻薬カルテルブームみたいなのは確かにちょっとあって、昨今けっこうな数の小説や映画が出ていたりはする。だけど、ゴンザレスさんはカルテルがブームだからメキシコに行ったというよりは、もともとメキシコのカルテル的なものに興味があって、それがたまたま流行った、という感じだと思う。世間が動いたから自分もそこに行く、あるいは世間の動きを予測してあらかじめ移動しておくというのではなく、自分は「好き」な場所にただただじっとしていて、世間がそこに注目してくれるのを一人でぽつんと待っている。クレイジージャーニーの旅行者たちからは、全員そんな印象を受ける。


もちろん、「無視する力」が弱い人たちは、疑問に思うだろう。「たまたま波が来たから良かったものの、もし一生、自分がじっとしているところにブームが来なかったらどうするの?」と。だけどそれはやっぱり「無視する力」が弱い人だけが抱く疑問で、この力が強い人にとっては、おそらくそんなのは愚問である。なぜなら、損得勘定を抜きにして、本当に「好き」だから。だから、自分がじっとしているところに上手いことブームが来ればそれは「ラッキー」、来なかったら「ま、しょうがないよね」なのだ。


「『ま、しょうがないよね』ってあんた、お金稼いで食っていかないといけないでしょうよ」と、これまた「無視する力」が弱い人たちは疑問に思うだろう。なんなの、クレイジージャーニーたちは実家が金持ちなの? と。これに関しては、私はもちろんこの方々の実家の経済力に関する情報は持っていないのでなんともいえないけど、なんだかみんな地味に知恵を絞ってお金を工面している、という印象がある。佐藤健寿さんは『奇界遺産』が代表作で、世界中の奇妙なものを取材しているけれど、そのかたわらでグラビアの撮影などもしているみたいだ。そしてグラビア撮影のときは、名前を出さない? らしい。そしてこの点でいうと、高野秀行さんは苦労が多すぎてまったく笑えない。この人はなんと、学生時代に作家デビューするもののそれ以降本が売れなさ過ぎて、40代になるまで年収200万円をこえることがなかったと以下の本で語っている。普通の神経ならとっくに筆を折っていたはずだ。

そして、私は4人の中で作家としては高野秀行さんがいちばん好きなのだけど、同世代の女性ということもあってか、トークイベントという単位で考えるといちばん興味深い話をしてくれたのはヨシダナギさんだったかなあと思う。

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

ヨシダナギさんはアフリカの少数民族を撮影してまわっている写真家なのだけど、幼い頃からアフリカが好きで、将来はアフリカ人になりたいと幼稚園くらいのときに思っていたらしい。それだけでもなかなかインパクトのあるエピソードだけど、私が感銘を受けたのは、会場のお客さんからの質問で、「結婚や出産、今後のキャリアについてどう考えていますか?」と聞かれたときのヨシダさんの回答である。


ヨシダさんはなんと、この質問に対して、「そういうことは、考えていません。」と言い放っていたのだ。

いわく、ヨシダさんは遺伝子こそ違えど思考は先住民族アフリカ人なので、今日何がしたいか、明日何がしたいかまでしか考えることができない。1年後とか、3年後とかのことを考えられないのだそうだ。だから、結婚をどうするかとか、出産をどうするかとか、キャリアについてとか、そういうことは頭にないらしい。

これもまた、「無視する力」が弱い人たちにとってはちょっとありえない考え方だと思うが、私はこのヨシダさんの回答に、非常に励まされた。私は普通の人なので、それなりに今後のことなどについて考えてはいるが、それでもまわりで話に聞く限りだと、結婚や恋愛や女性のキャリアなどへの関心がかなり薄い。それよりも、中東問題とかアピチャッポンの映画とかイスラム教とか麻薬のこととかを考えているほうが好きなのだ。これは、強がっているわけでも都合の悪い臭いものに蓋をしているわけでもなく、神に誓って本心からそうなのである。

だから、ヨシダさんの「そういうことは、考えていません。」という潔い回答を聞いて、そっか、アラサーの女性だからって無理してそういうこと考えなくてもいいんだ、と勇気をもらったのだ。いや、本当は考えたほうがいいし、ここでみなさんに「そういうことは考えなくてもよろしいのですよ」などということはいえないのだけど、でも勇気をもらってしまったものはどうしようもない。


「無視する力」が「弱い/強い」という書き方をしているので、あたかも強い人はエラくて、弱い人はダメみたいな印象をあたえてしまっているかもしれないけれど、これはもちろんそういう話ではない。むしろ、「無視する力が強い」というのはたぶんおおよそロクなことがないので、どちらかというとこんな力は弱いにこしたことはない。ちゃんと世間がどちらを向いているかを見て、将来のことをきちんと考えたほうがいいと思う。ちなみに、「無視する力が弱くて最強な人」として、今年『君の名は。』などをヒットさせたことで有名な川村元気さんなどをあげることができるだろう。だから、こんな力はやっぱり弱いほうがいいのだ。


だけど、今年痛感したこととして、私は残念ながら、「無視する力」がそこそこ強いみたいである。これは自慢ではなく、完全に「残念なお知らせ」だ。世間が今、どう動いているかなんてわからない。これからどういう動きが来るかなんて予測できない。女性だけど、女性の気持ちなんてわからない。もちろん、男じゃないから男の気持ちなど知る由もない。まあ、エラそうにそういうことを語ってみたくなるときもたまにあるのだけど、基本的に、私のいうことは全般的にアテにならん、と我ながら思う。

2017年も、たぶん自分の好きなことについてしか書けない。ただし、私は「無視する力」がそこそこ強いが逆にいうとそれほど強力に作用しているわけでもないので、きっとまた中途半端に流行りものにも手を出すと思う。まあ、それでもいいか。

とりあえず、「評価されなくてもずっと続ける」というのは常軌を逸した行為なので、作家生活二十ウン年ずっと「売れない売れない」といい続けしかし筆を折らずまわりに迎合するでもなく酔狂なことをやり続けた高野秀行さんがいかにスゴイかということが伝わればよい。高野さんはスゴイ。

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(※年明けはたぶん旅行記から再開)