チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

30歳を過ぎたら

旧石器時代があり、新石器時代があり、青銅器時代があり、そして長い年月のあとにカットグラス時代がやってきた。

目に入った瞬間に惚れてしまう文章というのがある。上の文章はスコット・フィッツジェラルドの『カットグラスの鉢』という短編小説の冒頭だけれど、こんな文章を20代前半で書いたっていうんだから、やっぱりフィッツジェラルドって控え目にいってもバケモノだったんだろうな〜。軽妙洒脱で、ユーモアがある。

『カットグラスの鉢』の、あらすじはこうだ。

あるところに、とても魅力的な1人の女性がいる。年齢は20代前半。美しくて愛嬌があるので、当然まわりの男たちは彼女に夢中になる。ある男は、彼女に「カットグラスの鉢」をプレゼントする。「ねえイヴリン、僕は君に贈り物をあげるよ。それは君と同じように硬くて、美しくて、空っぽで、中身が透けて見えるものだよ」とかなんとか言いながら。けっこう失礼だと思うんだけど、イヴリンはそれが嫌味であることにさえ気づかずに、素直にプレゼントをもらって喜んでいる。

20代後半になると、彼女は言い寄ってきた男の中から、いい条件の男を見つけて結婚する。子供を産んで、母親になる。

だけど、何年か経つうちに、だんだん夫との仲は冷えていく。するとイヴリンは、不倫の恋に溺れるようになる。しかし、その恋も終わって、30代を過ぎ、40代に近づいていく。「美しくて、空っぽ」と言われながら、大きなカットグラスの鉢をプレゼントされた魅力的な女性はもうそこにはいない。いるのは、凡庸で、輝きを失った中年の女。ああ、あの美しいカットグラスの鉢はどこに行ってしまったんだろう──と、そういう話である。

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しかし、私の説明の仕方が未熟なせいもあるけれど、改めて書くとひどいあらすじである。

女性が年齢を重ねていくことは、次第にその価値を失っていくことだと言いたいのだろうか? 1920年の発表だから許されたかもしれないが、今の世でこれを書いたら大バッシング不可避である。ただまあ、この「年齢を重ねることで何かを失っていく」ってテーマはフィッツジェラルドの小説の中で繰り返し登場するので、よく読んでいる者からすると「あーあ、またこの人こんなこと書いてんのね」という感じである。失笑はするものの、いつものことなので特に怒りは沸かない。

30歳の女性である私は、本来なら(?)、この短編小説に反感を抱くべきなのかもしれない。だけど実際のところ、私は『カットグラスの鉢』が大好きで、もう何回も繰り返し読んでいる。テーマがテーマなので、この小説を「好きだ」と公言することはこれでも一応、勇気を振り絞っているんだけど。

これ、たぶん下手な人が書くと、「女の子はやっぱり若いのがいちばんだよ。年とったのは容姿も性格も可愛くないしさ〜」という、低俗な三文小説になってしまいかねない(ていうか実際、低俗な三文小説であるという読み方をする人もいると思う)。だけど、なんていうか、フィッツジェラルドの目線はそういうんじゃないんだよな。確かに、けっこうスレスレのところまで行く。しかし低俗な三文小説になる一歩手前で、華麗に身を翻して旋回している。

彼の小説の中では、男だって女と同じように衰えていくし、輝きを失っていくし、人生を後悔するようになる。若い子がいいよね、という話では断じてなくて、ただ、今目の前にあるものが消えてしまうことが悲しいと言っている。今のこの瞬間が過ぎ去ってしまうことが悲しいと言っている。フィッツジェラルドは小説の中で、いつもいつも、悲しい、悲しいと繰り返し言っている。まあ、確かに暗いし、決して前向きな話ではないんだけど、人間ってそんなものだし、人生ってけっこう悲しいものなんじゃないだろうか。本質的には。

とはいえ、現実の自分の立場をかえりみると、やっぱり女性の加齢をネガティブには書いてはほしくないんだけど……でも、フィッツジェラルドを読んでいるときの私は、自分が2017年に生きる30歳であることを忘れている。生身の体をもった現実の私というのはどこかへ消えてしまって、小説の中を生きる「1920年代の人」になっている。やがて世界恐慌がやってきて、ニューヨークで株価が大暴落して、それがフィッツジェラルドの人生を変えてしまったことも知っている。だけど、彼が1920年代に書いた小説を読んでいるときだけは、そんなことはさっぱり忘れて、まるで永遠に続くかのように、アメリカという国の繁栄を無邪気に楽しむことができる。

小説や映画の、そういう自由さを私は愛している。もちろん、すべての小説や映画において、とは言わない。それが(私にとって)優れた小説や映画であるときのみだ。その中でなら私は、男にだってなれるし、女にだってなれるし、兵士にも、犬にも猫にも、神様にだってなることができる。そして、性別が変わっても、国籍が変わっても、時代が変わっても、人間ですらなくなってしまっても、それでもわずかに浮かび上がる「私」という存在があって、そのことに愕然としたりする。

かつてフィッツジェラルドは「30歳を過ぎたら、人は生きているべきじゃないね」と言ったことがあるらしい。そ、そんなこと言うなよ〜。別に30歳を過ぎても人生は楽しいよ。むしろ、若いときよりずっとずっとラクだし楽しいよ。これからも、まだまだ楽しいこといっぱいあるよ。そう、「私A」はフィッツジェラルドを一生懸命に茶化して笑うんだけど、一方で「私B」は静かに納得しているのだった。

年齢を重ねるということは、過ぎ去ってしまった時間を多く抱える、ということだ。きっとフィッツジェラルドは、その重みに耐えられなかったのだろう。これから楽しいことがないわけじゃない。ただ、過ぎ去ってしまった時間が多すぎることが悲しいのだ。

フィッツジェラルドがこの世を去ったのは1940年、彼が44歳のときである。もしもその年齢を追い越すときがやってきたら、私は何を思うだろう。

バビロンに帰る―ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック〈2〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

バビロンに帰る―ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック〈2〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

コミュニティに執着しない

これはちょっとした思考実験だ。

少し考えてみてほしいのだけど、たとえばあなたが、明日から「日本」について研究しなければならないという職務を負ったとする。ただし場所はどこでもよろしい、費用は使い放題だ、という条件つきである(いいなそれ)。そういう職務を負ったとき、さてあなたは研究の地としてどの場所を選ぶだろうか。

ある人は、「京都」と答えるかもしれない。確かに、神社仏閣に事欠かず、日本の歴史を考える上でもっとも色濃いものが彼の地にはありそうである。またある人は、「東京」と答えるかもしれない。確かに、今の日本において最先端の情報や興味深い人が集まってくるのは何だかんだいいつつ東京だから、これも妥当な判断だろう。またある人は、そういうオーソドックスな日本ではなく、もっと周縁から攻めちゃるというアイディアで、「沖縄」と答えるかもしれない。これも、一味ちがった研究ができそうでなかなか面白そうである。他、日本の孤島に行くぜとか、四国でやるぜとか、青森でやるぜとか、それぞれの答えに不正解はない。

私もご多分に漏れず、きっとつい最近までだったら、「京都」と言ってたかなという気がする。もしくは引っ越しがめんどくさいので、このまま関東周辺に引きこもり、必要に応じて沖縄や四国に短期滞在するとかを考えたかもしれない。

しかし、つい先日思いついたのは、これらがすべて不正解──とはいわないまでも、「日本」を研究するために日本人の私が選ばなくてはいけない土地は、実は日本の中のどこにもないのではないか、ということだ。今の私がもし、上記のような職務をあたえられたら、私はおそらく東南アジアのどこかの都市を答えるだろう。それはプノンペンでもいいし、ハノイでもいいし、バンコクでもいいし、ジャカルタでもいいのだけど。「日本」を考える上で、日本を今よりもくっきりと意識の上に浮かび上がらせるためには、実は日本を離れるのがもっとも有効なのではないか。今日はそんな話から始まるつれづれです。

コミュニティに執着しない

私自身もそうなのだけど、私のまわりにいる人たちは、「コミュニティに執着がない」と言う人が多い。そして、自惚れではあるのだけど、私自身も含め、こういうことを言える人々は自立心が高いのだと思っていた。まあ確かに、いいオトナがいつも同じメンバーでつるんでいたらカッコ悪いし、地元や出身大学にいつまでもこだわり続けるのも見栄えがいいと思えない。現代は何といっても個人の時代なのだし、地域や会社をこえて、プロジェクトごとに個人がゆるやかに集まり、そしてプロジェクトが終われば未練なく散っていく……というのは、クールで合理的である。

と、思っていたのだけど、「コミュニティに執着がない」とは実は、「コミュニティに守られている」ことと裏表の関係なのではないか? と考え込んでしまったのは、米原万里さんの本を読んだからである。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

既読の人はご存知のとおり、こちらの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、著者の米原さんが、チェコスロバキアプラハソビエト大使館付属の国際学校に通っていた頃の学友について書いたノンフィクションである。話に出てくるのは、ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それぞれの詳しい話は今回は割愛するけれど、印象的だったのは、ソビエト国際学校に通っている子供たちの、愛国心がものすごく高いことだ。リッツァはギリシャの空がいかに青く美しいかを滔々と語って米原さんに聞かせ、アーニャはルーマニアの料理がいかに美味しいかを証明するためにクラスメイトたちを自宅に招く。文中に出てくるけれど、この学校に通う子供たちの愛国心が高いのはそれがスタンダードのようで、むしろ自国に誇りを持てないやつのほうがおかしいと、そういう風潮があったらしい。

自国にいないはずのソビエト国際学校に通う子供たちの愛国心が、逆にこんなに高いのはなぜか? というのは説明するまでもない話で、人は周縁に追いやられるとアイデンティティが揺らぐのだ。

本の学校に通い日本語を話す日本人よりも、外国の学校に通い外国語を話す日本人のほうが、きっと日本に対する思いは強い。前者はコミュニティの中心にいて、コミュニティに守られているからこそ、コミュニティの存在に気づかない。周縁に追いやられて初めて、コミュニティの存在に気づき、その中に自分の居場所を作ることに執着する。冒頭の話につなげると、だから私は、日本のことを研究したいなら東南アジアのどこかの都市に行くのがいいのではないか、と考えたのである。京都や東京にいてはすっぽり覆われて見えなかったものが、バンコクジャカルタでは「何でこんなことに気づかなかったんだろう?」と浮かび上がるだろう。推測だけど。


「個人の時代」と言い切れる人は確かに強い。

だけどそう言える人って、「何かに守られている人」なのかもしれない。何にどんなふうに守られているのかは、中心にいるからこそ、見えにくいのだけど。

人を呪ったっていいじゃない

トルコの民間信仰で、「ナザールボンジュウ」という青い目玉のお守りがある。

「トルコの」といったものの、私はこれを、ギリシャでも見たしイスラエルでも見たしヨルダンでも見たしモロッコでも見た。ちょっとうろ覚えだけど、確かスペインにもあった気がする。だからつまりは、中東というか、あのへんの地域一帯に共通してある民間信仰なのだろう。

下の写真はアテネで撮ったものだけど、ナザールボンジュウはこんなふうに、そのへんの雑貨屋さんや観光客向けのお土産屋さんで、普通に売られている。とっても身近なものなのだ。

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ナザールボンジュウは、どういったときに人々に買い求められその効果を発揮するのかというと、「良いことが起きたとき」だという。良いこととは、たとえば、新しい会社を設立したとか、結婚したとか、家を建てたとか、そういうときだ。

ナザール(Nazar)とは、「邪視」という意味らしい。

中東やヨーロッパの地中海地方の人々は、イスラム教が伝わるよりも5000年以上も昔から、「人々から羨望のまなざしをあびると悪いことが起きる」と信じていた。だから、何か良いことが起きたとき、そんな人々の「羨望のまなざし」「邪視」から身を守れるよう、ナザールボンジュウに願いを託すのだ。また、人のいいところを褒めるとき、この地方の人々は、「Nazar degemsin(ナザールが触れませんように)」という言葉をかけることがあるという。

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このお守りの話を初めて聞いたときは、ちょっと意外だった。

というのも、中東や地中海近辺の人って、傲慢で自己中、良くいえば超ポジティブというイメージだったので(偏見です)。良いことがあっても手放しには喜ばないとか、人目を気にするとか、そういう感性あるんだ〜へえ〜〜と思ったのである(失礼だな!)

今の世の中に対しても思うけど、良いことがあったときくらい、屈託なく素直に喜べばいい。それを、配慮とか遠慮とか考えないといけないというのは、控えめに申し上げてもちょっとメンドクサイ。

生きづらい世の中、生きづらい私、と人はいう。だけどはたして、生きやすい世の中、生きやすい私なんて、かつて存在したことがあったのだろうか。紀元前だろうと、中世だろうと、ルネサンスだろうと、近代だろうと、日本だろうとヨーロッパだろうと中東だろうとアフリカだろうと、いつだって誰だって人々は生きづらかったのだ。多かれ少なかれ。

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うちの玄関にも中央に鎮座しているナザールボンジュウ。「誰もあんたには嫉妬しないから大丈夫」という声が聞こえてきそうだが、それはそれとして。

人を呪ったっていいじゃない、ただし覚悟があるならば

話は変わって、夏のホラーの定番に、「丑の刻参り」という呪いの術がある。ワラ人形に五寸釘を打ち付けて、夜な夜なカーン!カーン!とやる例のアレである。ただし、万が一現場を他人に見られてしまったら呪いはすべて自分にはね返ってくるし、現場を目撃した人物も殺さなければならない。私が「丑の刻参り」を知ったのはたぶん小学生のときだったと思うけど、初めて抱いた感想は、「人を呪うのってずいぶんと骨が折れるんだな〜」ということだった。ロウソクを頭に巻きつけなきゃいけなかったりしてまず装備がメンドクサイし、夜中に神社に行くのもだるいし、その上で絶対に人に見られてはいけないなんて大変すぎる。

もちろん「丑の刻参り」はただのオカルトだ。しかし、この迷信はなかなか大切な教訓も含んでいるように私には思える。つまり、「人を呪うという行為にはリスクが付き物で、その覚悟がないのだったら他人に呪詛を吐くのなんておやめなさい」と、そういう意味もあるのではないか。迷信もなかなかバカにはできないのだ。

私は人を呪う心や復讐心みたいなのを、あまり真っ向から否定したくない。否定したくないというか、より正確にいうと、それはどうしたっていつの世にも生じるものだから、否定なんかしても無意味だと思っている。「優雅な生活が最高の復讐である」とはいうものの、どうしても我慢できないときは気が済むまで、恨むだけ人を恨んでバーニング!するのも一つの手だろう。丑の刻参り、実際の効果はよくわからないけど、頑張ってやったら何よりもまず本人がすっきりしそうじゃないか。すっきりするのはいいことだ。

最近ちょっと気になるのは、そんな丑の刻参りとは正反対の、「お手軽な呪い」みたいなのがインターネットをしているとチラチラと見えてしまうことである。リスクを犯しているのだと、本人が自覚しているのならば、気の済むまでやればいい。だけど、テレビを見て寝っころがりながら、お菓子をボリボリ食べつつ呪詛を吐くのはやめたほうがいいんじゃないかな、と何だか思う。それならば、ロウソクを頭に巻きつけてカーン!カーン!とやるほうがよっぽど紳士淑女だ。

何より、迷信にはロマンがある。「アフリカの某呪術師市場には猿の頭が売られていてね……」なんて話をされると私が目を爛々と輝かせてしまうことは、このブログをいつも読んでくれている人であればご存知のことだろう。

ナザールボンジュウの話も、背景をよく考えると「まったく、いつだって世の中は息苦しいのな、やってらんねえぜ」という気分になるけれど、それはそれとして、この青い目玉くんはなかなか愛嬌があってかわいいじゃないですか。丑の刻参りもコントにできそうだし、迷信とか呪術ってどこか笑っちゃうようなところがある。アホくさくて。

シリアスで、スマートで、アホくさくないものがいちばん怖い。それは、どこにも出口がないからだ。

運動しても筋トレしても健康になるとは限らない

体を動かすことを習慣として行なうようになって気が付いたことは、「体は頭よりも理解が遅い」ということだ。


お粗末すぎるので、「そんなんやらんでもわかるわな!」と一部の人には思われてしまうかもしれない。しかし、「何でこんな簡単なことできないの?」というアレを、自分(頭)が自分(体)に対して思ってしまうのは、なかなか悲しいものがある。

しかし、あんまり自分(体)を責めるとかわいそうだし、何より責めてどうにかなるものでもないから、生産性がない。そういうわけで、最近は「いいよ、君には君の学びのペースってもんがあるんだろう。ゆっくりやんなさい」と、あまり自分(体)を急かさないことにした。

しかし、これがなかなか難しい。私(頭)はずいぶんと先に行ってしまって、進んだ先から私(体)が追いつくのをちらりちらりと振り返りながらじっと待っている。それがもどかしいったら、ない。「待ってさえいれば必ずあいつ(体)はここにたどり着く」という保証があればまだ気がラクかもしれないけど、じっと待っていてもあいつ(体)がここにちゃんとたどり着く保証なんてどこにもなくて、だから待つというのはけっこう骨が折れるのだ。


誰がいっていたか忘れたけど、待つということは祈ることに似ている。

そして私も含めて、現代に生きる人は待つこと、保留すること、グレーのままにしておくこと、すなわち祈ることが苦手だ。駅のホームで、電車がやってくるまでの3分間でさえ耐えきれず、すぐにスマホを見てしまう。私はそれが嫌でSNS系アプリをスマホから消してみたけれど、電車が来るまでの3分間は相も変わらず死ぬほど長い。私がここで待ちぼうけている間に、何かどでかいバズが、有益な情報が、最新のニュースが、通り過ぎていってしまうかもしれない。そうしたら、待っていただけの3分間は、何もしなかった3分間になってしまう。1分1秒も無駄にできないなんて、そんな勤勉な人間ではないはずなのに、何もしないで待っている3分間はただただ長く、耐えがたい。

でも私は、今は、この通り過ぎる空白の3分間を、ただ待っていたいと思う。体は頭より理解が遅い。だけどきっとこの子は、私よりも賢い。目の前の事象を、受け入れるべきか、受け入れずに流すべきか、私(頭)よりは私(体)のほうがよく考えて吟味している。だから、ただ待っている。トマス・ピンチョンの短編集のタイトルが頭を横切る。『スロー・ラーナー』。こののろまな子を、私はもう少し信じてみたい。

スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)

スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)


運動の習慣をつければ心身ともに健康になると思っていた*1。人のせいにするわけじゃないけれど、だってみんなが口を揃えてそういうし。

が、私の場合は、「この不自由な檻(体)の中に閉じ込められている」という悲観的な気分が強まり、体のほうは確かに健康になった気がするけど、心のほうは「うーん?」という感じで、プラマイゼロであんまり変わってないな、という感想が正直なところである。だけど、これはよくいうところの「好転反応」というやつなのかもしれない。限界を知ったからこそ、真の限界をこえていける的な……?(ポジティブ) 

だからまあ、運動は続けるけども、「筋肉つければ心身ともに健康、無敵」みたいな話は絶対に嘘だと思う。人間の体は複雑じゃないが、そこまでシンプルでもない。ムキムキマッチョのブルース・リーの晩年の病みっぷり、思索への耽りっぷりを見れば、「筋肉さえつければ」なんて話があくまで「そういうケースもなくはない」程度の与太話だということがわかるだろう。

もしも運動に、筋トレに、何か効能があるとするならば、それは身体能力がアップすることや筋肉がつくこと、それ自体にあるのではない。学びの遅い者を、ただ「待つ」ことができるようになることだ。筋トレをすれば一時的に筋肉はつくかもしれないが、人間の体は必ずいつか衰える。毎朝ランニングをすればマラソンのタイムは縮まるかもしれないが、必ずいつかどんなに頑張っても超えられない壁にぶつかる。そういうときに、「待つ」こと、「諦める」こと、「いったん忘れる」こと、「保留する」こと、「祈る」こと。もしも運動から何か学べるものがあるとするならば、そっちだろう、と私は思う。

「待つ」も「諦める」も「いったん忘れる」も「保留する」も「祈る」も、全然かっこよくなんてなくて、どちらかというとダサくて孤独で仄暗い。やっぱり積極的なほうがかっこいい。これらはすべて消極的な行為だ。

でも、けっこう大切なことのような気もする。だから私は、もう少し頑張る。

*1:ただし、私がもともと健康すぎるというのは認める。めったに風邪を引かないし、体調を崩さない。体が頑丈なことだけが取り柄だ。もともとの心身に不調が多い人は、やっぱり運動は効果があるのかも。

天皇にパチンコ玉、奥崎謙三を追う『ゆきゆきて、神軍』

先日、渋谷アップリンクにて原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』を鑑賞してきたので感想文を書く。実は初見だったのだけど、脳が沸騰するくらい面白かった。上映後には原監督と映画史研究家の春日太一さんのトークショーがあり、そこで原監督が「これ、30年前の映画だけど全然古くないでしょ?」とおっしゃっていて、「はい、全然古くありません!」と思った。

感想を書くからにはもちろんブログを読んでくれた人に鑑賞を勧めたいのだけど、連日満席らしいのでチケット取りづらいかもしれません。

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たったひとりの「神軍平等兵」奥崎謙三

そんな『ゆきゆきて、神軍』とは、アナーキスト奥崎謙三を追ったドキュメンタリー。マイケル・ムーアマーティン・スコセッシも絶賛しているらしく、日本のドキュメンタリー映画を代表する傑作であるといわれている。

問題はこの映画の主人公である奥崎謙三という人なのだけど、彼は言葉を選んでいえば「昨今なかなかお目にかかれない過激な人」だ。言葉を選ばずにいえば「狂人」かもしれない。天皇がバルコニーにいるときを狙ってパチンコ玉を撃ったという「昭和天皇パチンコ狙撃事件」、ポルノ写真に天皇の写真をコラージュしたものを銀座と渋谷と新宿のデパートの屋上からばらまいたという「皇室ポルノビラ事件」などを起こしており、いずれも逮捕されている。「田中角栄を殺す」という宣伝文句がでかでかと書かれた街宣車に乗り、『宇宙人の聖書!?』なる本を自費出版している。一言ではなかなか言い尽くせない人なのである。


ゆきゆきて、神軍』は、そんなふうにして「神軍平等兵」を自称し、自らの活動を進める奥崎謙三を追うのだけど、焦点が当てられるのは彼自身がかつて所属していたウェクワ残留隊の部下射殺事件。戦中パプアニューギニアに赴任していた部隊が、止むに止まれず人肉食を行なったというのだけど、帰国した元隊員たちは口を開かない。そこで奥崎謙三が遺族を連れ、元隊員たちの自宅を訪問しながら、ときに暴力を振るいつつ証言を力ずくで引き出していく。『ゆきゆきて、神軍』は一応〈反戦映画〉の括りに入れられなくもないと思うのだけど、何しろ奥崎謙三が過激すぎるので、「戦争とは」「人肉食とは」「正義とは」なんてことを考えている暇はなく、とにかくグイグイグイグイ映画の世界に引きずられ、観終わったあとは心身ともにぐったり。常識も理解も、何もかもを超えてしまうのだ。

最後のほうのシーンで、奥崎謙三が「私は戦争を許しません。そしてそのことを暴力によって追及し続けます」みたいなことをいう場面がある。暴力を暴力によって追及するというのは、明らかな矛盾だ。映画のテーマがブレるので、このシーンを入れるか入れないかで原監督と編集の鍋島惇さんは揉めたらしいのだけど、原監督たっての希望によりこのシーンはカットされなかったという。

映画のテーマはブレるかもしれない。だけど、「その主張は矛盾しているのではないか」なんて奥崎謙三に突っ込むことは、こちら側がナンセンスなんじゃないかと思わされてしまうくらい、奥崎さんの思想は周囲を圧倒するパワーがある。パワーがあるから何なんだよといってしまえばそれまでだけど、とにかく圧倒的ではある。このパワーは、ぜひ映画を鑑賞して体験していただきたいと思う。もちろん、決して快いものではないけれど。

奥崎さんの性の目覚め……? 幻のパプアニューギニア

ゆきゆきて、神軍』は、とにかく情報量が多すぎる。薄い部分がないんじゃないかというくらい、作品すべてがすべてにわたって全部濃い(ブログにあらすじを書くだけで疲れる映画なんてそうそうない)。だけど、上映後に行なわれた原監督のトークショーで、私は疲れた脳を癒す間もなくますます混乱させられてしまった。

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左が原監督、右は春日太一さん

まずは、奥崎謙三という人物の「何ともいえなさ」である。暴力を振るうし、とにかく過激な人なので、個人的に関わり合いたいと思う人はレアだろう。私も、故人ではあるが、生きておられてもあまり奥崎さんと個人的に親しくなりたくはない。

しかしそんな奥崎さん、映画ではあたかも「(殴るけど)論理的に元隊員を追及する人物」として描かれている。ところが原監督によると、実際は「私は天皇にパチンコ玉を撃った!」等々の自慢話がめちゃ多く、カメラを向けるとバシッとキメる俳優肌の部分も持ち合わせている。最初は協力的に付き合っていた遺族もそんな奥崎さんにあきれてしまったのか、後半はだんだん奥崎さんの単独行動になっていってしまう。「暴力は振るうし、過激ではあるけれど、純粋で人間的には魅力的な人物」なのかと思っていたら、「暴力は振るうし、過激な上、狡猾で人間的にも問題のある人物」だった。やっぱり、個人的に関わり合いたくはない。

だけど、原監督が奥崎さんについて語るところを見ていると、「ムカつくしノイローゼになるし何度も撮影をやめようと思ったけど、それでも心のどこかで奥崎さんのことがちょっとだけ好きだった」というのが伝わってきて、しかもその気持ちがちょっとだけわかるので、何ともいえない気分になった。人は人のどこに惹かれるのだろう。容姿でもお金でも性格でも人格でも思想でもない。たとえそれらがすべて破綻していたとしても、人を惹きつける人というのはいる。トラブルが続いて撮影をやめようかという話になったとき、スタッフの一人が「でも、そんな奥崎さんだから、映画にしたいと思ったんじゃないんですか?」という旨の発言をして思いとどまったというエピソードを監督の口から聞いて、じわっと来るものがあった。

それから、本作には「幻のパプアニューギニア編」があったという。奥崎謙三が西ニューギニアの集落を訪れるドキュメンタリーだったらしいのだけど、インドネシア情報省によりフィルムを没収され、今日まで陽の目を見ていない。獄中生活が長く禁欲主義でいなければならなかった奥崎さんが、インドネシアのホテルでマッサージをしてもらった人とふと情事におよび、それを原監督に告白してきたというのだけど……悲劇なのか喜劇なのかわからない。幻のパプアニューギニア編についてまで書いているといよいよ長くなるのでここらで終わりにするけれど、悲劇の本質は喜劇であり、喜劇の本質は悲劇なのかもしれない。

ゆきゆきて、神軍』はDVDも出ているので、気になった人は観てみてほしい。脳が沸騰してすごく疲れるので。

ゆきゆきて、神軍 [DVD]

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