チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

30歳女が観る"デキちゃった"映画『イレイザーヘッド』

このブログを書いている人は現在30歳の女性であるが、しかし実際の中身はオッサン……ではなく、ガリガリに痩せている病的にナイーブな16歳の少年である。そう、ちょうどガス・ヴァン・サントの映画に出てくるみたいなね。毎日ストリートでスケボーしてるし。もしくはやっぱり、『ライ麦畑』のホールデン・コールフィールドくんやね。



……と、いうのはもちろん冗談だけど、先日アップリンクデヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』を久しぶりに鑑賞してきた。前に観たのは学生のときだったから、およそ10年ぶりの再会ということになる。学生のときからずっとそうだけど、私はリンチの映画はたぶんこの『イレイザーヘッド』がいちばん好きだと思う。


イレイザーヘッド デジタル・リマスター版 [DVD]

イレイザーヘッド デジタル・リマスター版 [DVD]


物語のあらすじは簡単だ。イレイザーヘッド、つまり主人公の「消しゴム頭」ヘンリーはしがない町の印刷工。しかしまだまだ若いヘンリーくん、なんと恋人を妊娠させてしまう。彼女に泣かれ、彼女の両親には「結婚して責任をとれ」と迫られ、「俺の人生、終わった……」という心の声と同時に、彼は悪夢を見るようになる。


家族が集まる食卓にはピクピク動いて血を流す丸焼きチキン、生まれてきたのは奇形の赤ん坊、ラジエーターの中の女性シンガー、隣人の女性の誘惑、皮膚病の謎の男。

天国ではすべてが上手く行く。天国では何でも手に入る。あなたのよろこびも私のよろこびも、天国では何もかもいい気持ち


──ラジエーターの中の女性シンガーはそう歌うけど、つまり、この世では何もかも上手く行かないし、何も手に入らないし、あなたのよろこびも私のよろこびも、この世においては何もかもが不快で気に入らねえってことだ。


www.youtube.com


10年ぶりに改めて観ても、私はこの映画の世界観がやっぱりめちゃくちゃ好きだった。


でも、これを素直に「好き」と言えるのは私の中の16歳のスケボー少年のほうで、もう1人の30歳女性のほうは、久々に観てちょっと首を傾げてしまっているところもある。実際、これを観て怒る女性は少なくないと思う(というか、奇形の赤ん坊が出てくる映画なので、妊婦さんや幼い子供がいる人は観てはいけない)。ヘンリーくん、君はのんきに悪夢を見ていられるかもしれないけど、女の人はこういう状況に陥ったら悪夢を見る暇すらなく、本当に本当に大変なんだよ!


まあ、突然ガールフレンドを妊娠させてしまって「やっべ」と思う気持ちは1人の人間として理解できなくはないのだけど、ちょっと自分勝手だし、「ごちゃごちゃ言い訳してねえでテメエがやったことの始末はテメエでつけな!」と言いたくもなってくる。この消しゴム頭め。とにかく、「俺の人生、終わった……」が主題の映画なので、女の人は置いてきぼり、ポリティカル・コレクトネスという言葉の前ではおそらく即死の作品である(いろんな意味で)。


それを反映してか、この映画のレビューを書いているのは圧倒的に男性が多い(たぶん)。しかしだからこそ、女性の私も何か書かないとバランスが悪いような気がして、ある種の使命感から今これを書いているんだけど。

天国ではすべてが上手く行く。天国では何でも手に入る。あなたのよろこびも私のよろこびも、天国では何もかもいい気持ち

www.youtube.com

前述したように、『イレイザーヘッド』はひじょ〜に未熟で自分勝手なクズ・消しゴム頭のヘンリーくんが主人公だし、どうしても”デキちゃった”という部分に目が行きがちな作品である。ただ私はやっぱり、16歳の少年としてはもちろんだけど、30歳の女性としても、改めて観たこの映画がちゃんと好きだということを強調しておきたい。


映画の中では「赤ん坊」という形態をとっているけれど、このグロテスクな生き物が象徴しているのは、もっと普遍的な「他者」だと私は思う。


永遠に続くかと思っていた愛すべき俺の日常。でも、その日常には様々な形でいつか必ず「他者」が侵入してくる。ヘンリーくんの場合はそれがガールフレンドの妊娠や生まれてきた赤ん坊だったわけだけど、受験だって就職だってはじめてのセックスだって、グロテスクなのは皆同じだ。他者はいつだって暴力的で、俺をめちゃめちゃにしてしまう。「いい気持ち」になんてなった試しがない。そうだっただろ?


まあだから言いたいことは、あまりこの作品を「アレは精子のメタファーだから……」みたく「男の映画ですから!」みたいな文脈で語らないでほしいし、女の人にもこの作品を怒らずに観てほしいってことなんだけど、それはただの私個人の願望だ。これを普遍的な解釈にしようなんて思ってない。


でもほんと、私はこの作品好きだな〜〜〜。今のところ具体的な予定はないけど、きっと妊娠してもお母さんになっても、私の中にはずっと病的にナイーブでこの世の何もかもが気に入らねえ16歳の少年が住み続けるし、『イレイザーヘッド』は死ぬまで好きだと思う。


だれか、この「サリンジャー病」を治す方法を知っている人がいたら教えてほしい。まあ、教えてもらったところで治さないけどね。自らの意志で。


あとアップリンクで売ってたこの本が読みたい! デヴィッド・リンチキース・ヘリングに影響をあたえた本だそうです。


アート・スピリット

アート・スピリット

書くことがない2.0

1.

実はこっそり、長年そのままにしていたブログのサブタイトルを変更していたことに気付いた人はいるだろうか。そんなわけで、とりあえず2018年の間は、このブログは毎週木曜日の22時に更新される。更新されなくなったときは私が死んだとき……くらいの覚悟でマジで木曜日の22時には本当に絶対に何があっても更新するつもりである。

f:id:aniram-czech:20180215172835p:plain

2.

なぜそんな課題を2018年に課したのかというと、書くことがなさすぎて、そうでもしないとこのままインターネットの電子の海の藻屑と化して消えてしまいそうだからである。別に私が消えても誰も困らないのでいいっちゃいいのだが(これは自虐ではない。現実の私が消えると困る人はいるかもしれないがネット上の「チェコ好き」が消えても誰も困らない)、とりあえず書くことがなくても電子の海から「チェコ好き」を消したくないという欲だけはあるみたいだ。

3.

ちなみになぜこんなに書くことがないと感じているのかというと、「炎上が怖い」ってのはわりと強固にある気がしている。私はちょっと無神経で共感能力に欠けるところがあるので、恋愛、人間関係、自己肯定感など個人のナイーブな内面に言及する話題にはもう触れない……と2017年の自分脳内会議で結論が下されたのだが、それ以外の話題でもどこかに潜んでいる地雷を不用意に踏んでしまう予感が拭えない。地雷がどこに埋まっているのかわからない中を1人で歩く、というのはそれだけでけっこう疲れるのだ。平たく言うと、昨年夏の私史上最大の大炎上を未だにけっこう引きずっている。


人の心の奥にすっと入っていくような、優しい文章が書ける人が羨ましい。私はそういうのはあまり得意じゃなくて、どちらかというと和やかなパーティーをみんなで楽しんでいるところに、突如赤ワインのボトルを柱に思いっきり叩きつけてブチ割る、みたいなプレイスタイルのほうが得意で好きだ。でも、今の世はちょっと私のプレイスタイルは流行らないかな、という空気をひしひしと感じる。


でもこういうのにはたぶんサイクルがあるので、数年後にまた「もう何もかも全部ぶっ壊してくれ!!!」みたいなニーズが各所で発生するんじゃないかと思っている。そのときは、赤ワインのボトルをキュッキュと磨きながら駆けつけられるといいなあ。

4.

というわけで、無難に最近興味があるものでも書いておく。最近の私が興味を抱いているのは、「南極探検とSF」。南極は別に北極とかアラスカでもいいんだけど、とりあえず極寒の地に興味があるし、行ってみたいと思う。それは、オーロラが見てみたいとかじゃなくて(オーロラも見たいか見たくないかで言ったらそりゃ見たいが)、「死」がどんなものか体験してみたい。南極って、寒すぎて、菌もウィルスもいないんだって。菌もウィルスもいないから、風邪を引かないんだって。それってすごくない? だから戦前の南極探検隊の人は、いつも凍傷か壊血病で死んだ。今はたぶん行っても死にはしないだろうけど、「ああ、このままここに1人で置き去りにされたら、私、死ぬんだなあ」って感覚を味わってみたい。そういう意味では、砂漠にも行きたい。


同じく興味があるのはSF小説だけど、なんだか、「いま、ここ」から遠く離れたものが今は好きみたいだ。今は、っていうか私は昔からわりとずっとそうだけど。SF小説はやっぱり思考実験として面白くて、「もしアレがアレでコレがコレになったらどうする?」をゴリゴリに追究するのが楽しい。


どうしたら愛されるかとか、どうしたら幸せになれるかとか、どうしたら人と上手くやれるかとか、どうしたら好きを仕事にできるかとか、そういうのは私もよくわからん。ただ、「南極、菌さえもいないのスゲエ」とは言える。私にはそんな「南極SUGOI情報」しか発信できないんだけど、まあそんな女性ライターが1人2人いたっていいよね。ということにしておく。

5.

今週はそんなかんじで、また来週……。

人の気持ちは変わってしまう

先月、いつかじっくりお話できたらいいな〜とずっと思っていた方と、ランチをご一緒する機会に恵まれた。

その方は、私がスコット・フィッツジェラルドの大ファンであることを知っていたので、「チェコ好きさんは、フィッツジェラルドのどこがそんなに好きなんですか?」と質問してくれた。


f:id:aniram-czech:20180129232532j:plain
※こちらの店内はそのときのお店ではありません、念のため*1


この手の質問に関しては、常時答えを100通りくらい用意しているのだけど(ほんとかよ)、さすがに100通りすべてをお伝えするわけにいかないし、その100通りもいざとなると出てこなかったりして、キョドキョドしながら「ひ、人の気持ちが変わってしまうってことを、丁寧に描いているからですかね……」みたいなことを言ってしまった。すると「人の気持ちの変化を描いている小説は他にもありますよね?」と言われ、「うん、確かに……笑」と考え直し、その場ではそれ以上言葉が出てこなかった。なので、当日の帰り道に考えていたことをちょっとだけ書く。



お正月に、神奈川県小田原市にある実家に帰った。


そのとき、いつもはあまりそういうことはしないのだけど、ちょっとした出来心で、高校時代の写真のアルバムを開いて見てしまった。修学旅行のときの写真とか、文化祭のときの写真とか、体育祭のときの写真とか、卒業式のときの写真とか、あとはなんでもない日常の写真とかがあって、そのすべてに、スクールライフをそこそこ楽しくやっていそうな、かつての自分が写っていた。


その中の一枚で、高校3年の文化祭のときの写真があったのだけど、私はこの一枚を、どのようなシチュエーションで、誰とどんな会話を交わしながら撮ったのか、奇妙なほどくっきり覚えている。それは文化祭の最終日の夕方だったんだけど、クラスメイトたちと一緒に、出店したうどん屋の片付け作業を進めているときに、突然ざーっと雨が降ってきたのだ。


私たちは雨を避けるために慌てて校舎の中に入ろうとしたんだけど、そのとき、当時クラスで中心的な存在だった「廣川くん*2」が、突如テンションが上がってしまったのか、「写真撮ろうよ!」と言い出して、校舎に入ろうとしていた私たちを呼んだ。呼ばれたので雨が降る中もどってきたら、「廣川くん」のテンションにだんだんとその場にいたみんなが感染してしまい、結局ほぼクラス全員のメンバーが集まってきて、いつのまにか先生に渡っていたカメラの前で、その一枚の写真を撮った。大粒の雨を避けるように、みんな半目だったり、その場にあったテキトーなものを頭に被せたりしていて、突然だったからピースもまともにできていなくて、そんな一枚になった。


今でも覚えているんだけど、雨の中にフラッシュの光が混じった直後、私は、「この写真、撮らなければよかった」と思った。でもそれはシャッターが下りた後だったからもう遅い。その一枚はきちんと複製されて私の手元に渡り、今もこうして実家に保管してある。


この写真、撮らなければよかった。うつらなきゃよかった。だって後で見返したら、きっと悲しくなってしまうでしょ!


私の高校3年の文化祭の最終日は、私の長い長い人生の中で、たった1日しかない。私たちの出していたうどん屋は解体されて跡形もなく消えてしまうし、雨はいつか止んでしまう。一瞬はすぐに次の一瞬に移り変わって、消えてなくなってしまう。


その儚い一瞬を、大事な瞬間を、写真にしたり言葉にしたりするのは、生きている昆虫を捕まえてピンで刺して息の根を止めるようで、私にとってはどうしようもなく苦しい。ピンで止めたら死んでしまう。その一瞬が過ぎたことを認めることになってしまう。大事な瞬間は、ただ私の記憶の中だけにあってほしい。あとでいくらでも美化されればいいし、あるいは忘れてしまってもいい。そして、できれば永遠になってほしい。


世間知らずの私は、どうやら自分がこの点においてけっこう少数派らしいことを、最近になって知った。大切な瞬間は大切だからこそ、きちんと写真や文章にして残しておきたいって人のほうが、世の中には多いみたいだ。私は、大切な一瞬こそ、それがすでに過ぎ去ったものであると認めると悲しくなってしまうから、できればあまり形に残したくない。でもこの考え、今まで共感してもらえた試しがない。



自分一人で考えたことや感じたことならいくらでも書けるんだけど、誰かと一緒に体験したことは、その誰かが自分にとって大切な人であればあるほど、上手く書けないし、書きたくないのだった。


f:id:aniram-czech:20180206165405j:plain



翻ってフェッツジェラルドの話にもどるけど、私はなんとなく、彼なら私のこの気持ちをわかってくれるんじゃないかなと勝手に思っている。あ〜〜でもな、そんなことないか。それはちょっとわかんないや。でもとにかく、フィッツジェラルドは、「過ぎ去る一瞬」をものすごく大切にしている作家だ。


これは、懐古趣味とは違う。私は同窓会の類は全部断る人間なので(同窓会のかほりがする結婚式も全部断る)、「昔話」には1ミリも興味がない。昔は良かったって話をしたいわけではなくて(昔なんかより今のほうが絶対にいい)、ただ一瞬一瞬が過ぎて、人の気持ちも、世の中の景色もどんどん変わっていってしまうことに、一種の切なさを覚える。この一瞬が永遠に続いてほしい。今日の後も今日がくればいいのにと、けっこう毎日まじで思う。


だから究極の理想は、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』みたいに、絶対に時が過ぎない永遠ループの世界で暮らすことなのかもしれない。まあ、そうなったらそうなったで悪夢だけど……。あとは、H・G・ウェルズの『タイムマシン (光文社古典新訳文庫)』に出てくるみたいな、「極限まで発展しきってしまったのでもうこれ以上の発展が1ミリも望めない世界」とか。いずれにしろディストピアではある。

余談

この妙なコンプレックス、今年はちょっと克服しようかなと思う。ただ別の方に「チェコさんはいけない女子」と言われてちょっと嬉しかったので(嬉しがるな)、やっぱり男女関係なく誰に対してもこのまま愛人路線を貫こうかなとも思う……。


とにかく、ずっとお話できたらいいなと思っていた人と、ちゃんと会えて良かったなと思ったのでした。

*1:イメージ図をはさみたくて……

*2:一応仮名

【読者寄稿】2年かけて西欧を旅してきたので、役に立った持ち物とか紹介する。

2年かけて、西欧を旅してきた。

出発当時の僕は20歳で、今は22歳になっている。今回は寄稿という形でこの場を借りて、僕が2年かけて旅をしてきた中で、持ってきてよかった! と思ったモノを7つと、あと記憶に残っている旅のエピソードなんかも、いくつか紹介させてもらおうと思う。

1.ノート、筆記用具

f:id:aniram-czech:20180201145635j:plain

最初に、今回の2年間の旅のルートを具体的に言うと、出発はロンドンだった。そこからドーバー海峡を船で渡って、フランスのカレーって街まで行く。それからパリに行って、リヨンからジュネーブを抜け、アルプスを越えてトリノに出た。トリノからジェノヴァフィレンツェシエナ、そしてローマまで行って、ナポリが終点だった。このルートを、1つの街にだいたい2〜3ヶ月滞在して、2年かけてまわった。


なぜこのルートだったのかというと、正直、父親に勧められたからっていうのが大きい。僕の父も同じく20歳前後のとき、今回の僕とほぼ同じルートで旅に出たのだそうだ。そういえば、僕の友達で1人、このルートにさらに追加してベルリンやウィーンまで行っていたヤツもいたんだけど、僕はこの旅の話をしたときに、父親にそっちのルートは必要ないって言われたから行かなかった。ベルリンやウィーンの宿屋や道路は劣悪だし、何よりパリやフィレンツェやローマに比べると、あのあたりは文化的には二流だと思う。だから必要ない。


持っていって良かったなと思うものは、1つ目は定番だけどノートと筆記用具。何に使うかっていうと、もちろん現地で見聞きしたことを記録しておくため。僕はあまり字が綺麗なほうじゃないんだけど、それでも3日に1回は日記みたいなものを書いていたから、2年経った今ではけっこうな量になった。ここに記録してあることはすべて、大切な、僕の旅の思い出だ。

2.パスポート、ヴィザ、健康証明書などの書類*1

f:id:aniram-czech:20180201005713j:plain

フランス、サルデーニャ王国トスカーナ大公国ローマ教皇領、シチリア王国……今回の旅はたくさんの国のヴィザを取得しないといけなくて、準備がすごく大変だった。


書類で忘れちゃいけないのが健康証明書だ。特にヴェネチア共和国の検疫所はめちゃくちゃ厳しいから、健康証明書に加えて、ヴェネチアの前に立ち寄った都市で本人が健康であることを証明するサインをもらわないといけない。これを忘れると、検疫所が管理する施設に三週間くらい放り込まれることになるから、ヴェネチアに立ち寄る予定がある人は絶対に注意してほしい。


なんでヴェネチアがこんなに厳しいかっていうと、東方貿易の拠点がここにあるから。香辛料、絹、真珠、染料なんかに混じって、アジアからコレラやペストの菌が西欧に入ってくることがたまにある。だから、海外からこの地にたどり着いた外国人や物資は、念入りにチェックされるってわけ。毎年どこかしかでペスト流行ってるし、僕も旅をしているとき健康管理には気を付けてた。


あとは、金・銀・銅の硬貨をジャラジャラ持っていると大変だから、銀行から為替手形を発行してもらうと良い。それから、僕は父親に紹介状を書いてもらって、現地の侯爵や銀行家に旅行中の衣食住の面倒を見てもらったりしていた。紹介状も、旅の道具としてはマストだろう。

3.常備薬

f:id:aniram-czech:20180201012606j:plain

次は常備薬だけど、これはもちろん、人によって差が出るところ。僕は船酔いするほうだから、ドーバー海峡は酔い止めがないと絶対に無理! と思って、薬を持っていった。


他は、酢を1瓶、ブランデーを1瓶、アルクビュザード水(硫酸、酢、アルコール、砂糖水などの混合液)、ペルーの香油、塩化アンモニアの小瓶、鎮痛剤の小瓶、オーデコロンとか。これらを木箱に入れて持って行った。


ちなみに僕の旅には、家庭教師の先生が1人と、召使が1人同行してくれて、3人で2年間移動していました。荷物は召使か現地で雇った人が持つから自分で持つ必要はないんだけど、それでもできるだけコンパクトにしていたつもり。

4.乾燥させた動物の膀胱

f:id:aniram-czech:20180201015029j:plain

乾燥させた動物の膀胱。何に使うかっていうと、傷口に包帯を巻きたいときの代わりとか。あとはやっぱり、旅行中に羽を伸ばして、いろいろ体験してみたいと思ったんだよね。ていうか、僕の父親も若い頃やったことだし、むしろ旅行中のそれを奨励してるムードすらある。女性のことが何もわからないなんてダサイし、紳士になるための通過儀礼ってヤツじゃないかな。


一応、なるべく売春婦と女優と歌手とは遊ぶなって父親に言われた。病気が移る可能性が高いからね。遊ぶなら由緒正しい伯爵夫人にしとけって。お互い本気になると大変だから、人妻と遊ぶくらいが手頃でいいと僕も思う。まあ、やるなと言われるとやりたくなるもので、売春婦とも何度か遊んだけどね。幸い、この「乾燥させた動物の膀胱」を毎回使っていたからか、病気にはなってない。


あ、付け加えておくけど、今回の僕の旅の持ち物は、『一七九三年の旅行者心得』ってガイドブックの内容とけっこうかぶっている。僕は帰国した後に読んだんだけど、この冊子、めちゃくちゃ役に立つからオススメです。旅に出る前に読みたかったな。

5.折りたたみ式の鉄のベッド

f:id:aniram-czech:20180201150554j:plain

宿屋のベッドって、僕レベルの人間が泊まるところですら、ノミとダニと南京虫だらけでちょっと寝られたもんじゃない。だから、家から折りたたみ式の鉄のベッドを持って行く。マットレスも持っていくし、枕も、ベッドシーツも持って行ったよ。まあ、持つのは僕じゃなくて召使だけど。


僕がいちばん長く滞在したのはパリだったんだけど、パリにいるときももちろん、この鉄のベッドで寝起きしていた。朝遅くに起きて、裁判所や廃兵院を見て、昼食をとって、芝居小屋に行って、そのあと飲み屋で同じ境遇の仲間とどんちゃん騒ぎ。ちなみに、パリってすごく美しい都市なんだけど、なんか臭うんだよね。どこも馬車が通っていてガラガラうるさいし、肉とか魚が腐ってゴミが散乱してる。もう一度行きたいかって聞かれたら、NOかも。

6.馬車

f:id:aniram-czech:20180201023254p:plain

馬車。これは、我らが祖国イギリスのものを旅行でも使いたい派と、現地調達すればいいじゃん派で分かれると思うんだけど、僕は後者。やっぱり、イギリス製のベルリーナ・タイプの四輪馬車はエレガントで軽くて最高だけど、僕はドーバー海峡を渡った先のカレーで中古の馬車を買って、フランスにいる間はずっとそれを使っていた。馬車ではアルプスは越えられないから、フランスを出るときに一度売り払って、ジェノヴァに行ったときにまた中古のやつを買い直した。


中古の馬車の乗り心地はあまり良いとは思えなかったけど、フランスの道路もここ最近でだいぶ改善されたみたい。座席に詰め物をいっぱいして、あとはクッションもたくさん用意しておいたほうが良い。そうしないとお尻が痛くなっちゃう。

7.ピストル

f:id:aniram-czech:20180201023433j:plain


僕が思う旅の必需品、最後はピストル。これがないと何かあったとき命を守ることができないから、絶対に必要。幸い僕は一度も使うことがなかったんだけど、だからといって持っていかなくてもいいって理由にはならない。父の知り合いで、カレーからパリに行くまでの道中、馬車が盗賊に襲われて、現金も指輪も時計もすべて盗られた上に一行まるごと皆殺しにされたって人がいる。彼らはピストルも鉄砲も持っていなかったんだそうだ。


直接襲われはしなかったけど、パリからリヨンに向かう途中、オルレアンの森を抜けるときはやっぱりちょっと不気味だった。オルレアンの森って追い剥ぎが出ることで有名なんだけど、この追い剥ぎ、捕まって裁判にかけられた後、立木に吊るし首にされるんだよね。馬車でガラガラ走ってて、ちょっと外の景色でも見ようかなと思って周囲に目をやったら、2〜3人が木にぷらーんとぶら下がっているわけ*2


f:id:aniram-czech:20180201154455j:plain


このオルレアンの森って、怖いからできるだけ通りたくないんだけど、それでもどうしても通らないといけないルートだったりする。かなり危険な場所なので、従者ともども、行く人は絶対に武装していってほしい。

        • -

最後に。親としては、僕にこの旅を通して、フランス語やイタリア語を身につけさせたり、芸術の審美眼を養わせたり、コミュニケーションのスキルを上げて国際人として通用する人物になって欲しいっていう願いがあったみたいだ。でも、実際に2年旅してみて、僕の中でそれらが培われたかっていうと微妙かも(笑)。


それでも、パリでどんちゃん騒ぎしつつもセンスを磨いて最先端のファッションに身をつつんだり、各地でいろんな売春婦や貴婦人と遊んだりしたのはやっぱり楽しかったし、あとは真面目な話、ローマやナポリでの光の輝きの美しさにはけっこう感動した。あの太陽の光のきらめきは、僕たちの街・ロンドンではちょっとお目にかかれないと思う。


何にせよ、貴重な体験をさせてくれた父に感謝している。僕も息子が生まれたら、僕が旅したのとほぼ同じルートを旅させて、国際人としての教養を養わせたい。


楽しいことだけじゃなく、無駄なことも、怖かったことも、危険なこともたくさんあったけど、それらすべてが、今の僕を作っているんだって思う。

まとめ(ブログ管理人よりコメント)

というわけで今回は、2年間かけて現在のフランス・イタリアにあたる地域へ「グランド・ツアー(大周遊旅行)」に出かけ帰国したばかりの、1767年ロンドン生まれの貴族のおぼっちゃま、ヘンリー・ハズリット氏より読者寄稿をいただきました。18世紀の英国では、20歳前後の貴族の若様が、大学へ行く代わりにフランスとイタリアを旅するのが流行りだったみたいです。みなさんも、ヘンリーぼっちゃんの旅の持ち物、ぜひぜひ参考にしてみてくださいね。


ところでヘンリーぼっちゃん、いつもブログ読んでますって言ってくれてるんですが、どうやって読んでるんだろう? まあいっか。寄稿ありがとう!

参考文献

グランド・ツアー―英国貴族の放蕩修学旅行 (中公文庫)

グランド・ツアー―英国貴族の放蕩修学旅行 (中公文庫)

イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)

イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)

イタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)

イタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)

イタリア紀行 下 (岩波文庫 赤 406-1)

イタリア紀行 下 (岩波文庫 赤 406-1)

滞欧日記 (河出文庫)

滞欧日記 (河出文庫)

TRANSIT(トランジット)17号  美しきイタリアへ時空旅行 (講談社 Mook(J))

TRANSIT(トランジット)17号 美しきイタリアへ時空旅行 (講談社 Mook(J))

※この記事の内容は、資料をもとにできる限り当時の様子をリアルに再現しようと頑張りましたが、もちろんすべてフィクションです。歴史に関する記述ミスなどはお手柔らかにご指摘いただけると嬉しいです。※

【感想】『サピエンス全史』×『銃・病原菌・鉄』

1月上旬に『銃・病原菌・鉄(上・下)』を再読して、その上で勢いあまって『サピエンス全史(上・下)』も読み、これらが超〜〜面白かったので以下、要約と私なりの感想を書きます。『サピエンス全史』を中心に、合間に少し『銃・病原菌・鉄』の話をしています。

人種差別のパンドラの箱

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福


『サピエンス全史』は、およそ250万年前、東アフリカでアウストラロピテクス属という猿人が進化し、「人類」が姿を現したところから話が始まっている*1。250万年前の「人類」は、尖った棒などの、いわゆる「道具」をすでに製造・使用していたらしい。


彼らは徐々に東アフリカを離れ、北アフリカ、ヨーロッパ、アジアなどの広い範囲に進出していく。そして進出したアウストラロピテクスはそれぞれの土地の気候に合わせ、ネアンデルタール人ホモ・エレクトス、ホモ・ソロエンシスなどの種に進化していく。ただし、時が進んで100万年前までになっても、人類はせいぜい尖った石器くらいしか製造することができず、植物や昆虫や小さな動物を食料として捕らえ、大型の肉食獣に怯えながら生活をしていた。


人類が「火」を使用できるようになったのは、だいたい30万年前のことらしい。しかしそれから15万年前までになっても、人類はまだまだ取るに足らない生き物で、それぞれの大陸でほそぼそと暮らしていた程度に過ぎなかったという。


話がややこしくなってくるのは、およそ7万年前だ。このとき東アフリカの人類は、アラビア半島ユーラシア大陸に進出するが、進出先にはすでに他の人類が定住していた。そしてこのとき、それぞれの人類に何が起きたかについて、「交雑説」「交代説」の2つの説があり、長い間、論争が続いていたという。


「交雑説」は、東アフリカのサピエンスがユーラシア大陸などに進出したとき、すでにそこに住んでいたネアンデルタール人ホモ・エレクトスなどと交雑し子孫を残したという説である。対する「交代説」は、東アフリカのサピエンスが他の大陸に進出したとき、すでにそこに住んでいた他の人類と交雑せず、皆殺しにし彼らすべてに取って代わったという説である。そして、この「交雑説」と「交代説」、どちらをとるかによっては、人種差別のパンドラの箱を開けることになりかねないと『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは述べる。


「交代説」が正しければ、今生きている人類はすべて同じサピエンスの子孫であり、無視できる程度にしか遺伝子コードの違いを持っていない。しかし「交雑説」が正しければ、アフリカ人とヨーロッパ人とアジア人の間には、遺伝子的な違いがあることになってしまう。最近までは「交代説」のほうが堅固な考古学的裏付けがあるのでこちらの説がとられることが多かったらしいが(そのほうが穏便だし)、2010年、中東とヨーロッパの現代人の一部にネアンデルタール人のDNAが入っていることが立証されたらしい。とはいえ、「交代説」も間違っていたわけではなく、ネアンデルタール人のDNAが入っているといってもそれはほんのわずかしかゲノムに影響を与えていない……という。しかし、このデータを持って人種差別的な方向に話を持っていくことはいくらでも可能な気がするので、なんというか、おっかない話ではある。

原因不明の認知革命

東アフリカのサピエンスが他の大陸の人類を一掃し始めた頃、約7万年前から3万年前にかけて、彼らは舟、ランプ、弓矢、針などを発明している。およそ250万年前からこの時点までの人類が、尖った石の棒を持ってウホウホしているに過ぎなかったことを考えると、数万年の間にいろいろ発明しすぎだろと思う。約7万年前のサピエンスに何が起きたのか、なぜこの短期間の間に急速な発展を遂げたのかについては、なんと、「まだわかんない」らしい……。とりあえず、この時期のサピエンスが新しい思考と意思疎通の方法を獲得したことを、「認知革命」という。


新しい思考と意思疎通の方法とは、具体的にいうと「言語」の獲得である。ちなみにジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』において、なぜこの時期の人類が言語を獲得できたかについて、「人類の喉頭が発話可能な構造になったから……かなぁ?」みたいに書いている。


「認知革命」以前の人類は、簡単な合図を出して意思疎通することはできても、噂話をしたり、虚構を信じたり、物語を語ったりすることはできなかった。しかし革命以後の人類は、宗教とか、貨幣の価値とか、神話とか、そういったものを集団で信じることができるようになった。人類の大躍進を可能にしたのは、このような言語能力を獲得できたことが大きかったらしい。

農業革命の罠 ←個人的にいちばん面白いとこ

『サピエンス全史』によると、人類によって最初に飼いならされた動物は「犬」だという。時期でいうと、1万5000年前には人類が犬を飼育していた証拠が見つかっているらしい。死んだ犬は、人間が死んだときと同じように、丁寧に埋葬された。そして、人類が「農業」を発明したのは、それよりも後のことである。具体的にいうと、紀元前9500〜8500年頃の時期だという。


農業が発明される以前の人類は、基本的には数十平方キロメートルから数百平方キロメートルの生活領域を行ったり来たりしながら、狩猟採集生活を送っていた。日本でいうと、東京23区内から出てない感じ……? と考えると、けっこう広いような狭いような。もちろん、ときおり自然災害や人口の負荷などの原因によって、縄張りの外へ出ていくこともあった。


いちばん驚きなのは、これはすでに他のいろいろな本で言われていることでもあるけれど、「狩猟採集民より農耕民のほうが、豊かで安定した生活を送ることができる」という考えは大きな誤りだということである。現代の私たちの平均的な労働時間が1日8時間×5日で週に40時間だとして、狩猟採集民が狩りや採集などに励むのは、もっとも過酷な地域に住んでいる場合でも週に35〜45時間くらいだったという。つまり、生きる糧を得るために頑張る時間は、なんと狩猟採集民の時代から現代までほとんど変化していない。こ、こんなにテクノロジーを発展させたのに!? ていうか、週40時間労働なんてそこそこホワイトだし、ブラック企業やアジア・アフリカの発展途上の地域で働いている人たちのことを考えると、むしろ、労働時間、増えてる。がーん。壮大なブラック・ジョークみたいだ。


それに、古代の狩猟採集民と農耕民の骨などを調べてみると、農耕民より狩猟採集民のほうがはるかに健康状態がいいらしい。狩猟採集民はたくさんの種類のバラエティに富んだ食物を口にしていたのに対し、近代以前の農耕民は小麦やジャガイモや稲など、ほとんど単一の食物からしか栄養を摂取することができなかった。もちろん狩猟採集民だって、災害などによって一時的に食物を獲得するのが困難になることはあるが、それは農耕民だって飢饉があるから同じだ。さらに、これは『銃・病原菌・鉄』にも書いてあったことだけど、天然痘や麻疹、結核など、多くの感染症は家畜由来であり、飼っていたのがせいぜい犬くらいだった狩猟採集時代は、こうした集団の感染症によって命を落とすことも少なかったという。


こうして考えるとデメリットしかないような気がする農業革命だけど、メリットももちろんある。子供の死亡率が低くなったこと、事故に逢っても医学などによってそう簡単に命を落とすことはなくなったこと、特定の集団で敵意を買い嘲りを受けた人間でも生きのびることが可能になったこと、そして何より、歳をとったり障害を負ったりした人間も生きられるようになったこと。今も狩猟採集民の時代とほとんど変わらない生活をしているアマゾンの先住民族「ヤノマミ」の社会には、障害者がいない。私たちの常識で考えると、これはやっぱり残酷である。


ヤノマミ (新潮文庫)

ヤノマミ (新潮文庫)


ただし当然ながら、最初に小麦やエンドウマメやトウモロコシの野生種を栽培化し始めた人類が、そこまで計算し尽くしていたはずがない。ユヴァル・ノア・ハラリは「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ」と刺激的な言葉でその様子を語っているけれど、小麦なんかよりそのへんになってる苺とか動物の肉のほうが絶対に美味しいし、確かになんでわざわざ栽培化なんてしたんだろ? と思う。健康に生きのびることができた個人にとっては、狩猟採集生活のままだって十分に豊かで幸せだったのだから。


人類が小麦等を栽培化してしまったのは、言ってみれば「偶然」なのだけど、最後の氷河期が終わって地球が温暖化に向かい始めた頃の気候が、中東の小麦やその他穀類にとって理想的な環境だったことが影響しているらしい。たぶん最初は、「なんかこれ、育てられるっぽい? 便利かも〜〜〜」くらいの軽いノリだったんだと思う*2


農業革命がある意味致命的だったのは、人類を定住によって土地に縛り付けたことで、女性の出産と出産の間の期間を短くすることが可能になったことだ(移動しながらの狩猟採集生活は3〜4年あけないと次の子供が産めない)。女性が毎年のように子供を産めるようになったので、人口は爆発的に増えた。そして、一度増えた人口を養うためには、もっともっと多くの畑で栽培を行わなければならなかった。こうなると、もう後には戻れない。1人1人の栄養状態を見ると狩猟採集時代よりも悪くなっているなんてことに気付く人間は、誰もいなかったのである。


「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる」とユヴァル・ノア・ハラリは言う。確かに、もう人類はインターネットやスマホがない時代には戻れない。一度前へ進んだら、後ろの扉は閉じてしまって、永遠に開かない鍵がかかっているのだ。

で、人類は幸せになったのか?

この後の『サピエンス全史』は、貨幣や宗教や帝国などの「共同幻想」についてページが割かれている。東京23区内くらいの面積の中で狩猟採集生活をしているぶんにはその土地の素朴な精霊を信仰していればよかったけれど、村を作り、社会を作り、遠く離れた地域の定住者を説得してさらなる拡大を目指すためには、多神教なり一神教なりの、より強い「神」が必要だった。宗教、貨幣、帝国といった共同幻想は、小さな社会と小さな社会を統合し、世界をさらなる統一へ向かわせるという目的のためには、確かになかなかたいした発明だった。紀元前1万年ごろには何千とあったはずの小さな社会は、紀元前2000年には数百程度、そして紀元後になるとさらにその数は減少していく。現代はインターネットなどによって地球の裏側で起きたことであってもリアルタイムで知ることができるし、世界はこのまま統一へ向かうことをやめないだろう。


で、ここで上がってくるのは、「人類は農耕や宗教や貨幣や帝国や科学によって、はたして幸せになったのか?」という問いである。


確かに、狩猟採集時代と、そのすぐ後の農耕社会、はたまた中世などを比べてしまうと、「いや、むしろ不幸になってますけど……?」という気がしてくる。人口が増えても1人1人の健康状態は悪化しているし、労働時間も長くなっているし、奴隷の身分などに生まれてしまったらたまったもんじゃない。しかし、たとえば戦後の社会、狩猟採集時代と「現代」を比べてみると、乳児の死亡率も下がっているし、1人1人に人権があって権利が保障されているし、冬は暖かく夏は涼しい場所で過ごすことができるし、そうそう飢え死になんてしないし、「お、ちょっと幸せになってる!?」って感じがする。しかし、ユヴァル・ノア・ハラリはあくまで、「話はそう単純じゃないっすよ」という姿勢を崩さない。


私たちは、物質的な豊かさが自分たちを幸福にすると信じている。ここ最近は「モノより体験だよね〜〜〜」なんて言説が流行ったりして徐々にその思想も薄れてきている気もするけれど、どっこい、まだまだまだまだ、私たちは物質的な豊かさこそが幸福をもたらすのだと強く強く信じていて、その域から脱出していないと個人的には思う。


ここ数十年、心理学者と生物学者は、「人を真に幸福にするものは何か?」を熱心に研究しているらしい。そして、それについて今のところわかっていることは、人を幸福にするのは「主観的厚生」であるということだ。他と比べて私はお金持ちとか、他と比べて私は頭がいいとか、他と比べて私はモテるとか、そういうことじゃない。ただ自分自身が、「私の人生はなかなか良いもんだ」と思えていればよろしい*3。……主観的厚生とは、どうやらそういうことのようである。


となると、狩猟採集時代と現代の社会に生きる人にそれぞれ、「あなたの人生ってけっこう良いもんだと思いますか?」ってアンケートをとったとして、はたしてYESの回答が多いのはどちらかと考えると、ちょっとわかんないなという気がしてくる。狩猟採集時代の人にアンケートとれないけど。


私たちは、毎日お風呂に入って服を着替えている。それが常識だと思っている。だけど、中世の人はお風呂になんてそうそう入らなかったし、服もあまり着替えなかった。だけど、悪臭なんか気にしなかった。なぜなら、「悪臭」という概念は、近代以降に「発見」されたからである。


だから、毎日お風呂に入って服が着替えられるようになって良かったね! なんて話にはならないのだ。だって昔はそもそもその必要がなかったのだから。


新版 においの歴史―嗅覚と社会的想像力

新版 においの歴史―嗅覚と社会的想像力

※……という話はこの本に書いてある。

まとめ

最終章には、ホモ・サピエンスは今後「超ホモ・サピエンス」になるんだぜ! みたいなことが書いてある。超ホモ・サピエンスとは、遺伝子改良や不死化、AIなどによって、つまりもうSFの世界の住人になっちゃうぜみたいなこと……(たぶん)。そしてその世界では、今価値があるとされているもの──お金や愛、憎しみ、男性と女性といった概念、そのすべてが意味を持たなくなるかもしれない、とユヴァル・ノア・ハラリは語る。


人類は、社会やテクノロジーをたえず進化させてきた。ただ、それは何のためだったのか? ということは、あんまり考えてこなかったのかもしれない。人類は神になれるかもしれないが、自分が何を望んでいるのかわからない神ほど怖ろしいものはない。というコメントで、『サピエンス全史』は終わっている。


以上、素人の要約なので間違っているところがあったらすみません! でも面白かった!

*1:『銃・病原菌・鉄』では人類の誕生は700万年前になっている。たぶん何を「人類」とするかの違い?

*2:宗教的な建造物を作るために定住を選ばざるを得ず、そのために農業が発達した説もあるみたいだけど

*3:となると、SNSなんてやってるとどうしたって人と自分を比べるので、やっぱこのツール全然幸せになれねぇじゃんかと思う