チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

DRESSに寄稿しました/telling,でのインタビューを公開してもらいました

私のブログ、サブタイトルが「※9月までお休みします」となっているのですが、あんたもう10月だよと。こうして再開っちゃ再開しているのですが、お知らせレベルにとどまっているので、久々に3000〜4000字くらいでがっつりブログを書きたいなあと思っているうちに、日々は、過ぎていくのでした……。


今週は2本、記事を公開してもらいました。1つめはDRESSさんに寄稿した、岡本かの子についてのコラム。


p-dress.jp


この特集は読者としてもめちゃくちゃ楽しく読ませてもらっていて、私が特に好きなのは伊藤野枝! 私が書いた岡本かの子もそうですが、人の目なんてものをまったく気にしない「強い女」が私は昔も今も好きですね。他にも、大橋鎭子宇野千代向田邦子草間彌生についてのコラムが公開されているようです。

私も、あなたも、わがままでいい。伊藤野枝が求めた自由 | DRESS [ドレス]


あと、上の記事内で「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけりという『老妓抄』の詩を引用しているのですが、それはこちらの短編集のもの。私は柄にもなく(?)この詩がとても好きで、寂しいだの孤独だのというけれど、それは忌避するようなものではない、それがあってこそ命は美しく華やぐのだよと、まじでそう思っています。


老妓抄 (新潮文庫)

老妓抄 (新潮文庫)


もう1つは、telling,さんで公開してもらったインタビュー。こちらは私の本に関する内容で取材していただいたのですが、テーマは「寂しさ」。


telling.asahi.com


このインタビューで私は「『寂しさ』を感じやすいか感じにくいかは、究極的には気質だ」という身も蓋もないことを言っているんですが、いや、本当にそう思うんだよね。寂しさを感じやすい人の中にはもしかしたら、自分が愛されていないから、認められていないから、一緒にいる人がいないから寂しいんだ→愛され、認められ、一緒にいてくれる人がいれば寂しくない! 愛されたい! 認められたい! と考えてヒリヒリした思いを募らせているケースが少なくないような気がするんだけど、私、別にそんなに人に愛されてないし、認められてもないし、一緒にいる人も特にいないけどそんなに寂しくないからね。だからこれはもう気質じゃないかと思うんだよね。持って生まれたもの。


愛されたいとか認められたいとかあんまり思ったことがない(いつも何を考えているのかというと、常にダラダラ「働きたくねえな〜」と思っている)私は、だから、そのヒリヒリした思いに真っ直ぐに届くようなことは書けないし、言えないのだけど。でも、その感性を持って生まれた人は、それはきっとあなたの想像力を豊かにし、他者を思いやり、優しさを育む源になっているはずだから、大切にしてほしいなと思います。私は私で、この気質を持って生まれたことによって、得したり損したりいろいろしている。


note.mu


これはnoteにも書いたんだけど、私は「いろいろな特性を持った人がいたほうがいい」という思想の持ち主。だから、寂しさを感じにくい私のようなタイプも、寂しさを感じやすいタイプも、たぶん社会にとっては両方、必要な感性です。どちらを持って生まれるかは運でしかないのだけど、せっかく当てたクジなんだから、自分の感性を大切にしたほうがいい。


今週は、そんな感じです。上の2記事、読んでもらえると嬉しいです。

11/20(水)B&B 三宅香帆×チェコ好き 「私たちが抱える“問い”の答えは全部本にある」イベントのお知らせと、雑記

タイトルのとおりですが、11/20(水)20時より、下北沢の本屋B&Bにて書評家の三宅香帆さんと本についておしゃべりします! 仕事終わりにふらっと寄ってもらえると嬉しいです。詳しくはB&Bさんのページにて……。


f:id:aniram-czech:20191017192526p:plain

三宅香帆×チェコ好き「私たちが抱える“問い”の答えは全部本にある」『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)刊行記念 | 本屋 B&B


三宅さんはデビュー作からヒットを飛ばしているミラクルすごい書評家さんなのだけど、本の読み方、本に求めるものなどが私たちは似ているなあと思うことがしばしばあります。こんなことをいうと三宅さんファンに怒られるかもしれないが、ちょっと皮肉っぽい、ひねたことを考えるところも……(笑)


だからじっくりお話できるのが本当に楽しみです。

以下、雑記


ところで、これはイベントと関係あるようなないような話なのですが、最近「世の中変わったなあ」と思うことが本当に多いです。詳しくはnoteにも書いたのだけど、

note.mu


5年前くらいだったら、私がここに書いていることって「はあ???」って感じだったんじゃないかと思うんです。いや、今でも十分「はあ???」と思われているかもしれないが、もっともっと「はあ???」だったというか……。


何が言いたいのかというと、5年前は、もっと自分を責める風潮が強かった気がするんだよね。私が悪い。私が変わらなきゃ。世のせい、人のせいにするのはダメな人間のやること。そういった風潮が、今よりももっと強かったと記憶している。


風向きが変わったのは、はっきりと言えるわけではないけれど私の肌感だと2018年の明けくらいかなあ。そのあたりから、「いや、これって本当に私が悪いのか?」「私だけが変わったって意味なくないか?」「おかしいのは私ではなくて社会構造のほうなのでは?」というような議論が、けっこう一般的になってきたように思う。


一方、私のほうはもう5年前から、いや高校生くらいから、ずーっと「私じゃなくて社会が悪いでしょ」というスタンスを貫いてきた。なので、今の世の中の様子を見て「ほら! やっぱりそうだったじゃん!」と思っている……とか言ったら、これはマウンティングになりますか?


冗談はさておき。とはいえ、会社のせい、上司のせい、社会のせいにして、文句ばかり言っていて自分は何もしない人──私は、そういう人になろうと言っているわけではもちろんない。正確に言うと、「文句ばっかり言う」まではOK。文句ばっかり言いながら、行動しよう、と思っている。行動とはもちろん、社会を変革する行動だ。


私は悪くない。だから、おかしいと思ったことは上司に言う、会社に訴える、社会を変える。当然ながら、明日からすぐに何か大きく変わるわけではない。少しずつ少しずつ、行動を積み重ねることによって、10年20年という年月をかけて社会を変えていく。私は、そういう「文句ばっかり言う人」になりたいな、と思う。


am-our.com

ところで『ブスの自信の持ち方』というタイトルから真っ先に連想されるのは、容姿についてコンプレックスを抱きがちな人は、メイクやおしゃれを頑張って自信をつけよう! みたいな内容ではないだろうか。もちろん、そういった行動が無駄なわけではない。だけど「ブス」と悪口を言われてしまう人がメイクやおしゃれを頑張る──〈自分を変える〉ことは、社会の中にある容姿差別を温存したまま、無抵抗に従うということでもある。本来変わらなくてはいけないのは〈私〉ではなく、誰かの容姿に対して何のためらいもなく「ブス」という言葉をぶつけてもいいと思っている、〈社会〉のほうではないだろうか。


上はAMの連載で書いたことなのだけど、もう本当に、年寄りかと思うほど同じ話をしているな私は……。容姿の話は一例だけど、自分があまり綺麗ではないことに悩んだら、メイクやおしゃれを無理して頑張るのではなく、綺麗ではない人でも堂々と生きられるように社会を変えるほうがいいと思いませんか? メイクやおしゃれが好きならやってもいいけど。


ここまで読んで、「社会なんてそうそう変わらないよ」と思う人がもしいたら、「いや変わるよ、事実ここまで変わった」と私はいろいろな例を持ち出して力説する。でも今の日本に生きている人で、それを言い出す人はあまりいないんじゃないかな。本にも書いたけど、政治家にならなくても、インフルエンサーにならなくても、1人1人の意識と行動で社会は変えられますからね。


そして、どういう社会に変えたいか? 変えるために何をすればいいのか? 
そのアイディアとヒントをくれるのは、私の場合はいつだって本なのです。



三宅さんの著書一覧

人生を狂わす名著50(ライツ社)

人生を狂わす名著50(ライツ社)

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

副作用あります!? 人生おたすけ処方本

副作用あります!? 人生おたすけ処方本

本が出ました/寄稿のお知らせ/目標から逆算する生き方が苦手(雑記)

お知らせしていたとおり、本が出ました〜。Twitterを見てくれている人にはとっくにお知らせ済ですが、そういえばブログは「ゲラの下読みをしてください」と言ったきりだった。


イトイ圭さんのかわいいイラストが目印です。黄色×ピンクなので、あらやだちょっと派手じゃないかしらと思っていたけど、本屋さんで陳列されているところを見てみたらわりと馴染んでいて、別にそんなことはなかった。素敵な装丁にしていただいてありがたい限りです。



それと同時に、DIGITALISTの連載も最終回が公開されている。間がめちゃくちゃ空いてしまったので、第1回と第2回のリンクも貼っておきます……。


project.nikkeibp.co.jp

第1回:「旅」とはいったい何なのか?──「世界の七不思議」から聖地巡礼まで - DIGITALIST|デジタリスト
第2回:
旅で教養は身につきますか?──哲学者たちが旅した18世紀のヨーロッパ - DIGITALIST|デジタリスト


あとSmartNewsのオウンドメディア「スマQ」でも、インタビューした記事が公開されている。マクルーハンの関連書籍について聞いてきました。私もこれを機に『メディア論』などを読んでみたりした。


q.smartnews.com

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論―人間の拡張の諸相


目標から逆算する生き方が苦手

お知らせもそこそこに、ここからは雑記である。


私は以前、アフリカの少数民族とかの写真を撮っているヨシダナギさんのトークイベントに行ったことがある。そのとき会場から、「ヨシダさんは、結婚やキャリアについて、どのように考えていますか?」という質問が出た(録音していたわけではないので正確ではない)。


ヨシダさんのその質問への回答が、なんと「考えたことありません。心がアフリカ人なので、良くも悪くも明日より先のことは考えられなくて」だったんですよね。もしかしたら質問した当の女性は拍子抜けしてしまっていたかもしれないが、私はヨシダさんの回答を聞いて「いや、そうだよな、それでいいよな」と思ったのでした。


これは今を生きる女性全員に推奨できる思想なんかでは全然ないのだけど、目標から逆算して生きなくても別にいいよなと、私はその場で思ったのです。「何歳までにこれをやる、結婚する、子供を産む」とかってやってると、それを達成できなかったときにしんどくなってしまうから。今日したいこと、明日したいこと、あとはせめて1ヶ月先にしたいことくらいまでを考えて、あとは行き当たりばったりでいいじゃねえかと。まあ、私も32歳とはいえまだまだ若い部類に入るのでこんな呑気なことを言っていられるのかもしれないが、私も「この先のキャリアプラン」などを聞かれた際には、堂々と「わかんないです」と言おうと思った。これから先もずっと、本を読んで、映画を観て、旅をして、文章を書いているとは思うけど、それ以外のことはわかんないです。


だけど、この考え方が向かない人がいることも当然、知っている。人は1人では生きることができなくて、精神的にも物理的にも何かしら外部に依存しているものだけど、私は幸か不幸か依存先を「生きている人間以外」にすることができたほうの人間だ。誰にも認めてもらえなくても、誰にも愛されなくても、読書や映画鑑賞をすれば登場人物と心を通わせられるし、南米に行ってイグアスの滝でも見ればその水しぶきやひらひら舞う蝶によって孤独を癒すことができる。こう書くとなんだかポエミーだけど、ようは「オタク気質」なのである。生きている人間、隣にいてくれる誰かと心を通わせられなくても、コンテンツがあれば生きられる。そして、「とにかく生きている人間と心を通わせたい、認められたい、愛されたい」と思っている人には信じ難いだろうが、私みたいなタイプの人間は決してマイノリティではなく、探せばけっこうそのへんにゴロゴロいる。さらにいうと、この性質はおそらく人生のかなり早い段階で決まってしまう先天的なもので、オタク気質の人間がそれを脱することはできないし、その逆もまた然りだ。


私は、やっぱり自分と同じタイプ、「依存先を人間以外にすることも可」な人への情報発信がいちばんやりやすい。「先のことなんか考えなくてもいいじゃん」と言えるのは、単純にバカだからってのもあるが、先のことなど考えなくても(金がかかるので旅はともかく)読書ができなくなったり文章を書けなくなったりすることはまあ確かにそんなにないからだ。本なんて図書館に行けばタダだし、青空文庫ダウンロードすればいいし、ブログやnoteは無料で書ける。極論、恋人にも友達にも全員去られて生活保護になっても、たぶんいちばん大切な心の潤いは失わずに済むと思う(それなりに絶望はするだろうが)。だから先のこと、本当にあんまり考えなくても大丈夫だと思っている。


でも、生きている人間に認められたい、愛されたいと思う人は、確かにそんなわけにはいかないよな。仕事で認められたいだろうし、結婚しないと不安だろうし、子供も欲しいだろうなと思う。そうすると、やっぱり目標から逆算する生き方をしたほうがいいんだろう。それが悪いとは全然思わない。こういうの、まじで、持って生まれた性質だから。あと、私みたいなタイプは有事の際(天変地異で大切な人がごっそり死んだとか、それこそ強制収容所にブッ込まれたとか)にめちゃくちゃ強いが、平常時はただのフラフラしてるアホなので、普通は生きている人間に依存するタイプの人のほうが強いのは言うまでもない。


自分と同じタイプへの情報発信だけしててもいいのかもしれないけど、なんとなく、自分と違うタイプの人がラクになる文章も書けるようになったらいいなと思っている。今はまだ、全然できてないけど。

f:id:aniram-czech:20190502220036j:plain
イグアスの滝

9月発売『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか』ゲラを読んでくださる書店員さんを募集中です!

ブログをお休みしていましたが、暑いので引き続きもう少しお休みしますが、お知らせです!

aniram-czech.hatenablog.com


9月に、大和出版さんより『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか』という本を出します。AMの書評連載を書籍化したものですが、書き下ろし部分が大幅にあります。書影はまだだけど、Amzonページもできております〜!


(これは自前の表紙イメージ↓)

f:id:aniram-czech:20190809154250j:plain


これまでは「チェコ好き」というハンドルネームで活動していましたが、身近なところではすでに「チェコさん」と呼ぶ人と「まりなさん」と呼ぶ人が混在しており、ややこしくてすまねえという気持ちになってきたのでこれを機に(?)本名での活動に徐々に切り替えていこうかと思います。しばらくは慣れないと思うので併記しますが。本当は、いつミステリー作家に転向してもいいように「清涼院流水」みたいなかっこいい名前にしようかなと思ったけど、思いつかなかったので諦めました。「清涼院さん」と呼ばれたかった。


そして発売にあたり、すでに数件お問い合わせをいただいているのですが、ゲラの先読みにご協力いただける書店員さんを募集しております。


その際、ご連絡は担当編集の北川さん(kitagawa@daiwashuppan.com)へメールか、もしくは大和出版アカウント(@daiwashuppan)までDMしていただけると助かります!



発売後にまたイベントの告知などもしていきたいと思っているので、ぜひぜひお会いしましょう。


最後に。このブログは2012年からやっていますが、7年も経つと私自身にも世の中にもいろいろな変化があり、良い意味でも悪い意味でも、なんだか複雑な、不思議な気分です。


一時期は、アフィリエイト系の人と混同されるのが嫌で、「ブロガー」と名乗ることを恥ずかしく思っていたこともありました。さらに、今はnoteの勢いがすごいので(悪口ではなく私も使っています)、やっぱり、「ブロガー」と名乗るのはどうなんだろうと思うこともないわけではありません。


だけど、私はもともと出版やウェブメディアの業界の近くにいた人間ってわけでもなく、あくまで「ただブログを書いていただけの人間」だということを、忘れないでいたいなあとは思うのです。今ではライターの友人も、編集者の友人も、小説家の友人もたくさんいるけれど、彼らに会えたのは、このブログがあったからだということを忘れないでいたいなあと思うのです。だから今後も、プロフィールや名刺には堂々と「ブロガー」って記載していこうと思っています。あ、記載はいつかなくなるかもしれないけど(なくなるのかよ)私の心はいつまでだってブロガーというか……。


まあ細かい話はいいや。「9月に地球に隕石が落ちてきて書籍どころの話じゃなくなったらどうしよう」と私はいまだに(真剣に)心配しているので、無事に出たらいいなと思っています。繰り返しますが、ゲラの先読みをしていただける書店員さん募集中です!

しばらく、ブログ更新お休みします。

毎週木曜日の22時に更新するというスタイルでここ1年半くらいこのブログをやってきたのですが、しばらくブログ更新をお休みします。再開は9月頃の予定。「書く意欲がない」とかではなく、まとまった執筆時間をとるためです。2012年からずっとブログをやってきて、初めての長いお休みです。


f:id:aniram-czech:20190704212256j:plain
(※これはアルゼンチン・ウシュアイアのオタリアちゃん)


なお、今週末の読書サミットにはもちろん予定通り登壇します。まだ席があるはずなので、この時間が空いている人はぜひ! ご参加ください。


Facebookページ
www.facebook.com

Peatixページ
tokyo-book-summit.peatix.com