ネットや雑誌でたまに見かける情報商材みたいなやつの広告は、眺めてみるとけっこう面白い。わりと適切に、世相を反映している気がする。
一昔前、それは札束風呂に美女と入浴しているおっさんであった。あれは情報商材というよりパワーストーン系だった気もするが、「いいよねえ、札束風呂に美女と入浴、ほんといいよねえ」と見ると感心してしまう。しかし、最近はさすがに札束風呂のおっさんは下品だしギラギラしすぎと思われるようになったのか、そういった広告もあまり見かけなくなった。
ここ最近は、そんな札束風呂のおっさんよりも、もう少しスマートな広告が流行っている気がする。この前見かけたやつは、「世界を旅しながらネットで稼いじゃおう」というやつであった。青い空、青い海、白い砂浜、絶景、MacBook、そして俺。いいよねえ、ほんといいよねえ。「おばちゃんが入ったら以降、そのカフェはおしゃれではなくなり、廃れる」なんてひどい話もあるけれど、情報商材に使われるようになったらそのイメージはもう末期だ。末期というか、もう少しマイルドにいえば、「人口に膾炙した」と表現すればいいのだろうか。
ステーキラーメン寿司付きセット、食べる?
「札束風呂に美女」でもいいし、「世界を旅しながらネットで稼いじゃおう」でもいいのだけど、基本的に、情報商材やパワーストーンに目が行くような人は、想像力がないのだと思う。
札束が嫌いな人はいないし、美女が嫌いな人もいない。旅行はたまに嫌いな人がいるけれど海外はだいたいの人の憧れだし、ネットで稼ぐのも(イメージだけでふわっと考えれば)ラクそうだ。半年くらい前に羽田空港で「ステーキラーメン寿司付きセット」なる超カロリー高そうなメニューを見かけたのだけど、ようは情報商材の世界はステーキラーメン寿司付きセットの世界なのだと思う。みんなが大好きなものをとりあえず全部突っ込みました、という方式。情報商材やパワーストーン系に感じるバカっぽさは、ステーキラーメン寿司付きセットを見たときに感じるバカっぽさと少し似ている。「おれのかんがえたさいきょうの食べ物」みたいになっているのだ。
ステーキとラーメンと寿司以外にも世の中には美味しいものがたっくさんあるけれど、想像力がなくて視野が狭いので、「さいきょうの食べ物」としてラーメンにステーキをのせて寿司を付けるくらいしか思い描けない。誰かが「美味しいよ〜」と出してくれたものに対して、疑いもなくとりあえず食らいつくくらいしか脳がない。
きつい書き方をしているが、これは私自身にも思い当たる節がアリアリである。さすがに「札束美女風呂」に入りたいとは思わないが、世界を旅しながらネットで稼いじゃおうは、ちょっと惹かれるものがある。旅行が好きだし、今現在、私も広い意味でいえば「ネットで稼いじゃおう」をやっている。だからこそ、この情報商材の広告を見つけたときはショックだったのだ。だって、「私のかんがえたさいきょうのワーク&ライフ」のイメージはもう末期だ、と宣告されたようなものだと思ったから。
おれのかんがえたさいきょうのワーク&ライフ
ステーキラーメン寿司付きセットを、美味しそうだと感じること自体は悪いことではないと思う。悪いことではないというか、人間として普通の、当たり前の思考回路だと思う。「最後の晩餐で食べたいものを考えろ」とたずねられたら、ステーキラーメン寿司付きセットを……いかないか。そこは、いかないか。でも、そこでステーキラーメン寿司付きセットを選ぶ人がいても、別におかしくはない。
だけど基本的に、自分と同じようなことを考えている人がいっぱいいたら、やばい。情報商材のイメージに使われるということは、「こういうのに憧れてる人がウン万人います」ということで、イメージはすでに飽和状態、氾濫しているといえる。私はいつも「人は自分オリジナルの願望なんて持てない。多かれ少なかれ他人の模倣になるのは構造上しょうがない」と口を酸っぱくして言っているが、さすがに情報商材まで行くと、それは自分が豊かで具体的な夢を思い描けていないことの証明になってしまう気がする。
……なんて思うのは、私がちょっと「自分内監査システム」を働かせすぎで、考えすぎなのかもしれないけど。おれのかんがえたさいきょうのワーク&ライフ、にならないように自分の欲望を微調整する必要性を感じて冷やっとした、という話だ。もし、「世界を旅しながら文章を書きたい」という夢を持っている方がいたら(私がまあまあそうなんだけど)、それがどこかで配られた無料ドーナツみたいにぐちゃぐちゃの砂糖にまみれていないかどうか、微に入り細に入りチェックしたほうがいいだろう。
夏なので、誰か一緒に冷やっとしてくれたらいいなと思い書きました。