チェコ好きの日記

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ロンドンひとり旅 あの絵この絵に出会う、ナショナル・ギャラリー!

2日連続でロンドンを出て、郊外の町へ日帰り旅行をしてみた前回、前々回。
ロンドンひとり旅 オックスフォードへ - チェコ好きの日記
ロンドンひとり旅 ストーンヘンジと、ローマ人の温泉 - チェコ好きの日記


翌日は再び、ロンドン市内の観光にもどりました。

初日、テート・ブリテンでミレイの大作『オフィーリア』を見ることに失敗した私ですが、ロンドンにはまだまだ、充実したコレクションを有する博物館・美術館がたくさんあります。


そのうちの1つが、この日の午前中に訪れた、ナショナル・ギャラリーです。
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展示品の総数2万点、世界最大の美術館の1つに数えられるナショナル・ギャラリー。
その建物自身も威厳に満ち溢れていて立派なものですが、その目の前に広がっている、トラファルガー広場もまた、ロンドンの名所中の名所といえます。毎日、たくさんの人がここを訪れています。

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まぶしい!

いろいろな国に旅行に行くとき、たいてい観光名所になっているので、多くの人々はその都市の「広場」を訪れることになると思います。ローマだったらスペイン広場があるし、パリだったらコンコルド広場がある。各都市の「広場」を見比べてみるのは、けっこう楽しいです。

でも、海外の都市を見ていてふと思うのは、我らが日本の首都、東京の都市のつくりかたって、ちょっと特殊じゃないか? ということです。ロンドンやパリに比べて、「東京」って都市は圧倒的に広いです。そして、東京には都市のシンボルというか、「中心」がない。東京タワーがシンボルか? 浅草寺か? とパラパラ思いつくものはあるけれど、どれも決定打に欠ける気がします。「中心」がなくて、そのまま横浜とかまでぶわわ~んと膨張している都市。東京という都市からは、そんな印象を受けます。

そこがおもしろいところでもあるんだけど、とにかく東京と、ヨーロッパの各都市は、まちづくりのコンセプトが決定的にちがう。じゃあ、お隣の韓国はどうなんだ? 中国は? 他のアジアの都市は? と考えていくと、また旅行がやめられなくなってしまう……。


と、「広場」の話題はこれくらいにしておいて、ナショナル・ギャラリーです。中に入ってから、まず手にしなければならないのは、もちろん内部の地図。
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青…13~15世紀の絵画 ボルドー…16世紀の絵画
オレンジ…17世紀の絵画 緑…18~20世紀初頭の絵画

これがないと、迷子になるので注意です。

時代別に部屋が分かれていて、西洋美術史的にはとってもわかりやすい展示の仕方ですね。教科書を片手にまわりたい気分です。

さて、肝心のコレクションにはどんなものがあるかというと、端的にいうと、「西洋美術史をちょっとでもかじったことのある人間なら、大感動するレベル」のものがそろっています。部屋を渡り歩くたびに、「わー!! あれがある!! ひえー!!!」と心の中で絶叫しておりました、私は。


たとえば、これです。ナショナル・ギャラリーでもおそらく1、2を争う人気絵画、ヤン・ファン・エイク
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『アモルフィーニの肖像』、こちらは、青のゾーンにあります。


私の好きなカラヴァッジョもありました。『エマオの晩餐』。
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カラヴァッジョは、文句をつけるようですが、やっぱりイタリアで観たほうが感動しますね。イタリアの、あのだらしない(※褒めてます)空気のなかで観るほうが、カッコイイです。オレンジのゾーンにあります。
破天荒、波瀾万丈の画家 カラヴァッジョ - チェコ好きの日記


予想に反して、心を動かされたのがこれです。モネの、『グラヌイエールの水浴』。
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モネってあまり興味のない画家だったのですが、この湖の光の反射のしかた、わかります? この水面の描き方は、正直驚きました。本物以上のリアルさです。本物の湖を見ても、たぶんこうは見えません。水面の揺れ方、光の動き方が、本物以上に、本物。橋の上の人間はぼんやり描かれていて、ちっともリアルじゃないのに、不思議なバランスの絵です。こ、これがモネか! と、しばらく固まりました。
緑のゾーンにあるので、訪れる機会のある人は、ぜひ。

★★★

ところで、ネットで検索すれば簡単に画像が手に入る時代に、わざわざ飛行機に乗ってまで、海外の美術館にホンモノの絵画を観に行く必要は、あるのでしょうか?

この疑問に関しては、これまでにもこのブログで何回か同じことをいっている気がしますが、「ある」といわざるを得ません。

理由の1つは、すごく単純な話で、ホンモノを観ると、「大きさ」が体感できるからです。
たとえば、ナショナル・ギャラリーにあった、ポール・セザンヌの『水浴の女たち』。
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この絵がですね、私の頭の中の絵よりも、実物は3倍くらい大きかったのです。

ネットで調べても、(130×195)なんていうように、サイズくらい調べられますが、実際にその大きさを目の当たりにしないと、これはなかなか実感としてわかりません。

「大きいことはいいことだ」なんていうつもりはないですが、「大きい絵」というのは、やはりそれだけで迫力があります。場を威圧する存在感があります。観る人を絵の中に、ぐっと引き込む力があります。

この威圧感というか、「オーラ」みたいなものは、ネットや本の画像では、決して味わえないものです。


とはいえ、ただ「大きさ」を確かめるだけでいいのなら、別にニセモノの絵だって、原寸大であれば問題ありません。実際、世界中の名画の「精巧に作られたレプリカ=ニセモノ」だけを一堂に集めた美術館なんてものが日本にはあり、私もいつか訪れてみたいと思っています。
大塚国際美術館 - Wikipedia


それでもなお、「ホンモノ」を観に行く必要性は、どこにあるのでしょうか?

私は、それは「作品と自分との間に、“つながり”を作る」ところにあると思っています。


精巧に作られたレプリカと、本物の絵画のちがいを見分けられる人なんて、おそらく世界にごくわずかしかいません。美術史をちょっとかじっている私だって、美術品の鑑定ができるほどの審美眼は持っていないので、ホンモノとニセモノ、2枚の絵を同時に出されたら、どちらが「ホンモノ」か、見分けがつく自信はありません。

しかし、「ホンモノ」の絵を観ることで、「私はホンモノを観た」、という事実を作ることができます。

「ホンモノ」を観たことがあると、ネットや本の中でふとその絵を見かけたとき、「あの日、あの時に観たやつだ!」とすぐにわかります。そしてその1枚は、他の絵画とはちがって、1枚だけ特別に、浮き立って見えます。「ホンモノ」を観た、たとえ一瞬でもその絵のある場所と同じ場所にいた、それだけで、その1枚はあなたにとって、特別な1枚になるのです。
もう赤の他人ではなくて、立派な“つながり”のある、友人になった、とでもいいましょうか。


自分にとっての特別な1枚がふえていく、というのは素敵な体験です。
世界と自分との接点がふえていく。生きているってスバラシイ~っと歌いだしたくなります(ちょっとちがう?)

だから当分やめられません、美術館めぐり。

★★★

さて、午前中にナショナル・ギャラリーを観終わった私、午後はどこへ出かけたかというと……

ロンドンに来たら、あの場所に行かないわけにはいきません。

というわけで、次回に続きます。
ロンドンひとり旅 ついに来た!大英博物館 - チェコ好きの日記