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チェコ好きの日記

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『5年後、メディアは稼げるか?』の時代に求められる、教養とは。

読書 思ったこと

「教養」という言葉は、私はあまり好きではありません。

辞書には一応それらしき定義はのっているけれど、人によってその意味するところが若干異なったりするので、非常に使いにくい言葉であるというのが理由の1つです。あと、インテリ野郎がメガネをクイクイしながら嫌味ったらしく使う言葉に聞こえるというのも、2つ目の理由としてあげておきましょう。

いつの時代も決して(表面上は)軽視されることはなかった「教養」ですが、先日読んだ『5年後、メディアは稼げるか』という本のなかに、これからの時代はますます「教養」というものが求められるようになるよ、という記述がありました。私はメディア関係の人間ではまったくありませんが、なかなか興味深かったので、今回は「教養」というものについて、考えをちょっとまとめてみようと思います。

5年後、メディアは稼げるか――Monetize or Die?

5年後、メディアは稼げるか――Monetize or Die?

「教養」が大切なのは、「なにが大事か」を見分けるため

上記の本のなかで、著者の佐々木さんは「教養」を「ジャーナリストに求められるもの」として大切だ、と説いています。理由は、「教養と企画力はほぼイコールだから」。

その人が出す企画には、その人の世界観がにじみ出ます。しかし「教養」がないと、なにが大事な情報なのか見分けることができず、うまい具合にキュレーションをすることができません。どのテーマを取り上げるべきか、だれに話を聞くべきか、どういう質問を投げかけるべきか。そういった部分で、センスを発揮することができなくなってしまうそうです。

「教養」が大切なのは、そのほうがちょっぴり楽しそうなため

冒頭で私は「教養」という言葉は好きじゃないといいましたが、言葉から連想するイメージにあまりいい印象を抱かないという話であって、「教養」らしきもの、つまりいろいろなものに対して豊富な知識や洞察力をもつこと自体は、とても大切なことだと捉えています。

なぜ大切かというと、「企画力が!」「生きる力が!」みたいなことももちろんあるのですが、一番の理由は、「教養があったほうが、人生がちょっぴり楽しそう」と思うからです。

『ぼくらの頭脳の鍛え方』という本のなかで、著者の1人である立花隆さんは、「教養」をこんなふうに定義しています。

「人間活動全般を含むこの世界の全体像についての幅の広い知識」(『東大生はバカになったか』文春文庫、一五一頁)。もうすこしくだいたいい方をすれば、こんないい方もできるでしょう。「その人の精神的自己形成に役立つすべてのもの」「現代社会を支えている諸理念の総体」。大ざっぱな定義ですが。

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

私が考える「教養」の定義は、これとはまたちがうものです。私が最近自分で気に入っている「教養」の定義は、「一見関係ないように見えるアレとコレとソレを、つなげられる能力」です。

世界の全体像についての幅の広い知識を持つことにはもちろん大切な意味があるのですが、持っているだけではそれはどうしようもありません。問題は、その幅の広い知識のなかから自分のお気に入りを引っ張り出して、つなげたり貼付けたり改造したりできるか、という部分にあると思うのです。そして、それがうまくできるようになると、ジャーナリストじゃなくても、編集者じゃなくても、個人として人生ちょっと楽しそうじゃないですか。

私は自分に「教養」があるかないかと問われたら、キッパリ「ない!」と答えます。が、それでも本をよく読んだり美術館に行ったりするのが好きなほうなので、「アレとコレとソレがうまくつなげられるとちょっと楽しい」ということに関しては、実感しているつもりです。

日常生活で感じていたモヤモヤが、ある日読んだ本のなかで、きれいさっぱり明快に説明されていることがあります。逆に、本で読んで「いまいちよくわからねーな」と思っていたことが、ある日出かけた旅先で、疲れて寝転がっているときにふと「そうか、あの本でいっていたのはこのことか」なんて閃いたりすることがあります。あるいはもっと単純に、「この本はあの本のあの部分と同じことをいってるんだな」ということに勝手に気付いたり。そういう体験を積み重ねていくのって、何の役にも立たなくても、ただ単純に、ちょっと楽しくないですか?

「一見関係ないように見えるアレとコレとソレをつなげる」には、もととなる「つなげられるパーツ」が必要です。持っているパーツの数が多ければ多いほど、その質が高ければ高いほど、ちょこちょこいじって改造したり、切ったり貼ったりつなげたりするのが、すんなりいく気がします。


情報過多の時代です。メディアに関係のない一般人も、独力でキュレーション能力をキュキュキュと磨いて、“個人の楽しみ”として、教養を高めてみるというのはどうでしょうか。そして、“個人の楽しみ”として磨いた他愛のない教養は、意外とマッチョに、人生の要所要所で自分や家族を救ったり、世の中を少しずつ良くしたりするものなんですよ。たぶん。