チェコ好きの日記

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『オトコのカラダはキモチいい』は腐女子のための本ではなくて

発売するやいなや早々に重版が決定したとのことで話題になっている、『オトコのカラダはキモチいい』という本を読みました。AV監督の二村ヒトシさん・文筆家の岡田育さん・腐女子文化の研究者である金田淳子さんの3名による共著です。

目次を見てみると、『これからの✳︎*1の話をしよう』『20歳のときに知っておきたかった「雄っぱい」のこと』など過激な内容が並んでいるのですが、タイトルからして過激なのでギャップは少ないというか、とりあえずだれかが間違って手に取ったりはしないと思うので大丈夫なはずです。今回は、こちらの本の感想文を書いていこうと思います。

楽しくて邪気がない本

まずは私自身がこの界隈にどのように接してきた人間なのかを説明したいのですが、自分が「やおい」という言葉を初めて聞いたのは、中学生のときでしたね。同じクラスの女子がいわゆる「やおい」「BL」といったジャンルに分類される漫画を読んでいてその単語を耳にしたわけですが、私自身はそういった漫画に描かれる”男同士の恋愛・性愛”に一切関心を持つことができなくて、当時は単語を聞き、「そういったジャンルがあるらしい」ということを認識するだけで終わってしまいました。

それから長らくこのジャンルの漫画は私の人生から姿を消すのですが、再会をはたしたのは大学3年生のときでした。大学で「やおい」「BL」を中心的に扱う講義があり、それを受講したからですね。その授業は本書でも触れられているような竹宮恵子の『風と木の詩』から始まり、「JUNE」、『キャプテン翼』、また週刊少年ジャンプについての言及があり、面白かったので私はそれなりに熱心にその講義を受けていました。なので、自分はなんというか「腐女子当事者ではないが、その界隈の基本的な知識と歴史を知っている」人間です。ただしもちろん、あくまで基礎的なレベルに留まっていることはいうまでもありません。池袋の乙女ロードには、フィールドワークとして出かけたことならあります。

風と木の詩 (第1巻) (白泉社文庫)

風と木の詩 (第1巻) (白泉社文庫)

自分は小学生から中学生の前半まで漫画家を目指していたくらいの漫画っ子だったのに加え、学校内でもいわゆるスクールカースト上位のモテ系女子だったわけでは決してありません。なので、「どうして私は腐女子にならなかったんだろう(なる要素は十分すぎるほどあったのに)」というのが今でも疑問なのですが、まあその話は別の機会にするとして、今回は置いておきましょう。本書は腐女子文化の研究者である金田淳子さん、cakesでの連載「喪女&ビッチ腐女子会」が面白い岡田育さん、AV監督の二村ヒトシさんによる鼎談ですが、腐女子たちが自らの妄想のなかで描いてきた「架空の男性のカラダ」と、痴女ものAVなどを撮り続けてきた二村さんが知る「現実の男性のカラダ」の構造が不思議な一致をはたしている部分が度々あり、このあたりはとても面白く読みました。「女性の身体は神秘的」とはよくいいますが、男性の身体も十分すぎるくらい神秘的。あくまでそれに目を向けているか、目を向けていないかのちがいなんだなあということを思いました。

恋愛や性に関する本やwebの連載は、著者の抱えている怒りや社会的な抑圧にアテられてしまい、もちろんすごく面白く読みはするのですが、読み終わったあとに「ああなんかもう疲れちゃったな、めんどくさくなっちゃったな」と感じることが私は度々あります。だけど、本書は鼎談というかたちが良かったのか、3名の著者の方が「性」をとてもポジティブに捉えているのが良かったのか、その「もう疲れちゃったな」が一切なく、始終笑いながら明るい気持ちで読み通すことができました。しかし「笑いながら」といっても、実は社会的に重要で大切なことが語られていることは間違いないありません。なので、内容はそれなりに過激ですが、わりと人を選ばずだれが読んでも面白い本なのではないかと思いました。

本書の最後のほうに、「✴︎ここにキミの妄想も書いてみよう!」という空白のページがあるのですが、私はこのページがすごく好きです。ここに楽しく自分の性の妄想を書き連ねることができる人は、きっと現実の世界でも明るく楽しく、ポジティブに生きていけることでしょう。逆に手が止まってしまった人は、もう少し自分のなかの何かを、「開発」して解放してあげたほうがいいのかもしれません……。

余談ですが、みなさんは何かよからぬことを妄想するとき、そこに自分が介入しているのか、それとも自分は「壁」になってしまい、神の視点から仲睦まじい2人(あるいは3人以上)を観察するのか、どちらですか。本書の妄想は主に「神の視点」から行なわれていたものが多かった気がするのですが、このあたりも考えてみると面白そうではあります。まあ自分の話はあんまりしたくないのですが、私は「神の視点」で何かを考えることってあまりなくて、それがやおい・BL文化に馴染めなかった1つの要因かもしれません。

腐女子のための本ではなくて

さて、本書は岡田育さん、金田淳子さんが腐女子の目線から「男性のカラダ」を語っている点が特徴的な面もあり、手に取るのは圧倒的に女性、それも腐女子文化に慣れ親しんでいる女性が多いのかなあと思います。しかし、本書を手に取ることで本当に救われるのは、腐女子の女性ではなく(彼女たちにとって本書の内容はある意味でわかりきっていることでしょうから)、「なんだかちょっと生きづらいなあと感じている男性」ではないかと私は思いました。

よくいわれることでは、「女性は仕事も恋愛も別枠で頑張らなきゃいけないから大変だね、生き辛いね」という話を聞くのですが、確かにそれはそれで一理あるのですが、物事には何においても良い面と悪い面がありますので、私は女性はある意味で「言い訳がきく」性だと思ってるんですね。私はこっちはダメだったけどこっちがある、ということもできるし、両方そこそこだからまあいっか、5と5を足して10ってことでいい? と開き直ることもできる(私はこの戦略をとって生きていますね)。だけど男性は、評価軸が1つしかなく、そこがダメだったらもう何も言い訳できない、みたいな辛さがあると思っていて、人には向き不向きというものがありますが、私は自分の性質として男性・女性どちらの性が生きやすいかといったら、圧倒的に女性ですね。人はどうしても生物学的な性によって自分のことを考えてしまいがちですが、それ以前にもともとの性格というか気質みたいなものがあって、本当に「向き不向きってもんがあるからねえ」と思います。

本書の最後で二村ヒトシさんは、「いまどきの男性の価値はアレの大きさ、つまり”モテ”とか”収入の額”とか”所属組織の大きさ”とか”リーダーシップ”で決まらない。次世代の男の価値を決めるのは、アレの大きさではなく感受性の豊かさだ」というようなことを書かれているのですが、この考え方によって救われる人はけっこういるんじゃないかな、と私も思います。この価値観を受け入れている男性は、今はまだごく一部であり前衛的な存在ですが、きっとこの考え方を受け入れられた人から次の世代は幸せになっていけるんだろうなとか。現実社会での価値観と、カラダの感受性というのは連動しています。

3名の著者の方の話が実にうまいので、私もついつい本書に感化されて「全男性が✳︎を開発すれば世界は平和になるのでは?」とか考えてしまったのですが、まあ物事はそう単純にはいかないでしょうが、とにかくそんなふうに思ってしまうほど楽しく平和な、しかし革新的な内容の本でした。

私としては本当に、男性に読んでほしい本です。本エントリを幸か不幸か開いてしまった男性の方は、騙されたと思って買ってください。

*1:振り仮名はふらないよ