チェコ好きの日記

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天皇にパチンコ玉、奥崎謙三を追う『ゆきゆきて、神軍』

先日、渋谷アップリンクにて原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』を鑑賞してきたので感想文を書く。実は初見だったのだけど、脳が沸騰するくらい面白かった。上映後には原監督と映画史研究家の春日太一さんのトークショーがあり、そこで原監督が「これ、30年前の映画だけど全然古くないでしょ?」とおっしゃっていて、「はい、全然古くありません!」と思った。

感想を書くからにはもちろんブログを読んでくれた人に鑑賞を勧めたいのだけど、連日満席らしいのでチケット取りづらいかもしれません。

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たったひとりの「神軍平等兵」奥崎謙三

そんな『ゆきゆきて、神軍』とは、アナーキスト奥崎謙三を追ったドキュメンタリー。マイケル・ムーアマーティン・スコセッシも絶賛しているらしく、日本のドキュメンタリー映画を代表する傑作であるといわれている。

問題はこの映画の主人公である奥崎謙三という人なのだけど、彼は言葉を選んでいえば「昨今なかなかお目にかかれない過激な人」だ。言葉を選ばずにいえば「狂人」かもしれない。天皇がバルコニーにいるときを狙ってパチンコ玉を撃ったという「昭和天皇パチンコ狙撃事件」、ポルノ写真に天皇の写真をコラージュしたものを銀座と渋谷と新宿のデパートの屋上からばらまいたという「皇室ポルノビラ事件」などを起こしており、いずれも逮捕されている。「田中角栄を殺す」という宣伝文句がでかでかと書かれた街宣車に乗り、『宇宙人の聖書!?』なる本を自費出版している。一言ではなかなか言い尽くせない人なのである。


ゆきゆきて、神軍』は、そんなふうにして「神軍平等兵」を自称し、自らの活動を進める奥崎謙三を追うのだけど、焦点が当てられるのは彼自身がかつて所属していたウェクワ残留隊の部下射殺事件。戦中パプアニューギニアに赴任していた部隊が、止むに止まれず人肉食を行なったというのだけど、帰国した元隊員たちは口を開かない。そこで奥崎謙三が遺族を連れ、元隊員たちの自宅を訪問しながら、ときに暴力を振るいつつ証言を力ずくで引き出していく。『ゆきゆきて、神軍』は一応〈反戦映画〉の括りに入れられなくもないと思うのだけど、何しろ奥崎謙三が過激すぎるので、「戦争とは」「人肉食とは」「正義とは」なんてことを考えている暇はなく、とにかくグイグイグイグイ映画の世界に引きずられ、観終わったあとは心身ともにぐったり。常識も理解も、何もかもを超えてしまうのだ。

最後のほうのシーンで、奥崎謙三が「私は戦争を許しません。そしてそのことを暴力によって追及し続けます」みたいなことをいう場面がある。暴力を暴力によって追及するというのは、明らかな矛盾だ。映画のテーマがブレるので、このシーンを入れるか入れないかで原監督と編集の鍋島惇さんは揉めたらしいのだけど、原監督たっての希望によりこのシーンはカットされなかったという。

映画のテーマはブレるかもしれない。だけど、「その主張は矛盾しているのではないか」なんて奥崎謙三に突っ込むことは、こちら側がナンセンスなんじゃないかと思わされてしまうくらい、奥崎さんの思想は周囲を圧倒するパワーがある。パワーがあるから何なんだよといってしまえばそれまでだけど、とにかく圧倒的ではある。このパワーは、ぜひ映画を鑑賞して体験していただきたいと思う。もちろん、決して快いものではないけれど。

奥崎さんの性の目覚め……? 幻のパプアニューギニア

ゆきゆきて、神軍』は、とにかく情報量が多すぎる。薄い部分がないんじゃないかというくらい、作品すべてがすべてにわたって全部濃い(ブログにあらすじを書くだけで疲れる映画なんてそうそうない)。だけど、上映後に行なわれた原監督のトークショーで、私は疲れた脳を癒す間もなくますます混乱させられてしまった。

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左が原監督、右は春日太一さん

まずは、奥崎謙三という人物の「何ともいえなさ」である。暴力を振るうし、とにかく過激な人なので、個人的に関わり合いたいと思う人はレアだろう。私も、故人ではあるが、生きておられてもあまり奥崎さんと個人的に親しくなりたくはない。

しかしそんな奥崎さん、映画ではあたかも「(殴るけど)論理的に元隊員を追及する人物」として描かれている。ところが原監督によると、実際は「私は天皇にパチンコ玉を撃った!」等々の自慢話がめちゃ多く、カメラを向けるとバシッとキメる俳優肌の部分も持ち合わせている。最初は協力的に付き合っていた遺族もそんな奥崎さんにあきれてしまったのか、後半はだんだん奥崎さんの単独行動になっていってしまう。「暴力は振るうし、過激ではあるけれど、純粋で人間的には魅力的な人物」なのかと思っていたら、「暴力は振るうし、過激な上、狡猾で人間的にも問題のある人物」だった。やっぱり、個人的に関わり合いたくはない。

だけど、原監督が奥崎さんについて語るところを見ていると、「ムカつくしノイローゼになるし何度も撮影をやめようと思ったけど、それでも心のどこかで奥崎さんのことがちょっとだけ好きだった」というのが伝わってきて、しかもその気持ちがちょっとだけわかるので、何ともいえない気分になった。人は人のどこに惹かれるのだろう。容姿でもお金でも性格でも人格でも思想でもない。たとえそれらがすべて破綻していたとしても、人を惹きつける人というのはいる。トラブルが続いて撮影をやめようかという話になったとき、スタッフの一人が「でも、そんな奥崎さんだから、映画にしたいと思ったんじゃないんですか?」という旨の発言をして思いとどまったというエピソードを監督の口から聞いて、じわっと来るものがあった。

それから、本作には「幻のパプアニューギニア編」があったという。奥崎謙三が西ニューギニアの集落を訪れるドキュメンタリーだったらしいのだけど、インドネシア情報省によりフィルムを没収され、今日まで陽の目を見ていない。獄中生活が長く禁欲主義でいなければならなかった奥崎さんが、インドネシアのホテルでマッサージをしてもらった人とふと情事におよび、それを原監督に告白してきたというのだけど……悲劇なのか喜劇なのかわからない。幻のパプアニューギニア編についてまで書いているといよいよ長くなるのでここらで終わりにするけれど、悲劇の本質は喜劇であり、喜劇の本質は悲劇なのかもしれない。

ゆきゆきて、神軍』はDVDも出ているので、気になった人は観てみてほしい。脳が沸騰してすごく疲れるので。

ゆきゆきて、神軍 [DVD]

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