チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

【文章なし】写真で振り返る中東旅行

長々長々と書いてきた中東の旅行記(そう、私は旅行記を書くといつも長い)ですが、最後に思い出深い写真をいくつか貼っておこうと思います。ブログおよびnote未公開写真です。

以下より先は文章ないので、「いつもコイツの話なげぇーんだよな」という方でも安心して先にお進みください。

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aniram-czech.hatenablog.com

〈無計画〉のすばらしさと難しさ/『家族無計画』感想文

紫原明子さんが最近上梓された、『家族無計画』という本を読みました。

家族無計画

家族無計画

どんな内容かというと、実業家の家入一真さんと離婚された紫原さんが、その後の家庭生活のことや離婚前のことなどを綴ったエッセイです。cakesでその一部を読むこともできます。

cakes.mu

ご家族についてのエッセイなので、お子さんを持ったファミリー向けなのかと一瞬思うんですけれども、これは子供がいない夫婦や、独身女性、独身男性であっても、どんな人にとっても興味深く読める本になっている気がします。

というわけで今回は、この『家族無計画』についての感想文を書こうと思います。

〈無計画〉のすばらしさ

前述したとおりこの本は、著者の紫原さんがご自身の家庭について書いているものです。だけど、家庭生活について悩んでいる人だけでなく、働き方について考えたい人であったり、恋愛に悩んでいる人であったりが読んでも、示唆に富む内容になっていると思います。それは、紫原さんがキャバクラに潜入するエピソードがあったり、紫原さんご自身の現在の働き方について、言及しているところがあるからかもしれません。

だけど、メインとなっているのはやはり「家族の話」ではあるので、なぜ「家族の話」を書いているのに「家族の話」以外にも考えが及ぶのか、その原理がこの感想文を書いている今でも私はあまり解明できていません。いったいなぜでしょう。もしかしたら、文章の懐が深いので、読み手のほうで自由に各エピソードを解釈でき、書いてあることを「自分の物語」として読み直すことができるからかもしれません。つまり、このエッセイを内容通り「家族についてのエッセイ」だと読む人もいれば、「恋愛やパートナーについてのエッセイ」だと読む人もいるし、「女性のキャリアや働き方についてのエッセイ」だと読む人もいるのではないかということです。ちなみに私はというと、これは「これからの社会のあり方についてのエッセイ」だとして、読んでしまいました。

紫原さんの場合は、元旦那さまの経歴からして少し(だいぶ?)特殊なケースではあるのかもしれませんが、今の社会ではもう、このエッセイに書かれている「離婚」はそれほど珍しい話ではなくなっています。だけど、シングルマザーとして子育てをしていくための制度は未だにあんまり整っていなくて、やっぱりどこかで「お父さんとお母さんと子供」という家族のあり方を無意識のうちに前提としている社会になっているように私には思えます。

だけど、それは「お母さんと子供」という家庭にとって息苦しいだけでなく、子供がいない夫婦にとっても息苦しいし、独身にとっても息苦しい社会です。このエッセイ内で紫原さんは「お母さんと子供」という家庭のあり方を全力で肯定しているように思うのですが、それが遠回しに、子供のいない夫婦や独身として生涯を過ごす人、あるいはそれ以外の少し珍しい形の家族(ゲイのカップルが養子をもらって、パパが2人いる家庭とか)まで、すべてを肯定しているように読めるから不思議です。

家族についてだけではなく、現在の社会はやっぱり「正社員」として働く人を無意識のうちに前提としている社会になっているように思いますが、紫原さんの現在の働き方についての描写を読むと、やはりそこも遠回しに、いろいろなお金の稼ぎ方を肯定しているように読めます。フリーランスでもいいし、働かなくてもいいし、働いたり働かなかったりを交互にやってもいいし、非正規でもプロブロガーでもなんでもいい。「大人になったら正社員になって、お父さんかお母さんになって、子供を育てる」という従来のやり方、計画的な人生の歩み方でなくてもいいんだよーといっているエッセイだと、私は読んでしまったわけです。

〈無計画〉の難しさ

だけど、このように自由な家族のあり方、個人の自由な働き方をもっともっと社会が認めていくべきだと考える一方で、これってなかなか難しい面を孕んでいるようにも私は思うのです。なぜかというと、自分が思っている以上に、「自分で自分の幸せを規定する」ってけっこう頭を使うし、簡単には考えられない問題だからです。

たとえば、直近の話で無理やりつなげると、イギリスがEUから離脱するというニュースが最近話題になっていますよね。しかし、離脱という国民投票の結果を十分に受け入れられず、投票のやり直しを求める署名が350万人を超える勢いで集まっているとか、離脱が決定した直後に「EUって何?」と検索していた人がいっぱいいたとか、離脱に投票したことを後悔している人がいるとか、そんな話も耳にします。これらは決して対岸の火事ではなく、「自分で知識を持って、情報を収集して、自分の理想とする社会を規定して、それに近付くような選択肢を選んで実行する」ということがいかに難しいかを、物語っている出来事のように私は思うのです。人間はどんな人であっても、状況によってはやっぱり雰囲気やまわりのムードに流されてしまうし、知識不足から十分に考えることができなかったりもします。

そういう意味では、お偉いお上が勝手に「残留します」と決めてくれたり、社会が勝手に「これが幸せです。この通りにやっていれば9割方まちがえません」と規定してくれていたほうが、まだラクだなんて考え方もできると思うんですよね。自分で考えることはときにめんどくさいし、何より自分で考えたことには自分で責任を持たないといけません。「みんながやれっていうからやったのに!」「上が勝手に決めた!」と後からブーブー文句垂れてるほうがラクだという人も私はけっこういると思うし、私自身がそうでないともいえません。

しかし、国民投票の話はともかく、時代を逆行することは基本的には不可能です。今はまだ従来の社会の名残があるように思いますが、これからどんどん、自分で考えて、自分で決めて、その決断に責任を持たなくてはいけない社会になっていくでしょう。それは今よりも多くの人にとって幸せな社会であると私は信じているけれど、自由であるが故の困難さというのも、同時に自覚していなければならないように思います。

〈無計画〉であることはとてもすばらしいけれど、同時にちょっと難しい。いろいろなあり方を肯定することは多くの人の幸せにつながるけれど、自分で自分の幸せを規定できない人にとってはちょっとつらい。あちらを立てればこちらが立たずという話なのかもしれませんが、すべてはトレードオフなのです。

なんにせよ、この本の内容が様々な人にとって示唆を与えてくれることは変わりないと思います。今後の社会のあり方を考えていく上で、自分の幸せのあり方を考えていく上で、手にとってみてはどうでしょうか。

家族無計画

家族無計画

ウリドキニュース他、外部媒体寄稿、インタビュー記事など

最近、外部媒体に寄稿・インタビューしてもらった記事たちです。公開から1ヶ月くらい経っているものもありますが、Twitter上などで見逃しているものがあったら、この機会にぜひ目を通してみてもらえると嬉しいです。

ウリドキニュース

uridoki.net

こちらは公開したての記事です。昔SOLOでしていた「パリに行く女、パリに行かない女」の話に近いかも。世の中に〈できない〉ことって実はあんまりなくて、それは自分が〈できない〉と思い込んでいるだけだったりします。

……と、いうは易し行なうは難しなのですが、「いつかできたらいいな」と思って先延ばし先延ばしにしていると、どんどんそれをやるためのコストは高くなってしまうので、とっとと手を付けて夢をぶっ壊しましょうという話をしています。ちなみに私は意識が低いので、まだ30歳にもなっていないのですが、人生でやりたかったことのメインはほとんどやってしまったのでちょっと困っています。今は、次に何をして遊ぼうかなと画策しているところです。

ウリドキニュースさんは、私以外のブロガーだと、日野瑛太郎さんの記事なども読めますよ!

AM

am-our.com

斬新な恋愛記事でお馴染みのAMには、桜井亜美さんの小説について寄稿しました。桜井亜美さん、私と同世代でも男性はあまりご存知ないかもしれません。しかし、女性であれば中高生時代を思い出して何か思うところがあるはず……。

最初の数行でさらっと私自身の黒歴史を暴露しているので、見逃している方はぜひ読んでみてください。

ノマド的節約術

nomad-saving.com

こちらはインタビューしていただいた記事。トークイベントなどでお話する機会はこれまでも何回かありましたが、インタビュー記事ってこれが初めてかもしれません。お金の使い方、お金に対する考え方などの話をしています。

上記の記事とは直接関係ないですが、最近以下の本が少し気になっています。しかし、自分で読むのがちょっとダルイ。だれか読んで上手いこと書評でまとめてくれないかなという下心満載でリンクを貼っておきます。インタビューで偉そうに「私は物欲がない」という話をしているんですが、それが時代性によるものなのか、私自身の特質なのか、自分自身でいまいちわからないんですよね。こんな私ですが、もしバブル時代に20代後半だったら意外と物をどさどさ買っていたかもしれませんしね。

物欲なき世界

物欲なき世界

欲望に忠実に

AMだけちょっと毛色が異なりますが、ウリドキニュースさん、ノマド的節約術さんで語っていることの本質は、「自分の欲望に忠実に生きよう。たとえそれが他人に、世間に受け入れられないものだったとしても」ということです。

どれもブログとはちょっとちがう雰囲気の話をしているので、目を通してもらえたら嬉しいです!

【中東旅行記/最後】オーパーツを見逃したアテネ

旅行記の続きです。今回分で、一応旅行記が終わりです。前回分はこちら。

aniram-czech.hatenablog.com

といっても、メインのつもりで想定していたイスラエルを出た後に訪れたギリシャアテネは、私のなかでは完全な「おまけ」という位置付け。ギリシャギリシャでずっと行ってみたいと思っていたところだったのですが、まさかこんなテキトウなかんじで準備せずに行くことになるとは思っていませんでした。ギリシャアテネよりもサントリーニ島とかシミ島とかのほうが魅力的な気がするので、もし次回機会があったらそういった「島」を船や飛行機で渡り歩いたあとトルコまで行こうかななどと考えます。

アンティキティラ島の機械を見逃した

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アテネ考古学博物館

というグダグダなかんじで訪れたアテネだったのですが、とりあえず考古学博物館に行こうと思って初日に行きました。しかし、何も本を読んだり調べたりしてこなかったので、昔美術史や世界史でやった古代ギリシャのわずかな知識をもとに頑張って英語のキャプションを読んで理解するという始末。

それで、帰ってきたあとに判明したのですが、なんとこの考古学博物館に世界で唯一の本物のオーパーツといわれる「アンティキティラ島の機械」があったんですね。知らなかった。これ何かというと、古代ギリシャ時代のコンピューターで、紀元前150〜100年に作られたとされています。たくさんの歯車が内蔵された作りらしく、月の運行などを計算するために用いられたとか。

謎なのは、ここまで高度な機械が作られていたのに古代文書にその記述が一切ないこと、そして類似するような他の機械がまったくないということです。発明者はアルキメデスじゃないかといわれているそうですが、古代ギリシャでは、この高度な機械を隠蔽しなければならない理由が何かあったのでしょうか。1900年に漁師たちが海底から偶然発見したそうなんですが、その発見がなかったら今こうした研究もなされていないわけで、つまりまだまだ歴史は覆るし我々が起源だと考えているものは変化するんですね。夢のある話です。


※これも帰ってきたあとのニュース

翌日は、パルテノン神殿を見に行くなどしました。

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そして最終日は、モナスティラキの蚤の市などを見学。ミニマリストが来たら気絶して死ぬんじゃないかと思うくらい、ガラク……用途不明のものがたくさん売っていました。

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おしまい

というわけで旅行記はこれで終わりなのですが、今回はnoteでリアルタイム旅行記を書いてしまったぶん、それをもう1回書き直すというのは正直けっこう微妙でしたね。だけど、帰ってきたあとにいろいろな発見があったのもまた本当です。

旅の製図法|チェコ好き|note


私が今回の旅行でいちばん記憶に残っているのは、イスラエル最終日、テルアビブのベングリオン空港に到着したときのこと。

そのとき、私は疲れていたのか何の変哲もないただの電車に酔ってしまい、ぼったくりみたいな値段のオレンジジュースを飲みながら空港のベンチで息も絶え絶え、休憩していたのです。

するとその隣に、ユダヤ人の女性が4人、わ〜っと集まってきました。年齢はたぶん私と同じ20代後半くらいで、なかにはベビーカーを引いているお母さんも。なぜ彼女たちがユダヤ人とわかったかというと、みんな頭髪を隠す帽子みたいなやつをかぶっていたからです。帽子みたいなやつは、イスラエルのユダヤ人女性に特徴的な格好です。

彼女たちが話す言葉は当然ながらヘブライ語なので、いくら隣にいてももちろんさっぱりわかりません。……はずだったのですが、ヘブライ語を一切理解しない私が、彼女たちの会話がどのような内容であるのか、だいたいわかってしまったのです。

「えー、めっちゃ久しぶりなんだけどー!」「元気〜!?」「これ息子くん?」「かわいい〜!!」
「どこ行く?」「駅出るとー、向こうに知ってるご飯屋さんあってー」「じゃあそこ行こうよ」
「ねえ最近何してるの?」「息子くん嫌いなものある?」

久々に会ったっぽい20代後半らしき女性4人組、そのテンション、声のトーン、などなどから、言葉なんて知らなくてもだいたい何を話しているかわかる。

イスラエルに住んでいて、帽子をかぶっているということは、おそらく彼女たちはそこそこ正統派のユダヤ教徒だと思うのです。そして女性も徴兵されるイスラエルなので、当然彼女たちは、軍人として勤めた経験もあるのだろうと思います。宗教も、育った環境も、見てきた景色も、私と彼女たちはまったくちがうはず。それなのに、友達と再会したときのリアクションはほぼ同じなのです。

わきゃわきゃと騒ぐユダヤ女性4人組の隣で、「まあ、人間なんてどこもそんなもんなんだよな」と、私は疲労で薄れていく意識のなか、思ったのでした。

というわけで、私の「旅行記」はここで終了です。

しかし、私の意識のなかでは、日本に帰ってきたくらいで旅は終わりません。「あのとき見た”アレ”は何だったんだろう?」と、本を読んで映画を観てニュースを見て考える、今度は「そっちの旅」が始まります。国内にいるか国外にいるかというちがいだけで、私のなかではずっとずっと旅行しています。旅行記はここで終わりですが、今後も書評やらなんやらのなかに、旅の話はひょこひょこ入ると思います。

1492年、スペインを追われたユダヤ人「セファルディ」は、もう二度ともどることのない故郷をあとにして、モロッコへ、欧州へ、各地に散りました。あとは、ポール・ボウルズが書いた『シェルタリング・スカイ』の主人公夫婦も、もう二度ともどらないものとしてニューヨークを去り、モロッコにやってきました。

〈故郷を失う〉こと、それは物理的に失う場合もあるし心理的に失う場合もあるのですが、私はもうしばらく、それってどういうことなんだろうなーと考えてみたいと思います。

「あまりにも遠くに行き過ぎたため、もはや帰還が不可能になった旅行者」はボウルズの作品のなかで繰り返し描かれるモチーフですが、私が憧れるのはいつだって、そんなちょっと「人にはいえない」旅行なのです。

★参考文献★

奇界紀行

奇界紀行

部屋にピエロを飾ろう シリアルキラー展

コレクションの始まりは、私たちと同じ「些細な興味」だったと語る、HN氏。

だれかに見せるためでも、周囲に自慢するためでもなく、ただ孤独に蒐集をしてきたというその禁断のコレクションを、7/10まで、銀座のヴァニラ画廊にて公開してくれています。今回は、このヴァニラ画廊で開催されている「シリアルキラー展」の感想です。

http://www.vanilla-gallery.com/img/archives/2016/20160609ab/title.jpg
ヴァニラ画廊 -Vanilla Gallery -より

シリアルキラーたち

シリアルキラー」とは、連続殺人などを行なった犯罪者に対して使う言葉です。シリアルキラー展では、このシリアルキラーたちが、獄中とかで描いた作品を一挙に公開しています。

チラシになっているピエロの絵を描いたのは、1994年に死刑になったジョン・ウェイン・ゲイシー。33人もの少年に性的虐待を加え、惨殺した殺人鬼です。他にも、ロマン・ポランスキー監督の夫人を殺害しカルト宗教の教祖となったチャールズ・ミルズ・マンソン、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士のモデルになったといわれている、1000人以上の殺害を自供したヘンリー・リー・ルーカスらの絵がありました。1000人を殺害って、日本だとちょっと考えられない規模ですね。

にわかには信じがたい犯罪を犯したシリアルキラーたちは、いったいどんな絵を描くのか。それは、社会のルールに則って生きている(ということにしてある)私たちが描く絵とちがうのか、ちがうとしたらどのようにちがうのか、あるいは同じなのか。謎のコレクター(?)HN氏が「些細な興味」から作品の蒐集を始めたように、私を含めたお客さんたちも、「些細な興味」からこの展示を観に行くのだと思います。

この展示のメインになっているジョン・ゲイシーのピエロの絵は、確かに不気味です。でもそれは、ゲイシーの画力や心の歪みがそうさせているというよりは、ただ単にピエロそのものが不気味だからなー、という身も蓋もないことを私は正直思いました。他のシリアルキラーたちの絵も、凄惨で残酷です。人間の骨を釜でぐつぐつ煮ているようなやつとか、鎖に繋がれ監禁されている女性の絵だとか、十字架の絵だとか。だけど、観る人によるのかもしれませんが、私はそれらに「殺人鬼ゆえの異常性」みたいなものはあんまりかんじなかったんですよね。「1ヶ月あげるからこの展示に飾るダミーの絵を描いてくれ」と依頼されたら、私たぶん描けますもん。原色ギラギラで、ちょっと首をちょん切ったやつ描いたらだいたいこんなかんじになりそうですもん。

展示は盛況のようで、混雑していて人がいっぱいいたから余計そうかんじたのかもしれません。だけど、「殺人鬼は異常」「私たちとはここがちがう」みたいなポイントは、やっぱりあまりなかった。少なくとも、私には見つけられなかった。……と、いわざるを得ません。

犯罪者もただの人間

シリアルキラーの絵は、HN氏のようなコレクターもいたりして、一部の好事家には人気があるみたいです。好事家の気持ちはわりと理解できて、私ももし資産が唸るほどあったら、資料蒐集のような感覚でこれらの絵をコレクションしたくなってしまう気がします。

だけどシリアルキラーの絵って、究極の属人性絵画で、アートと作者を切り離したら途端に価値がなくなってしまうものが99%だと思うんですよね。一方、同じアウトサイダーアートに属するヘンリー・ダーガーの絵画などだと、アートと作者を切り離しても作品の価値はそのままです。私は、ダーガーが美大卒の一流のアーティストだったとしても、もちろん一介の掃除夫であったとしても、この人の絵は変わらずすごいなあと思います。

aniram-czech.hatenablog.com

なので、これはそういう性質をあらかじめ理解して行くべきだと思うのですが、「シリアルキラー展」にアートとしての価値を期待していくとおそらく物足りなくかんじると思います。この展示を味わうためには、これを「犯罪者が描いた資料」として観に行くべきでしょう。(私がいうまでもなく、多くの人はそうしていると思いますが)

作家たちの経歴を見てみると、その多くが幼少時代に、親や近しい関係の者から虐待を受けていたことがわかります。ピエロの絵を描いたジョン・ゲイシーは生前、ずっと父親に認めてもらえなかったことを嘆いていたし、1000人以上を殺害したというルーカスの生涯は、私はちょっと同情してしまいました。もちろん、それによってこの1000人殺害という罪が減じるわけでは全然ないと思うのですが、こんな大罪を犯す前に、なんらかの社会制度が彼を救ってあげるべきだったのにと思います。

ヘンリー・リー・ルーカス - Wikipedia
ヘンリー・リー・ルーカスは2001年に刑務所内で病死しています

シリアルキラー展を観に行って思ったのは、その展示に反して、「みんなただの人間だなー」ということでした。「史上最悪の殺人鬼!」などというと、まるで話が通じないモンスターかのように考えてしまいますが、よくよく見てみると、彼らには殺人鬼になってしまってもしょうがなかった理由があるように私には思えました。

高そうだから絶対買えないけど、私はジョン・ゲイシーの描いたピエロの絵を、部屋に飾っておいてもおそらく全然怖くありません。だって、それは普通の、私と同じただの人間の絵だからです。

もし殺人鬼に幻想のようなものを抱いている人がいたら、この展示は、いい意味でそれをぶち壊してくれるのではないかな、と思いました。