中学生のとき、美術の教科書に載っていて、授業そっちのけで思わず見入ってしまった絵があります。
ミレーの『オフィーリア』。歌いながら小川の中で溺死する、シェイクスピア『ハムレット』のヒロイン。
彼女のかすれた歌声が耳元に響いてくるようで、中学生ながら、背筋が凍りました。
今でももっとも好きな絵のうちの一つで、死ぬまでに必ずイギリスのテート・ブリテンにて本物を見てくる予定です。
さて、今月号の芸術新潮。特集は、「美女と幽霊」。
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/07/25
- メディア: 雑誌
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特集は、この『魚眼』を筆頭に、主に江戸時代に掛け軸として描かれた幽霊画を、円山応挙から葛飾北斎から作者不明のものまで、さまざまな切り口から掲載しています。
番外編として、妖怪や男性の幽霊、骸骨なんかもいますが、その多くは女性の幽霊です。
生首を口にくわえたもの、子供を抱えたもの、骨と皮だけの姿でじっとこちらを見つめているもの…。
しかし、これらの幽霊画を見ていて、不思議と「恐怖」はわきあがってこないんですよね。むしろ、さまざまな趣向を凝らして立体的に見せようとしたり、見る者を怖がらせよう、怖がらせようとする作者の心意気が、ユーモラスに感じるときさえある。確かに気持ち悪いのもあるし、見ていて気分のいいもんではないですが、一言でいうと“笑えます”。
もしくは、表紙の『魚眼』や、子供を妊娠したまま・あるいは出産時に死亡した「姑獲鳥」の絵なんかは、「怖い」というより「哀しい」。産まれたばかりの我が子を抱える女の幽霊は、まだ自分が死んでいるということに気付いていないように見えます。子供を抱える手がやさしい。
そんな幽霊画の特集、解説でへえ〜と思ったのは、これらの幽霊画がいったい何を目的として制作されたものだったのか?ということ。
普段こんなものを掛け軸として飾っていたら、周りに変に思われるし、自分でも気味が悪いです。それならば、これらの掛け軸はいったい「何用」だったのかというと、ある「イベント用」だったのです。
幽霊画が流行したのは江戸初期から安永期(1772〜82)。塾講師的にいうと、8代将軍・徳川吉宗の後くらいの時代です。
この時代、江戸は経済的に豊かになり、社会にもゆとりが出てきます。そんななかで大流行したのが、「百物語の会」。100本の蝋燭を立てて順番に怪談話をしていき、1つ話が終わるごとに1本蝋燭の火を消していく。そして、最後の1本を消したときに何かが起こる!!という、アレです。江戸時代からあるものだったんですねー。
そういったイベントの場で、雰囲気を盛り上げるために掛けられたのが、これらの幽霊画だったのだそうです。
会の主役である主人は、このイベントのために自慢の掛け軸を床の間に飾ったのだと。
「怖いけど、怖くない」という私の感想は、あながち間違っていないと思う。だって絵の出自がそもそも、何か楽しげじゃないですか。
★★★
今回の特集で、個人的に気に入った作品は表紙の松井冬子『魚眼』と、月岡芳年の作品数点でした。
しかし、私が気になった作品は葛飾北斎のもの。
葛飾北斎といえば、「化政文化」で『富嶽三十六景』(左)の人だ、と受験には出てきます。
まあ確かにそうなんだけど、それだけで葛飾北斎が終わっちゃうのはつまらない。
だって、巨大なしゃれこうべが蚊帳を覗いていたり、お皿を「いちまい、にまい…」と数えるお菊さんの絵なんかも、とってもユーモラスに描いているんだから。
私も、中学生のとき、教科書に載っていてハッとしたのは、ミレーの『オフィーリア』だけでした。
もちろん、ハッとするポイントは人それぞれだろうけど、教科書が暗記のためだけの「受験参考書」であるのは非常につまらないです。教科書に載せきれないなら資料集に載せてもいいし、時間をとって夏休みの課題として生徒自身に著名な画家の教科書に載っている作品以外の作品を調べさせてもいい。
方法は何であれ、子供が勉強を通じて「ハッとする」体験ができるように、もっともっと教育が進化していくべきだなあと思うのです。
教科書(もしくは資料集)に百物語の絵を載せたらふざけすぎですかね? 血まみれの女の絵を載せるのはタブー?
確かに小学生には早いかもしれませんが、中学生くらいだったらもういいじゃん。とにかく、勉強を通して失笑したりドキっとしたりぞくぞくしたり背筋が凍ったりしてほしい。
そうやって身につけた知識は一生忘れないし、何よりいつか君を救う武器になる。
…とか考えながら、仕事をしています。