女性のヌード。
それは、みなさんがよく知っている有名な絵画にもあるとおり、西洋美術において欠かせない重要なモチーフです。
そのヌード像が、西洋美術史のなかでどのように表象されてきたかのという問題を考察した、古典的名著があります。
ケネス・クラークの、『ザ・ヌード』という本です。
- 作者: ケネス・クラーク,高階秀爾,佐々木英也
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/06/10
- メディア: 文庫
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が、この本はかなりボリュームがある上、なかなか専門的な書物であるので、正直に申し上げると若干、読みにくいです。
なので、カラー図版が多く読みやすいこちらの本を、最近ちょくちょく読んでおりました。
ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理 (BT BOOKS)
- 作者: 宮下規久朗,藤原えりみ,谷川渥,美術手帖編集部
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 2012/03/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『ヌードの美術史』というタイトルにある通り、丸々1冊ヌードの絵で満載です。どのページを見ても、裸、裸、裸。これはこれで、なかなかインパクトがあります。
◆だんだんきわどくなるヌード
ケネス・クラークの本では、ひとくちに裸の絵、といってもそれは2種類にわかれるよ、というところからスタートします。その2種類とは、「ネイキッド(はだか)」と「ヌード(裸体像)」。
「ネイキッド」とは、着物がはぎとられた無防備な状態で、本来人に見せるべきではないはだか。
ロン・ミュエック 『Spooning Couple』
一方、「ヌード」は、均整のとれた、理想的肉体のことを指します。
ミケランジェロ・ブオナローティ 『アダムの創造』
ヌード像の歴史は古く、社会科の教科書に載っている「土偶」なんていうものは、いってみれば最古の裸体彫刻です。
これなんて、紀元前23000年頃のものらしいですが、女性のおなかや胸がばーん!と、とび出しております。かなりグラマラスですね……。
それが、だんだんギリシャ彫刻のような均整のとれた理想的肉体を目指すようになり、ルネサンスにそのピークをむかえ、以降は次第に、「ヌード」をはなれ、より生々しい「ネイキッド」の裸体像へ変遷していきます。
下の画像へ行けば行くほど、「きわどい」感じになっていっているのが、お分かりいただけるかと思います。これはもちろん、キリスト教の宗教上の理由から、神話などから主題をとってこないと裸が描けなかった中世から、そのような制約が近代~現代に進むつれてなくなっていくというのが、大きな理由の1つです。
◆人間の筋肉と肌を描くということ
さて、これらのヌードの美術史に関する本を読んで思ったことは、われわれ人間はやはり「人間」に執着してきたんだなあ、ということです。
古代の彫刻といい、ルネサンスの絵画といい、現代アートの写真や彫刻といい、その形態を変えながらも、人間の「ヌード」を描く歴史は、連綿と続いて来ました。
一糸まとわない姿を描くヌードは、その筋肉の動きや内部の骨の様子、そして肌の質感を如実に描き出します。それらはときに私たちの理想的肉体として現れ、そしてときには、ロン・ミュエックの彫刻のように、ある種のグロテスクさを醸し出します。
しかし、古代・中世・近代・現代のどの作品をとってみても、「ヌード」を描いた作品からは、並々ならぬ気迫が伝わってくるように、私には思えるのです。
例えば、服を着ている状態よりも、裸を描く方が技術的に難しい、ということは、われわれでも簡単に想像できるでしょう。
また、写真を撮るにしても、服を脱いで裸を撮らせてくれるモデルというのは、その辺ですぐ見つかるものではありません。
要は、絵画にしろ、彫刻にしろ、写真にしろ、ある種の「覚悟」をもって臨むのが、裸体像なのではないかと思ったわけです。
何しろ一面裸だらけの本なので、読み終わるときには、少し食傷気味に。(笑)
でもそれは、「裸」という対象のせいだけではなく、ヌードを描いた作家の気迫と覚悟に、ちょっと「あてられちゃった」のかもしれません。
とりあえず、飽きずにめくるめく世界を胃が重くなるまで堪能できる本です。ちょっと変わった読書体験がしたい方はぜひ。
ヌードの美術史 身体とエロスのアートの歴史、超整理 (BT BOOKS)
- 作者: 宮下規久朗,藤原えりみ,谷川渥,美術手帖編集部
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 2012/03/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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