以前、イタリア旅行のエントリで、ローマ編を2回にわたって書きました。
旅をすることで人生は変わる ローマ編 その1 - チェコ好きの日記
旅をすることで人生は変わる ローマ編 その2 - チェコ好きの日記
上記のエントリでは書ききれなくてふれませんでしたが、ローマには、ボルゲーゼ美術館という、世界的に超有名な美術館があります。所蔵作品は、ルネサンスおよびバロック(15~17世紀)時代のものが中心です。
そのボルゲーゼ美術館の所蔵作品のなかで、私がいちばん好きな作品が、これなんです。
タイトルは、『蛇の聖母』。これを描いた画家が、カラヴァッジョです。
イタリア旅行の際、ボルゲーゼ美術館でカラヴァッジョの数々の作品を目にしたことがきっかけで、帰国後、私はカラヴァッジョ大好き人間になってしまったのですが、カラヴァッジョの絵のどこがいいかというと、ずばり、
きたねぇところです。
「?」という感じかもしれませんが、今回はカラヴァッジョの絵のどこがどう「きたねぇ」かを、一緒に考えてみてください。
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まず、上の『蛇の聖母』という作品ですが、これはカラヴァッジョが教会に依頼され、サン・ピエトロ大聖堂の祭壇画として描いたものです。しかし、そのサン・ピエトロ大聖堂からは設置されて2日後に取り外されてしまい、この絵画は売却されます。
なぜそんなことになってしまったのか……おそらく聖母が大きく胸の開いた庶民の恰好をしていることや、聖アンナがみずぼらしい老婆として描かれていること、などが考えられますが、いちいちそんな説明をしなくても、この絵画からは何となく不穏な空気が漂っているのが、見るだけでおわかりいただけるかと思います。
カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂に飾られる予定だったものを取り外されたのですから、カラヴァッジョの落胆は大きかったといいますが、彼はこのような「スキャンダル」に、枚挙に暇がない画家なのです。
バリオーネ裁判
1600年に画家としてのデビューを果たし、その才能をローマ中に知らしめたカラヴァッジョは、貴族や高位聖職者などのパトロンたちと交友関係を広げます。
しかし、若くして大金を手に入れたカラヴァッジョは、生来の荒っぽい性格が災いして、その生活は乱れに乱れていきます。仲間たちと毎晩のように賭場や売春宿に出入りしていた上、喧嘩沙汰や暴行事件を度々おこし、何度も警察の御用になったとか。酒に酔っているその姿は、とても画家には見えなかったといいます。
そんな中で、彼が起こした最大のスキャンダルが、バリオーネ裁判。
カラヴァッジョの上記の絵画『勝ち誇るアモール』は、彼が得意とする明暗効果などがよく表れている作品ですが、何と、バリオーネという作家が、カラヴァッジョの作風をパクリ始めたのです。<
そしてバリオーネは、この『勝ち誇るアモール』を所有していたカラヴァッジョのパトロンに、自分の作品を献上して接近していきます。さらに、ローマの画家のだれもがねらっていたイエズス会の総本山・ジェズ聖堂の祭壇画という大仕事を、バリオーネが受けたのです。
これに対し、カラヴァッジョはもちろん激怒。
その頃、バリオーネをこき下ろす2編の詩が書かれた怪文書が、ローマで出回ります。
ちょっとおもしろい詩なので、引用してみましょう。
バカオーネ、なんもわかってへんねんな/おのれの絵の具はクソまみれじゃ/そんなんでゼニになるかいボケ/おのれのカンバスゆうたらな/ふんどしつくるんがええとこや/クソまみれの絵さらしといたれや/デッサン下絵ひと山で/質屋にもっていったれや/ケツふく紙にぴったりや/マオの嫁ハンのマンコにでも/つっこんだったらちょうどええ/ほんならマオもロバなみの/チンポぶちこむ穴ないやろ/おべっか使えんですまんなあ/その首飾りは似合わへんで/クズ絵かきの恥さらし野郎が
まあ、お下品……ちなみに、「マオ」とはバリオーネの弟子の名前です。
バリオーネは、この怪文書を作成した画家がカラヴァッジョだとして、名誉棄損で裁判を起こします。(本当は首謀者はカラヴァッジョではなかったらしいですが、怪文書を作成した一味として関わっていたことは事実のようです)
幸い(?)、この裁判は大事にはなりませんでしたが、カラヴァッジョはバリオーネに対して、一層つよい恨みを抱くようになります。
作風をパクられた上、大きな仕事もとられてしまったので、悪口を書いた怪文書をまわす……高名な画家といえど、何ともみみっちくて人間らしいエピソードではありませんか?
彼の荒々しい気性とエネルギーが、絵画にも渦巻いているように見えます。
殺人を犯し、南へ逃れる
悪口を書いた怪文書を回すくらいだったらまだかわいいものですが、このカラヴァッジョ、ついに人を殺します。
殺した相手は、ラヌッチョという男。
この男は、家が地域の有力者に仕えていることを隠れ蓑に、カラヴァッジョが住んでいたカンポ・マルツィオ地区の賭場や売春宿の元締めを行なっていたという、何だかとても怖そうな人です。
直接的なきっかけが何だったのかはわかりませんが、乱闘の末、このラヌッチョの胸を、カラヴァッジョが一突き。これに対して、ラヌッチョの兄が反撃し、カラヴァッジョの頭を切りつけましたが、カラヴァッジョは命からがら逃走します。
しかし、地元の有力者であったラヌッチョを殺したことで、カラヴァッジョには「バンド・カピターレ」という布告が出されてしまいます。これは、お尋ね者を見つけ次第、いつでもだれでも当人を殺してよいという、おそろしい布告。
逃亡中も、おとろえない画力
こうしてローマにいられなくなり、いつ殺されるかわからない不安定な日々を送ることになったカラヴァッジョですが、行く先々で、後世に残る有名な作品を残しています。
こちら『ダヴィデとゴリアテ』は、カラヴァッジョの晩年の作品です。逃亡生活で憔悴しているかと思いきや、まったく落ちることのない画力。見方によっては、むしろパワーアップしているかのようにも感じられます。
4年間の逃亡の末、ローマではカラヴァッジョに恩赦をあたえる動きが高まります。恩赦への希望を抱いてローマへ戻ろうと決意したカラヴァッジョですが、道中でトラブルにあい、乗る予定だった船を逃してしまいます。
怒り、焦った彼は何を思ったか、100キロも先にある船の次の寄港地へ向けて、南イタリアの真夏の海岸を歩き始めます。そして、歩いている途中で熱病に罹ったカラヴァッジョは、太陽にやかれるようにして、その生涯を閉じたといいます。
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このように波瀾万丈な人生を送ったカラヴァッジョなので、描く作品も劇的、かつ強烈です。
私はそのあふれるパワーを「きたねぇ」と表現するのがぴったりだと思っているのですが、どうでしょうか。
賭場に売春宿と、堕落した生活を送っていたカラヴァッジョですが、作品を制作している最中は、2週間アトリエにこもりっきりで、出てこなかったといいます。
集中と解放をくりかえし、人間味にあふれ、苦悩の多かったカラヴァッジョの作品は、「きれい」とか「聖なる」とかいう言葉を使うと、いっきに私たちの元を離れてしまう気がするのです。
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ちなみに、お下品な詩を引用した本日の参考文献はこちらです。
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